仙台城というのが正しいのだろうか?青葉城

弟も今日は仕事が休み。
息子達の部活も休み。

珍しく、休みが一致しまして、「どこかに行こう!」
一番行きたがっているのは弟本人ですけど(^ー^)。
中学生と高校生の息子が父ちゃんにつき合ってくれるなんて、いい家族ですよ、ホント。

私は夕方の新幹線で東京に戻らなくてはいけません。
それで、仙台の「仙台市博物館」で「インカ帝国展」をしているから行ってみようということになりました。

弟が運転してくれて、家族の夏休み。
ところが・・・博物館は月曜日はお休み。
あれ〜〜〜、今日は月曜でしたっけ?
(休みボケでございます)

そうそう、この博物館の前を、「仙台ハーフマラソン」で走りました。
ここは良いところですね〜。
まわりにも大きな建物がいくつもあって、何だろう?と思ってましたら、それは東北大のキャンパスでした。こういうところで学んでいるのですか。なかなか良いキャンパスです。

それはそうと、「せっかくだから、青葉城も行こう」と言うと、なんと!高校生と中学生の子供達は「行ったことがない」とな。

エ?
修学旅行で行かないの?

私は小学校6年生の修学旅行が、仙台・松島でした。
甥っ子たちの修学旅行は福島の方まで行くそうで、逆に仙台・松島には行ったことがないとな。へぇー、そういうものでしたか。

ドレドレ、行ってみますか。
ところで、私以下、全員、何十年前に来たっきり(^ー^)。
しかも、バスで連れて来て頂いたので、どうやって行くかわからない(^^;

「博物館の駐車場に車を置いて歩いていく?」とか言ってましたが、博物館の警備員さんに道を教わって車で移動。予想以上に遠いというか、坂道を上がるというか、こりゃ、歩いていたら母なんか熱中症になっちゃったんじゃないの?(^ー^)。

車を駐車場に停めると、まずは「宮城縣護國神社」がありました。
以前からあったようですが、立ち寄るのは初めてです。
仙台らしく、七夕の飾り付け。

中には、靖国神社のように戦没者の写真が、市町村ごとに分けられてありました。
「気仙沼市」の方も多くいらっしゃいます。
そして、戦艦大和の模型なども展示してありました。

私達の青葉城の思い出といえば、伊達政宗像の前で記念写真を撮ったことぐらいですが、その像は今もありました。
しかし、その前には、記念写真用の階段上の椅子というか、そういったものがありません。
みんな、どこで記念写真を撮るのだろう?
記念写真撮らないのかしらん?

伊達政宗そして「仙台城」(青葉城ではなくて仙台城と呼んでました、仙台城の方が正しいのか!)のCGを見せてくれるところもあって、なかなか見応えもありました。

子供達にも良い歴史の勉強になったかな?
母は、孫といる時が幸せそうに見えます(^ー^)。

良い夏休みをありがとね!

弟の家の跡地

母と朝の散歩をしています。
魚市場前から内ノ脇辺り。
この辺りの被害は大きくて、母は一人では来れないのです。
そこで私をうながして「くんちゃんの家も行ってみよう」と、弟の家の跡地に向かいました。

実家がある魚町以上に、この地に来ると、胸がしめつけられます。
それは、弟の家が建ててから、まだわずかに4〜5年しか経っていないからでしょう。

弟と嫁がアパート暮らしをしてセッセと貯金して、やっと子供達にも部屋が出来て、2階には子供用ですけど卓球台を置いて、帰るたびに家族で卓球に白熱した思い出、それらすべてが、津波ではなくて火災で消えてしまったのです。

火災はすべてを燃え尽くして、何一つ残らなかった。

家にあがるまえに、このように階段をこしらえて津波対策をしていました。
階段の手前は駐車場で、3〜4台停めることが出来ます。

さらに玄関に入る手前にも階段を付けて、家を津波から守っていました。
その対策がよくて、津波の被害はあったものの、なんとか住めるね、と話していたようです。

311の数日後の火災で、そのあたり一帯がすべて焼けました。
お隣さんも、お向かいさんも。

頑丈に作った土台がむき出しに残っています。
ここを見ると、涙をこらえるのが大変です。
それでも、一歩、前に進もうね。

気仙沼のクリスタルビル

弟が命からがら逃げ込んで助けていただいた「クリスタルビル」は、取り壊しを待ってジっとたたずんでいます。
弟を助けてくださってありがとうございました。

その壁面には長い間のご愛顧を感謝する言葉が記されていました。
辺り一面の建物が取り壊しが進んでいて、ここも、あと少しするとなくなっていくのですね。

新しいマルキの工場

朝、母のラジオ体操が終わるのを待って、一緒に散歩に参りました。
「どっち方面に行く?」とたずねると、「工場の方」とな。
やっぱり、家業が気になるんですね。

マルキ小山平八商店の、魚市場前工場を建てていると社長である叔父から聞いていました。

オ!ありました、ありました。
辺り一面が、そのままの状況なので、すぐにわかります。

近くに行ってみましょう!
オオ!

さらに近くに参りました!
オオオオオオ!

ここまで来るのに、皆さんがどれだけの苦労をしてきたのでしょう。
従業員の皆さんも、経営者側も、みんなみんな、辛い辛い時を過ごしていますが、こうして形になってくると嬉しいですね。

それにしても、、、です。
国も、県も、市も、あまりに対応が遅すぎて、みんな自分でやっているのです。かさ上げも下水処理も。これで行くゾという決断は、本当に本当に胃が痛むような決意。

何かは決まっているのかもしれないけれど、それは被災地には何も見えない。
こういう時には、国のリーダーシップがどれだけ必要かということを感じる日々でございます。