ゆっくり行こうよ

私が歩いた道は果たして正しかったのだろうか?と自問自答することがある。しょっちゅうある。結果、答えは出ない。正しかったのか、そうでなかったのか、そんな事ではなく、事実として今がある。それだけだ。

その道が正しいかどうかなんて、結局、神様しかわからないんじゃないか。自分には自分の道がある。誰が何と言おうとその道があったら、ただ、その道をトボトボと、時には小走りに、進む以外にないということだ。その道がどんなにつまらないものに見えたとしても、そんな事にはおかまいなしに、その道を行くのだ。私には、私の道がある。

毎日、毎日、サロマの関門を越えるための時間を数えている。
昨年、間にあわなかった60km地点、それを乗り越えたとしても、次に訪れる70km地点、そして80km地点。そして、それを乗り越えた時の、足のダメージはいかばかりか計り知れぬ。そこからまだ20kmある。

どんなに指折り数えても、その関門に、とても間にあいそうにもない。けれど、そんな事にはおかまいなしに、ただただ、ひたすらに行く以外にない。そこに道があるなら、それをトボトボと、一歩一歩行くしかない。

Yよ。待ってるから。君の笑顔を待っているから。
焦らずに、ゆっくり、ゆっくり、、、ゆっくり、ね。
私も、ゆっくり走りますから。応援してください。