「自ら育つ力」渡辺康幸・著。
サブタイトル:早稲田駅伝チーム復活への道
我が家も、正月はニューイヤー駅伝から始まり、大学駅伝の往路・復路を見ながら餅を食い、あー、年が明けたなぁと実感します。
今年(2009年)の箱根駅伝の優勝は東洋大学。
往路・復路の完全優勝を果たした。
東洋大学は、12月に陸上部員が逮捕された責任をとって、川嶋監督が辞任するというハプニングが生じ、箱根の出場も危ぶまれた。優勝の影には、部員の様々な思いがあったことでしょう。
著者・渡辺氏が監督を務める早稲田大学は往路・復路とも2位。
早稲田は優勝候補だったが、東洋の往路5区を走った1年生選手・柏原氏が9位でタスキを受けとり、一気にトップに躍り出て、そのままゴールしたことはあっぱれ! 伝説になりましょう。
早稲田は、前評判通りの走りをしたと思います。
ただ、東洋は神がかり的に強かった。
そんな実力十分の早稲田だが、渡辺監督が就任した当時は、シード校にも入ることが出来ない辛い時代であった。
「早稲田の監督をやるなら、あと2、3年待ったほうがいい」いつもは冗談まじりに明るく話す瀬古さんが、受話器のむこうで真剣な表情でいるのがわかった。
誰から見ても「貧乏くじをひくようなものだ」という時に、なぜ監督を引き受けたのか?
「僕たちを見捨てないでください」
そうはっきり言われたのではないが、「そうみえた」というのだ。当時、早稲田のコーチをしていた渡辺氏が監督をことわったら、早稲田からも去らざるを得ないかもしれない。見捨てないでとみえた、そうであったのだろうと思う。
さて監督就任後、最初から順調だったわけではなく、むしろ最初は失敗の連続。大学生当時の自分の練習メニューを選手にさせたところ、故障者が続出してしまったり。
もっと選手たちのことを知らなければいけない。もっとコミュニケーションをとらなければいけない。
そして、学生と同じ寮での生活が始まる。
今、どの章を開いてみても、心にしみる言葉が並ぶ。
そんな時に監督を引き受けて、それからどのように選手を育ててきたのか。
陸上に興味がなくても、例えば、企業人が部下や後輩を育てるとか、教師が生徒を育てるとか、部活の先輩が後輩を育てるとか、さまざまな場面で参考になる言葉が多い。