誰かのために

私が初めてサロマ/ウルトラマラソンに挑戦した2008年の、その時のキャッチコピーは「自分の為に走り出し、誰かの為にゴールする。」だった。

「誰かの為に…」それは深い言葉だと思う。
人間、一人は弱いもの。

100km走るゾー!と思っても、実際に走り出すと、足が痛みだし、体力は消耗し、心は折れてしまい、いつリタイアしても許されると思う。けれど何が最後まで後押しするかというと、自分ではない「誰か」のため。

自分ではない誰かのために何かをする事は、結構、面倒くさい。
何もこんなことしなくていいのに、と思っちゃう。
けれど、自分以外の誰かに助けてもらうことが多いのも事実。

人は一人では生きてはいけない。
助けられ、そして助けて、そうやって生きている。

自分の事しか考えられない時もある。
自分だけで、それだけで精一杯な時もある。

けれど、少しでいいからまわりを見渡してみる。
自分以外の誰かに少しでも役に立てるのであれば、手を差し伸べても悪くはない。

私が気仙沼にたびたび帰るのは、もちろん私自身が帰りたいからにほからならないが、それに加えて、老いた母がどうしているかと思うことは多い。

母だけではなく、亡くなった父、祖父母、叔父、皆も待っているのだろうと勝手に思っている。それが私を支える「私の根っこ」だと思う。

「誰かのために」何かをしていますか?