弟が命からがら逃げ込んで助けていただいた「クリスタルビル」は、取り壊しを待ってジっとたたずんでいます。
弟を助けてくださってありがとうございました。
その壁面には長い間のご愛顧を感謝する言葉が記されていました。
辺り一面の建物が取り壊しが進んでいて、ここも、あと少しするとなくなっていくのですね。
朝、母のラジオ体操が終わるのを待って、一緒に散歩に参りました。
「どっち方面に行く?」とたずねると、「工場の方」とな。
やっぱり、家業が気になるんですね。
マルキ小山平八商店の、魚市場前工場を建てていると社長である叔父から聞いていました。
オ!ありました、ありました。
辺り一面が、そのままの状況なので、すぐにわかります。
ここまで来るのに、皆さんがどれだけの苦労をしてきたのでしょう。
従業員の皆さんも、経営者側も、みんなみんな、辛い辛い時を過ごしていますが、こうして形になってくると嬉しいですね。
それにしても、、、です。
国も、県も、市も、あまりに対応が遅すぎて、みんな自分でやっているのです。かさ上げも下水処理も。これで行くゾという決断は、本当に本当に胃が痛むような決意。
何かは決まっているのかもしれないけれど、それは被災地には何も見えない。
こういう時には、国のリーダーシップがどれだけ必要かということを感じる日々でございます。
「第61回 気仙沼みなと祭り」の歳後は「はまらいんや踊り」です!
今年は田中前の「大通り」を会場に、いくつも団体が練り歩きます。
「はまらいんや」という踊りは、一応、基本となるものはあるものの、皆さんが、自由な振り付けで踊るのもまた楽しいのです。
Re:US(リアス)の皆さんは、そろいの半天もバッチリ決まって、踊りも決まってすばらしいですね!
気仙沼中学校の部には、甥っこが出ます。
来た、来た!
オオーイ!ともちゃーーーーーーーーん、と4人が叫びます。
トモちゃんが気づきました。照れくさそうです。
トモちゃんは次男でして、お兄ちゃんは生まれた時から脚光をあびて育ちましたが、次男は注目される機会が少ないらしく、こういう時は多いに照れるそうです。それを知っていて、なおかつ、「トモちゃーーーーーん!」
写真は撮れなかったけれど、「わけすたづ(若い人達)」というグループは、おだづなよTシャツを着て踊ってくださいました。
ありがとうございました!
「第61回 気仙沼みなと祭り」のパレードの途中ではありますが、弟が仕事が終わったというので、車に乗せてもらってお墓掃除に参りました。
菩提寺は宝鏡寺。
弟夫婦と母と私の4人で、セッセとお掃除。
昨日のうちに買っておいたお花を持って。
お花は、紫市場の「塚本さん」と、母のアパートの近くの「なかよしさん」で購入しました。
私の実家の先祖代々の墓、そして、叔父さんやご本家にも参り、そしてそして、今は気仙沼には住んでいないという親戚のところもまわります。
祖母が生きていたころは、山を3つも4つも参りましたっけ。
それには及びませんけれど、こちらは誰それのお墓、そして、こちらは誰さんのお墓と、母がいちいち解説してくれるので、やっぱり、あちこち参りました。
祖母の台詞を祖母の代わりに申します。
「これっさ、これっさ、まぶりの神にならはらせ」
(どうぞ、私達を見守ってくださいね)
「第61回 気仙沼みなと祭り」のパレードがあります!
あの大震災があって、昨年はお祭りは中止。
2年ぶりのパレードです1
・・・と、その直前に、母の友人が仙台からいらっしゃるというので、いったん本町のアパートに引き返し、再び、田中前に移動、なんてことをしていましたら、フェンシングで銀メダルをとった千田選手のパレードは終了してしまったとか。誠に残念。
本来であれば、母も参加するはずだった「婦人会」による「気仙沼音頭」
そろいの浴衣が流されてしまったと母は連絡も取らずにいたようですが、今年はTシャツ参加の方もいらっしゃいましました。
母も来年は出るかな?
(見ていると、祭りの血が騒ぐようです)
自衛隊の皆さんには、沿道から「ありがとう」の声が多くかかりました。
あの時のはたらきは、被災地はずっと、ずっと忘れません。語り継いでいくことでしょう。
ありがとうございます!
気仙沼商会さんは地元のキャラクター「ほやぼーや」で登場。
現社長は、同級生の弟さん。がんばってますのー。
気仙沼には、震災前に「コヤマ山荘」という喫茶店がありました。
「バナナジュース」は、ちょっちした伝説というのか、皆さんの思い出がいっぱい!
なぜって、昔々、女子高だった母校(鼎が浦高校)の、数少ない「許可された喫茶店」だったコヤマ山荘。
女子高生のみならず、それを狙ってか?男子校生も通うわけで、そこで一番人気がバナナジュース!
今日は一日限りの「コヤマ山荘」がお目見え。
母と頼むは、やっぱり「バナナジュースお願いします!」
オー、これこれ。
「美味しいね」と母そして娘。
母と2人でも、よく行きましたね。コーヒーも美味しかったね。
あの2階の窓から、下を行き交う車の波を、なにげなく見ているという、あの風景を思い出します。
バナナジュースを飲んでましたら、気楽会の皆さんが大勢いらしてました。
気楽会さん、元気ありますのー。
本当に良い仲間ですね。まぶしいですゾ!
「第61回 気仙沼みなと祭り」初日の夜は、花火大会と海上うんづら、そして、灯籠流し。
母は「浴衣を来て行く!」とな。
被災地は「楽しみ」もない状態が続いてますから、母なりの、精一杯のおしゃれをして行きたいのでしょうね。
海上うんづらは、地元の青年会の皆さんが盛り上げてくださいます。
これは船の上に、このような飾り付けをして、そして、太鼓と笛が賑やかに盛り上げてくださいます。
震災後に、よくぞ、ここまで頑張りましたね。
涙をこらえるのに必死になりながら、拍手!
花火大会は、私の実家の前がメイン会場なんです。
今日も、私の実家跡地には、警備員さんが立っていました。
生まれてこのかた、気仙沼みなと祭りに「行く」のではなく、皆さんが「いらっしゃる」状態だったから、今夜のように「行く」という行為が初めてであることに、歩いていて気づきました。
人が多くて、歩くこともままならず、なかなかに大変でございます。
これまで、自宅にて、冷やしたビールやスイカをふるまったり、椅子を出して座って頂いたりとしていましたが、そういうことは遠方からお越しの方にとっては、ありがたいことだったのでしょうね。
灯籠流し。
私の父や、祖父母、母方の叔父達の名前の灯籠も作りました。
母と一緒に手をあわせます。
何とも言葉に出来ぬ思い。
「海と生きる」
これは気仙沼市が震災後に打ち出したキャッチコピー。
私は、そして気仙沼の人はみな、海とともに生きてきたのだなぁ〜とつくづく思いました。
あんなに大変な大震災が起きてもなお、この地を離れることが出来ないのでございます。
気仙沼の南町、紫市場近くで「武山米店」さんがテントで出店されてました。
兄ちゃんと弟。
「げんきだま(100円)」は目の前で売り切れて、「のりもち(2ケで200円)」をいただきました。
これがですねー、美味しいのなんの!
醤油というか付ダレは特性でしょうか。
いいお味です。
お餅も実に美味しくて、今日一日だけとは惜しいですね。
ここにある赤い入れ物を見て母が「あら〜!ほけ!」と思わずいいました。
「ほけ?」
「そうそう、この朱塗りの入れ物、ふたには家紋が入っていて、ごす餅入れるのっサ、おらいにもあったのに、流されてしまったやー」と母。
(注:ごす餅(ごしもち)は、家を建てた時、屋根をあげる際に「建て前」というのをします。その際に餅を巻くという風習があり、その時に餅を入れるために、この「ほけ」を使うという縁起の良い入れ物だそうです)
そして武山さんの家紋を見ると、「あら!うちと同じ、だきミョウガの紋」
ただし、まわりの丸いところが、オヤマ家は二十線ですが、武山さんのところは太めの1本線という違いはあるようです。
なんて事を忙しい店頭で母があれやこれや。
そんな話にも優しくつき合ってくださってありがとうございます。
武山さんもお店が被災しました。
みんな大変な中、一歩でも前へ。がんばりましょうね。