気仙沼のあさひ鮨

「第61回 気仙沼みなと祭り」の花火大会の途中、母と「あさひ鮨」さんに入りました。
「あさひ鮨」さんは南町にある仮設店舗「紫市場」の中にあります。

花火が終わってからは混みましょうから、花火が終わるちょっと前に。
ラッキーなことにカウンターに2人分だけ、偶然に空いていて、座らせて頂きました。

特上のお寿司。美味しすぎます!

震災前に南町にあったお店にも、家族で参りました。
店主の村上さん、お元気でお寿司をにぎってらっしゃいます。
気仙沼にお越しの際には、どうぞ、足をお運びくだしませ。

壁にかかっていた「絵」は、村上さんが書かれていて、震災にあっても絵も助かって良かったですね。

第61回 気仙沼みなと祭り

「第61回 気仙沼みなと祭り」初日の夜は、花火大会と海上うんづら、そして、灯籠流し。

母は「浴衣を来て行く!」とな。
被災地は「楽しみ」もない状態が続いてますから、母なりの、精一杯のおしゃれをして行きたいのでしょうね。

海上うんづらは、地元の青年会の皆さんが盛り上げてくださいます。
これは船の上に、このような飾り付けをして、そして、太鼓と笛が賑やかに盛り上げてくださいます。

震災後に、よくぞ、ここまで頑張りましたね。
涙をこらえるのに必死になりながら、拍手!

花火大会は、私の実家の前がメイン会場なんです。
今日も、私の実家跡地には、警備員さんが立っていました。

生まれてこのかた、気仙沼みなと祭りに「行く」のではなく、皆さんが「いらっしゃる」状態だったから、今夜のように「行く」という行為が初めてであることに、歩いていて気づきました。

人が多くて、歩くこともままならず、なかなかに大変でございます。
これまで、自宅にて、冷やしたビールやスイカをふるまったり、椅子を出して座って頂いたりとしていましたが、そういうことは遠方からお越しの方にとっては、ありがたいことだったのでしょうね。

なんてことを思いながら、花火を見ていました。

灯籠流し。
私の父や、祖父母、母方の叔父達の名前の灯籠も作りました。
母と一緒に手をあわせます。
何とも言葉に出来ぬ思い。

「海と生きる」
これは気仙沼市が震災後に打ち出したキャッチコピー。
私は、そして気仙沼の人はみな、海とともに生きてきたのだなぁ〜とつくづく思いました。
あんなに大変な大震災が起きてもなお、この地を離れることが出来ないのでございます。

気仙沼/武山米店さんの「のりもち」美味しい

気仙沼の南町、紫市場近くで「武山米店」さんがテントで出店されてました。
兄ちゃんと弟。

「げんきだま(100円)」は目の前で売り切れて、「のりもち(2ケで200円)」をいただきました。

これがですねー、美味しいのなんの!
醤油というか付ダレは特性でしょうか。
いいお味です。
お餅も実に美味しくて、今日一日だけとは惜しいですね。

ここにある赤い入れ物を見て母が「あら〜!ほけ!」と思わずいいました。
「ほけ?」
「そうそう、この朱塗りの入れ物、ふたには家紋が入っていて、ごす餅入れるのっサ、おらいにもあったのに、流されてしまったやー」と母。

(注:ごす餅(ごしもち)は、家を建てた時、屋根をあげる際に「建て前」というのをします。その際に餅を巻くという風習があり、その時に餅を入れるために、この「ほけ」を使うという縁起の良い入れ物だそうです)

そして武山さんの家紋を見ると、「あら!うちと同じ、だきミョウガの紋」
ただし、まわりの丸いところが、オヤマ家は二十線ですが、武山さんのところは太めの1本線という違いはあるようです。

なんて事を忙しい店頭で母があれやこれや。
そんな話にも優しくつき合ってくださってありがとうございます。

武山さんもお店が被災しました。
みんな大変な中、一歩でも前へ。がんばりましょうね。

山を越え行こうよ

気仙沼では、今日と明日、「第61回 気仙沼みなと祭り」を開催しています。
母と一緒に、気仙沼小学校を通って、南町、紫市場(仮設店舗)に行ってみましょう。

どこかに行くときに、「ざわざわ」という急な坂道を通ります。
気仙沼は「海」を連想されると思いますが、想像以上に山が多く、坂道が多いのです。

震災で沿岸地域が被災してしまったため、どこに行くにも山を超えて歩いております。

ランナー的には、どこでも坂練が出来る!というものですが、年配の方には厳しい坂道でございます。

気仙沼市役所にはおめでとうの文字

朝起きて、ラン&ウォークに行ってみました。
気仙沼市役所の前を通ると、ありました、ありました!
「祝 千田健太さん銀メダルおめでとう!」
「祝 菅原智恵子さん七位入賞おめでとう!」

そして
「祝 佐藤真海さん(パラリンピック)出場おめでとう」の文字!