マラソン完走クラブ(31回目):高尾山ミニ練習会

マラソン完走クラブのミニ練習会が高尾山で行われました。

高尾山は昨年の8月以来です。
走れるかしらん?

8:45に高尾山口駅をスタート予定。
8:30に現地に到着し、荷物をコインロッカーに入れて、捻挫防止のテーピングの仕方を教わりながらテーピング。準備OK。いざ高尾山。

1号路を通ります。
今日は晴れて気温が高い。

高尾山は木陰が多くて、涼しくて、気持ちイイ。
けど、すぐに息があがり、ゼーゼーヒーヒー。

今日は、参加者の走力に幅があるので、速い人達は私達が一度走る間に、折り返して坂ダッシュをされたりと工夫があります。遅い人にはスタッフさんが付いてくれてフォローしてくださいます。

私は、これまでの練習会では初級コースで高尾山・山頂までしか走ったことがなかったけれど、今日は一丁平の少しだけ先まで走りました。少しだけスタミナが付いたかな。

今日の高尾山は多くの人で賑わっています。
バラけて走るなどの工夫はしましたけれど、それにしても人が多く、ランナーは、ちょっと邪魔だったかな?

主催者のN田さんから「下りの走り方」を教わりました。

筋肉に負荷をかけてしまうと、筋肉はすぐには戻らない。心拍数は戻るけれど、筋肉疲労は戻らない。そういったことから下り坂でいかに筋肉を使わないかが大事な鍵になるようです。

何度か、同じ話を頂いているけれど、それを理解出来ない時と、スーっと理解出来る時があります。

練習の後は、高尾山口駅近くで、「つけとろそば」を食べました。美味しい!

第5回 あがらいでバー!

毎回!すごーーーく楽しい「あがらいでバー!」

年齢も出身地も関係なく、ただ「気仙沼」というキーワードだけで、代々木「魚がし」に多くの皆さんが集まり、気仙沼弁がバンバン!

こんな楽しいことって、ないちゃね!

今回のゲストが急遽、急用のために欠席になってしまった。
それが月曜の話。
そして急遽、ゲスト出演に快諾してくださった千葉さん。
本当にありがとうございます。
「これも何かの縁」と、「縁」の話をしてくださいました。
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気仙沼大島出身の千葉さんは、気仙沼高校時代はラグビー部で活躍したそうです。大島の人は船の時間があるから、部活を続けるのは難しいのです。それをサラリと言ってのけ、そして、東京で就職してから、会社社長になるには、様々なご苦労があったことと思います。私より数歳、先輩ですけれど、とても魅力のある方です。

ここに集うも何かの縁。
縁を大事にしたいと思います。

もう一人のゲストは、気仙沼市弁天町出身の藤田信宏さん。
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彼はいろいろな役柄が出来る俳優と見た。いろいろな役を演じて欲しい。味のある役者だと思う。

7歳の時に、ジャッキー・チェンを見て衝撃を覚え、太極拳を習い、ひたすらにジャッキー・チェンになることを夢見た少年。そして、とうとう夢をかなえて、さらなる夢に向って、幾多の困難もありましょうに、夢を追う姿は私達に感動を与えてくれます。

自分の劇団も旗揚げしたそうです。
「演激集団 INDIGO PLANTS」

8/5から8/9まで「麻布十番アトリエ・フォンテーヌ」にて公演があります。皆さん、ぜひ足をお運びください。気仙沼出身の人は絶対に行ってくださいね。8/15には、気仙沼での公演もあります。

「魚がし」店主も気仙沼出身です。いつもありがとうございます。
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そして、美味しいお料理を作ってくださる奥様。いつもありがとうございます。
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気仙沼から参加してくださった小野寺N子さんが、あわびの差し入れをしてくださいました。ありがとうございます。
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第1回から、私が熱烈ラブコールを送っていたKABOさんがやっと!いらしてくれて、ホント嬉しかった。なんだか初めて会う気がしない。バンドやっぺ!って話、本気にしますよ!(笑)

仙台在住の発起人の「宮城を一生楽しむ!日記」さんもいらしてくれたり、本当に嬉しいです。そして、今回もまた「渋谷・公界」さんから、気仙沼の蔵元「男山」の「蒼天伝」を差し入れてくださいました。ありがとうございます。

今回はアキヒロ君がみんなのネームプレートを作ってくれて、おかげで、これまだ名前と顔がなかなか一致しなかったことが、ぐんと打ち解けられた気がします。
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2次会も楽しかったね!
ありがとうーーー!

次回は11月の開催ですが、その間にも「ミニあがらでバー!」を開催したいですね。ほんでね。

Macで音楽クラブ例会・2009_6月例会

Macで音楽クラブの例会。

KORGのnanoシリーズは、結構おもしろい、使える!という声が多数あるのですが、ソフトによって使えていたり、いなかったり。それをちょっと調査などをしています。少しわかったこともあるので、もう少しまとめたいと思う今日この頃。

副会長のSさんが、フリーのAudio系ソフトをいろいろ教えてくださいました。これもあれもフリーなのー!と驚くばかりの例会でした。

(私、、、会長なんですけど…ちっとも詳しくなくてごめんなさい)

読書:マラソンランナー

「マラソンランナー」後藤正治・著。
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マラソンに関する本ばかり読んでおります。
日本のマラソン界を引っ張ってきた人たちにスポットを当て、また、それぞれの時代に切磋琢磨した選手達にスポットを当てている。

日本におけるマラソンの歴史とも言える本。

第1章から第8章まで、金栗四三、孫基禎、田中茂樹、君原健二、瀬古利彦、谷口浩美、有森裕子、高橋尚子らを主役にすえて、話は進む。

日本人が初めてオリンピックに出場したのが1912年(明治45年)スウェーデン大会。そのマラソンに出場したのが金栗四三(かなぐりしぞう)。「日本のマラソンの父」とも呼ばれる。その時の出場費はなんと自費であったらしい。しかも当時の海外旅行費というと、現在に換算してみると、500数十万円であったらしい。それらを皆様から集める。重圧もどれほどであったでしょ。

金栗四三さんは、オリンピックには不運が続くけれども、その後、箱根駅伝開催には尽力し、最優秀選手には「金栗四三杯」が贈呈される。

彼の有名な言葉「体力、気力、努力」がある。

孫基禎(ソン・ギジョン)もまた、この本を読むまでよく知らなかった。今の北朝鮮で生まれる。1936年(昭和11年)のオリンピックには、「日本代表」として出場し金メダルを取った。

田中茂樹は広島出身。原爆を経験している。

この時代までは私の知らない話が続いた。
時代によって、国を背負いながら走るマラソン選手の重圧を思う。

ところで、その当時はシューズではなく、足袋を履いていた。

それで思い出したのだけれど、私が小学校の低学年の時には、徒競走で走る時に専用の足袋を履いた記憶があるのだが、同世代の皆様、どうだったでしょうか?

話は、先に進み、高橋尚子で終了している。
なかなか深い本。
ラン好きは一度は読んでいてもいいかもしれません。

読書:マラソンの心

「マラソンの心」宗茂・著。
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サブタイトルは、『マラソン練習』誕生ストーリー。

宗兄弟が、試行錯誤をして「マラソン練習」というものを確立していく。
これまでの中で最も参考になった気がする。

自分達だけではなく、旭化成で指導者になってからも「マラソン練習」の確立は続く。そうして育てた選手は、谷口浩美、森下広、宮原美佐子など多数。

宮原美佐子さんのエピソードはすごい。
学生時代には陸上部ではあったが、旭化成では一般社員だった宮原さんが、社内のジョギング大会で目に止まり陸上部に入る。しかし、あまり結果が出ない。5000mのタイムも良くない。あと1年で陸上部を止めてもらうしかないか、と思っていたころ、本人から長い距離を走りたいという申し出。

5000mも遅いのに、と思うも、本人の希望をかなえてあげようということになる。するとドンドン、タイムが伸びて大阪国際女子マラソンでは2位になり、ソウルオリンピックに出場することになった。本人の努力もさることながら、若き宗兄弟の指導にもよるところも大きいと思う。

当時、瀬古選手と宗兄弟というのは、日本中の注目の的であった。
瀬古さんは、やはり天才だと思う。
そんな天才のそばで、天才に勝ちたいと試行錯誤を重ねる2人。その努力が参考になる。

「考える練習」という言葉をそれを何度も書いている。
マラソン練習は、おおよそ3ヶ月をかける。
しかし、加齢によっては3ヶ月ではなく4ヶ月かける場合もある。

そのようにマニュアルにはない、自分なりの工夫をしていくことが大事と繰り返す。

また、ポイント練習とポイント練習との間の日に行う「ジョグ」が大事と書いている。ジョグで練習量を確保してスタミナを付ける。

私は、一人の練習の時にジョグしか出来ない、、、と後ろ向きに思っていたが、そうではなかったかもしれない。ジョグをキチっとやっていくことがポイント練習にはプラスになる。

最後の章は、今、取り組んでいる「気功」について触れる。
ネットで調べると、延岡で「気功健康塾」を開設されたようだ。

私は気功の事はわからないが「自然治癒力」には興味がある。薬にたよりすぎるのはいかがなものかと思っている。その自然治癒力を引き出すためのものの一つとして気功があるのかもしれない。

アトミクラブ練習会(20回目)

アトミクラブの練習会に参加した。

本日は、400mのインターバル。
速いグループは15本以上。
一番遅い私のグループは13本が目標。

他のグループは、400mの間を200mのジョグでつなぐ。
我々は、トラックを歩いて突っ切っております。
そうでもしないと、とても10本以上は無理ムリ。

こんな感じで走りましたー。

1本目:1:54
2本目:1:50
3本目:1:49
4本目:1:51
5本目:1:48
6本目:1:47
7本目:1:48
8本目:1:46
9本目:1:46
10本目:1:47
11本目:1:45
12本目:1:47
13本目:1:42

今日もWリーダーに引っ張って頂きました。
最後の周は、それぞれに力いっぱい走って、私は皆さんから大きく離されてゴール。でもタイムは最後が一番良かった。

この整理運動の後、監督さんから400mインターバルの効用を教えて頂いた。こういった練習は一人では出来ないから、練習会は大切だなぁ。

久しぶりに、代々木八幡の銭湯に行き、打ち上げも参加。

先日読んだ「孤高のランナー 円谷幸吉物語」に、Oさんの名前が出てましたよーと、Oさんの席の近くに座らせて頂いたので話してみた。円谷幸吉の最後のフルマラソンになってしまった水戸マラソンで、一位に輝いたのが、当時、新人だったOさん。

考えてみれば、Oさんのような方と会話をするなんて、普通ではあり得ない。

Oさんは今もすばらしい走りをして、駅伝大会では大活躍されています。

学T専科さん訪問

浅草にあるオリジナルTシャツプリントの「学T専科」さんを訪問しました。

店内には、たくさんのTシャツプリントの見本があります。
最近、始められた「スタッフビブス」も。

袖部分にもプリントして頂けるというのは、こちらの特徴かと思います。
幼稚園児用のキッズTシャツはかわいい!
ラン用にも適した素材のTシャツもあります。Tシャツの種類、色は豊富で選ぶのも楽しい。
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こちらが社長の千葉さん。気仙沼出身です。
制作工程には様々なな工夫があって(写真を撮ることは出来ませんが)、その発想力はすばらしいです。どこから、そのアイディアが出てくるのでしょう。
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同じく気仙沼出身の小野寺さん。
お2人はあうんの呼吸です。
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サービスで、同じ色で応援の旗も作ってくださるそうです。これは嬉しいですね。
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貴重なお土産をたくさん頂戴しました。嬉しいです。ありがとうございます。

「学T専科」さんを後にして、夜の浅草に出ます。
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同級生で千葉さんの姪でもあるジュンちゃんも来てくれて一緒に浅草を歩きます。
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浅草といえば「神谷バー」
楽しい話が続きました。本日はありがとうございました。
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誰かのために

私が初めてサロマ/ウルトラマラソンに挑戦した2008年の、その時のキャッチコピーは「自分の為に走り出し、誰かの為にゴールする。」だった。

「誰かの為に…」それは深い言葉だと思う。
人間、一人は弱いもの。

100km走るゾー!と思っても、実際に走り出すと、足が痛みだし、体力は消耗し、心は折れてしまい、いつリタイアしても許されると思う。けれど何が最後まで後押しするかというと、自分ではない「誰か」のため。

自分ではない誰かのために何かをする事は、結構、面倒くさい。
何もこんなことしなくていいのに、と思っちゃう。
けれど、自分以外の誰かに助けてもらうことが多いのも事実。

人は一人では生きてはいけない。
助けられ、そして助けて、そうやって生きている。

自分の事しか考えられない時もある。
自分だけで、それだけで精一杯な時もある。

けれど、少しでいいからまわりを見渡してみる。
自分以外の誰かに少しでも役に立てるのであれば、手を差し伸べても悪くはない。

私が気仙沼にたびたび帰るのは、もちろん私自身が帰りたいからにほからならないが、それに加えて、老いた母がどうしているかと思うことは多い。

母だけではなく、亡くなった父、祖父母、叔父、皆も待っているのだろうと勝手に思っている。それが私を支える「私の根っこ」だと思う。

「誰かのために」何かをしていますか?

ゆっくり行こうよ

私が歩いた道は果たして正しかったのだろうか?と自問自答することがある。しょっちゅうある。結果、答えは出ない。正しかったのか、そうでなかったのか、そんな事ではなく、事実として今がある。それだけだ。

その道が正しいかどうかなんて、結局、神様しかわからないんじゃないか。自分には自分の道がある。誰が何と言おうとその道があったら、ただ、その道をトボトボと、時には小走りに、進む以外にないということだ。その道がどんなにつまらないものに見えたとしても、そんな事にはおかまいなしに、その道を行くのだ。私には、私の道がある。

毎日、毎日、サロマの関門を越えるための時間を数えている。
昨年、間にあわなかった60km地点、それを乗り越えたとしても、次に訪れる70km地点、そして80km地点。そして、それを乗り越えた時の、足のダメージはいかばかりか計り知れぬ。そこからまだ20kmある。

どんなに指折り数えても、その関門に、とても間にあいそうにもない。けれど、そんな事にはおかまいなしに、ただただ、ひたすらに行く以外にない。そこに道があるなら、それをトボトボと、一歩一歩行くしかない。

Yよ。待ってるから。君の笑顔を待っているから。
焦らずに、ゆっくり、ゆっくり、、、ゆっくり、ね。
私も、ゆっくり走りますから。応援してください。