何かの広告を見て買った本。久しぶりに本を読んだ。失礼ながら面白い。皇室という、私達には想像のつかない世界で生きているお嬢様がイギリスに留学し、七顛八倒しながらも博士号を取得する。その忌憚ない文章が実に面白い。そして、やっとのことで博士号を取得する。凄いことだ。最後の「文庫本へのあとがき」がまた面白い。優秀な方だと感じる。「徹子の部屋」に出演した時も見た。その利発な受け答えが印象的だった。これからのご活躍にも期待し、応援したい。
カテゴリー: 読書
読書:絵本 湾
気仙沼に住む千田基嗣さんが執筆した「絵本 湾」が届いた。先日、妹であるチダさんにお金を払っている。1,500円。思うより早く届いたので驚く。
そして、その内容もまた良い。絵は気仙沼に移住した山本重也さんが担当している。気仙沼の絵だ。こちらもまた素晴らしい。
「イーストリアス オンラインストア」さんから、お買い求め頂けます。ぜひ、お手に取ってご覧ください。
読書:ウドウロク
「ウドウロク」有働由美子・著。
この本を読むのは2度目。NHKにいた頃、朝の番組が好きだった。今も夜の番組を見ている。あの有働さんの本。女性として憧れる。本人は様々なことに悩み、そして生きていることがわかる。しかも自分を笑い飛ばすかのような鮮やかな文章。応援したくなる方です。
面白いのは「今、その四年前のものも読み返してみたら、、面白いほど考えが変わっていた。」という文章。四年でそれほどに変わる、そんな生き方をされているのだなぁ。私はどうだろうか。おそらく四年ぐらいでは変わっていないだろう。私も、さらに進化をしたいと思うのであります。
読書:55歳からのフルマラソン
「55歳からのフルマラソン」 江上剛・著。
この本を読むのは3度だと思う。感想を書きそびれていて、それでまた読む。またしても感想を書いてないから、また読む。読むたびに感動している。
「42.195キロ? そんなの無理ですよ」というタイトルから始まる。しかし内容はすぐにマラソンの話ではなく、著者が働く環境だ。銀行。それも、あのバブルの後に大変な時期を迎える「第一勧業銀行」・「富士銀行」・「日本興業銀行」の合併の話だ。
その後、著者は会社を辞め作家になる。この時は、まだ走ってない。それが、飲み会の時に「42.195キロ走らせる」と言われたとか何とか。飲み会の席だ。そんな話はよくする。私もする。それが始まり。
そして最初のフルマラソンは大変でした。タイトルは「もう二度と走りたくない・・・・・初めての フルマラソン」だ。読んでいて、自分の初フルを思い出す。私は一度「フル」を走ってみたいと思ったことが始まり。一度で終了のつもりだったが、それがスタートだった。
著者はさらに「目標だったサブフォー達成—-二つのレースから」と直進して行く。最後の章は「いったい、何を目指して走るのか」だ。「俺、まだやれる」。ハイ! そうなんです。そう思える。元気が出る。走るって素晴らしい。
読書:みやぎから、
214ページから「気仙沼」のお話。「鶴亀の湯 鶴亀食堂」だ。根岸えまさんの写真が出る。そして、斉藤和枝さん、小野寺紀子さんだ。気仙沼の顔だよね。素晴らしい。元気が出る!
神木さんが「こんなカツオ食べたことない」と驚く。私は逆に東京に来て、「こんなカツオ」、「こんなサンマ」食べたことがない、ガッカリという経験を持っている。やっぱり違うよね!
「宮城」がギッシリの本。皆様にも読んで欲しい。写真を見て欲しい。元気になります!
読書:気仙沼ミラクルガール
タイトルに「気仙沼」の文字を見ると読むよね。実話に基づいているそうだ。こんな話が本当にあったのか。気仙沼には「SCK GIRLS」というアイドルグループがある。以前の名前は「SCK45」。本の中では「KJH」という名前。
あの大震災の後、子供達に笑顔を取り戻すために「ご当地アイドル」を育てようという話だ。2011年から活動を始めているから凄いわ。あの当時の気仙沼はまだまだガレキだらけの町だった。私も何度か、彼女達が踊って歌う姿を拝見している。
その彼女達を育てる話が出ている。発案者は怪しげな「サトケン」さん。実在されたのは「阿部健一」さん。著者は阿部さんに会ってない。すでに他界されていたと「あとがき」に書いてある。
話は実話に基づいているが、その人となりは「空想の産物」と、これも「あとがき」に記されている。
読んでいると気仙沼の地に立っているような心地する。新中野の「ベローチェ」というお店でアイスコーヒー飲みながら最後を読んだが、ふと、気仙沼にいる気がしていた。私がいるのは東京だった。
2021年現在も彼女達の活動は続いているようだ。
また、初期メンバーだった「佐々木莉佳子」さんは、カネト水産さんのお孫さん。最近は「CanCam」の専属モデルにもなった。
今年はコロナ禍で活動もままならないだろうけれど頑張ってください。応援してます!
読書:衰退産業でヒット商品を生み出す4つの法則
私が気仙沼に暮らした2013年に「気仙沼つばき会」でお世話になりました高橋和江さんの本です。凄いねぇ。気仙沼在住で、こんなに日本じゅうに大きな影響を与えるなんて凄いことです。
本をめくってすぐの「はじめに」には、「私は衰退産業といえるきもの業界に身をおいています。」で始まる。もうその1行を読んだだけで、グイと引き込まれた。
和江さんに出会ったのは2013年。その後、私は病気を患うなど様々なことがあり、気仙沼とは、ほど良い距離で過ごしている。その間に和江さんのご活躍や素晴らしい。
いくつもの商品を開発、販売、ヒットさせ、お取引先を増やし、工場を広げる。何というパワーだろう。
そして、この春には店舗を移転・拡張する。
私は和江さんの洋服姿を見たことがない(と思う)。いつも和服だ。和服でササっと行動し、ササっと物事を決めて前に進む。実に軽やか。和江さんを見ていると「私も着物を着てみたい」と思っちゃうから、凄いパワーだ。
その軽やかさを出しているのが自ら考案した「下着」だ。2013年当時は「満点スリップ」がヒットしていた。ネーミングも良いよね。
しかし、その後のご活躍はよく存じていなかった。すみません。すると、その後、凄い勢いでのご活躍。驚くばかり。それはこの本に書いてある。ご苦労もお有りでしょうけれど和江さんにかかると、その苦しさも楽しさへと導いていくから凄いですよ、ホント。読んでいて元気が出ます。私ももう少し頑張ろうという気持ちになります。
本の最後は「本当にありがとうございました。」で終わる。和江さんのお人柄が文章によく現れている。その笑顔が見えるようだ。どうぞ、益々のご活躍を。
読書:30キロ過ぎで一番速く走るマラソン
「30キロ過ぎで一番速く走るマラソン」 サブ4・サブ3を達成する練習法 小出義雄・著。
小出監督がこの世にいないなんて信じられない。本を読んでいると監督の声が聞こえてくる。あれだけの選手を育て、結果を出し、そしてまた次へと。素晴らしい実績です。
そのためには、帯にあるように「一番苦しくなる35kmあたりを一番速く走るようにする。そのためには「後半型」の練習をすればいいんです」。
そして、それを実践したのが高橋尚子のオリンピック優勝の走り。35kmあたりで、あのサングラスを投げてからの走りは皆の記憶に残る。監督の指示通りの走りだ。素晴らしい!
最後の章のタイトルは「自己ベストの最大の敵は「故障」と知る」。そして、「故障の予防には「氷」と「ゴルフボール」」という章があり、「予防」について詳しく書いてある。たしかに「故障」があっては自己ベストは狙えない。ランナーは「走る」だけではないのだ。「予防」だ。
小出監督が話すのを何度か聞いたことがある。「東京マラソンExpo」のブースや「佐倉朝日健康マラソン大会」の開会式だ。優しい声とお話の内容がとてもありがたい。
小出監督、ご冥福をお祈りします。
読書:伴走者
夏・マラソン編
冬・スキー編
それから本を読んだ。筋はわかっているのに、二度、感動した。
この本というか、テレビドラマを紹介してくださったのは、マラソン完走クラブの代表の中田さん。テレビドラマには出演もされている。ボランティアで「走る人」も募集していると教えて頂いた。私は速度が足りずに応募しなかったが、きっと何人かは出ているだろうと思う。
目が見えないのに走る、そして、スキーを滑るというのは大変なことだ。そして、伴走者もまた大変な仕事だ。作者は「走る人」でもないし「滑る人」でもないようだ。取材してそれをまとめて、さらに話を作っていく。凄いなぁ。
最後の「謝辞」を読むと、この本の表紙の手は、中田さんと、走る人・和田さんだそうです。感慨深い作品になりました。
読書:中村勘三郎 最後の131日 哲明さんと生きて
「中村勘三郎 最後の131日 哲明さんと生きて」波野好江・著。
中村勘三郎さんが亡くなった時、驚きのあまり思考回路が止まった。ウッソー、、、。まだ57歳だった。若い。2012年12月5日。
いまもまだ「あ〜、この役は勘三郎さんがピッタリだなぁ〜」なんて思いながら見る演目はたくさんある。
奥様は1959年4月12日生まれ。私の1学年上になる。ほぼ同世代。早くに未亡人になってしまった。その方が書いた本。
読んで感じるのは「なんだか、あっという間に、アレヨアレヨと病状が悪くなり、そして亡くなってしまった」ような感じ。ご本人も、まさか、亡くなるとは思わなかったのではないかと思うのです。
ファンは「かえって来る!」と思っていたと思う。まさかまさかの事が起きるものだ。
それにしても、このご夫婦は本当に夫婦喧嘩したんですね。そのエネルギーは凄いなぁ〜。若い。
病気については、本によると、最初に「おかしい」と感じたのは2010年10月、11月。それは「うつ病」と診断され、強い薬も飲んでいたようです。しかしながら、奥様がコッソリ薬を差し替えてしまい、それでも何ら変化がなかったという結果も。うつ病って難しい病ですよね。本当のところはどうだったのだろう。
そうこうするうちに、奥様のお父様が亡くなる。2011年10月10日。中村芝翫さん。七代目。踊りのうまい役者さんでした。勘三郎さんはここでもキッチリとなさっている。頭が下がる。
そして病は進行している。最初は「がん研有明病院(2012年6月)」でがん摘出の手術をする。そして「東京女子医科大学病院(2012年8月)」、「日本医科大学附属病院(2012年9月)」。実に3つの病院で名医に診てもらっている。
最後の舞台は2012年7月18日、松本。木曾義仲の役でサプライズ出演。まさか、これが最後の舞台になろうとは、、、。
人に寿命があるのだろうと思う。勘三郎さんの寿命だったのではないか。それにしても若い、そして素晴らしい演者で本当に惜しい。惜しいしか言葉が見つからない。ご冥福をお祈りします。