父は2004年に亡くなり二十一回忌。2016年に亡くなった小太郎は九回忌。
父の記憶、一番思い出すのは最後に帰った時、私が東京に向けて家を出る時のこと。私は「行って来ます」と言って家を出る。扉を閉める時に父を見る。父はもう私のことなんか忘れて、何か手元を見ている。「お父さん」と心で呼ぶが父はこちらを見ることもなく、何かに夢中になっている。少しだけ父の事を見続けた。その姿だ。その姿が父が元気でいる最後の姿になってしまった。
小太郎君、今も毎日、思い出してますよ。私は元気に生きてます。
父は2004年に亡くなり二十一回忌。2016年に亡くなった小太郎は九回忌。
父の記憶、一番思い出すのは最後に帰った時、私が東京に向けて家を出る時のこと。私は「行って来ます」と言って家を出る。扉を閉める時に父を見る。父はもう私のことなんか忘れて、何か手元を見ている。「お父さん」と心で呼ぶが父はこちらを見ることもなく、何かに夢中になっている。少しだけ父の事を見続けた。その姿だ。その姿が父が元気でいる最後の姿になってしまった。
小太郎君、今も毎日、思い出してますよ。私は元気に生きてます。
父は2004年に亡くなり二十回忌。2016年に亡くなった小太郎は八回忌。
今も毎日のように父のこと、小太郎のことを思い出す。お父さん、昨年末に骨折して大変でした。小太郎君、あの散歩道を時々、歩きますよ。見守ってください。
亡き小太郎の誕生日。生きていれば20歳。
小太郎君、まだまだコロナ禍が大変ですよぉ〜。
父は2004年に亡くなり十九回忌。2016年に亡くなった小太郎は七回忌。
月日が経つのは早いものです。今も父が生きているような心地になることが度々ある。もうこんなに月日が経ったというのに。
小太郎君、君と遊んだ日が懐かしいです。そちらはどうですか? 元気に飛び跳ねていますか?
亡き小太郎の誕生日。生きていれば19歳。
小太郎君、一緒に散歩した道路にも新しい建物が建ってますよ。少しずつ変わっている。
父は2004年に亡くなり十八回忌。2016年に亡くなった小太郎は六回忌。
父が十八回忌なんて時の流れの早いことを感じる。父が亡くなった時の喪失感は家族みなで共有した。これからどうやって生きていったら良いだろうと途方に暮れた。それを見せぬようにと強気で振る舞っていたことを思い出す。
小太郎君、毎日、毎日、小太郎のことを思っているよ。特に散歩道。ここを歩いたなぁとか、ここで立ち止まるんだよねぇとか。まだ君がそこにいるような感覚。私は元気にしています。
亡き小太郎の誕生日。生きていれば18歳。
小太郎君、こっちは大変ですよぉ〜。
亡き小太郎の誕生日。生きていれば17歳。
小太郎、そっちはどうですか?
こちらはあの日のまま、何も変わっていませんよ〜。