ダンスパーティ2012@つくば

今日は、義姉夫妻が講師を務めております「ホワイトダンス教室」の「ダンスパーティ」です。
社交ダンスですぞ!

夫婦で共通の趣味があるっていいですよね。

会場は、昨年と同じ「オークラフロンティアホテルつくば」です。

天気予報では、あいにくの「台風!」
遅くなると、帰れない可能生もありますが、まぁ、その時はその時ですね。

こちらのダンス教室では、ご年配の方が多いのです。
最年長は、91歳のおばあちゃまだそうです。

皆さん、お若いですねー。
音楽に合わせて、身体を動かして、他人とふれあって、それが若さの秘訣でしょうか。

発表の合間に「ダンスタイム」があって、自由に踊ることが出来ます。
せめて、ダンスタイムの時に踊ってみたい。ワルツぐらいは踊れるようになりたいものです。

今日はすっかり見とれてしまって、写真を撮らないでしまいました。
義姉が美しかったですよ〜。

その姿を見てますと、ダンスしてみたいという衝動にかられるほどでした。

内藤新宿300RC:第14回・新宿ー高遠駅伝

「内藤新宿300RC」という仲間での最大イベント「新宿ー高遠駅伝」でございます!

今年は14回目!
14年も続いていることは本当にすばらしい。

新宿駅南口を出発し、タスキをつないで長野県伊那市高遠町役場前までランをします。一日では辿り着けないため、A班とB班に分かれます。

 A班:新宿駅南口から勝沼まで(その後は車で高遠まで)
 B班:車で勝沼まで行き、勝沼から高遠町役場まで

私は今年もA班で走ります。
といいますのも、明日、用事があって、宿泊が出来ないのです。
なので、A班を走った後に、電車で東京に戻らなければなりません。

いつものスタート地点で記念撮影!

そして1区の方がスタート!
我々は、車で並走です。

今年はまずは3区を走ります。
初めての一人旅で不安がいっぱい。無事にタスキをつなぐことは出来るのでしょうか?

3区は、11.6kmあります。
途中で、一カ所、大きく左に曲がるところがあるが、それ以外はまっすぐ道なりに進んでくださいとのこと。
2区の人からタスキを受け取りました。

思いのほか、暑いです。
この数日は涼しい日が続いていたので、暑さはこたえます。

そして、「秋の交通安全」期間中ですから、信号のたびにキッチリと止まって待たなければなりません。
とかなんとか、思っていたら、道を誤りました。

甲州街道は20号をまっすぐ行くのですが、途中で旧道を走ります。
その道は256号となるのです。
そこで、誤ってしまいました。

曲がり角には、ガイドの人が立って待ってるからというのに、その角には人がいなかったから、おかしいなぁと思ったら、ヤッパリ!
不安な気持ちを押さえつつ戻って、本来の道を参りました。

私のタスキはダンナにつなぎます。
伸び盛りのダンナでございます。
足取りも軽やか(^ー^)。

タスキはつながります。
私はもう1区間を走ります。
6区。

今回の3区、6区ともに初めてのコースです。
思いのほか6区は坂道がありました。なだらかに上ったり、下がったり。
気温も高くなり、なかなか辛いコース。10.2km。

皆さんがエイドをしてくださったり、応援してくださるので、タスキはつながりました。

またまた、私のタスキはダンナにつなぎます。
ダンナのコースは13km以上もあります。
加えて、アップダウンのコース。

一緒に走るのは会長さん。
会長さんは御年68歳というのに、とても速いんです。
キロ4分台でタスキをつなぎます。
ダンナは、それに比べると遅いけれど、キロ5分強という好成績でタスキがつながりました。

今年も「笹子峠」は工事のため、車の通行は出来ません。
この峠を走るのは、大変な坂道の連続です。

A班のゴールを見届けることは出来ずに、甲斐大和駅から中央本線にて東京に戻ります。
今夜は高遠で打ち上げがありますのに、後ろ髪を引かれつつ、帰る電車では爆睡(^ー^)。

皆様、今年もありがとうございます。

私の成績は、3区が1:05:23、6区が57:23。
どうにかキロ6分は切りましたが、あと少し、あと少し速くなりたいものですね。

第3回KSBフォーラム「津波のまちに生きて」

KSB(気仙沼サポートビューロー)では、
第3回KSBフォーラム「津波のまちに生きて ~歴史・民俗からみる気仙沼とその復興」を開催いたしました。

場所は、飯田橋の「東京しごとセンター」の会議室。
時間は、19時〜21時。
会費は、1,000円(学生500円)

本日の講師にお招きしましたのは、川島秀一先生。
震災前までは、気仙沼の「リアスアーク美術館」の副館長を務められていました。
今年の春からは気仙沼を離れて、神奈川大学日本常民文化研究所研究員を務められています。

「三陸の歴史を知らずして、真の復興はない」と明快に話されます。

川島先生のお宅は、私の実家から近いところにありました。魚町。
先生のお宅は跡形もなくなり、お母様であった京子先生(私達の高校の恩師です)は、津波の犠牲になってしまいました。

「この地に住む者は、いつも津波を意識している」
特に魚町は、気仙沼の中でも、海に面している土地ですから、これまでも津波による小さな被害はしょっちゅうありました。

「いざという時の準備というのか、そういうことはしているんですね」と話されます。

「写真はネガを、紙の資料は全て複製をとって仕事場にも置いていた」そうで、そのおかげで資料は無事だったそうです。

しかしながら、録音テープは全て流されてしまい、惜しい事をしたと話されていました。

冒頭に、とあるお宅の写真が映し出されました。

そのお宅は、只越にあって、津波対策のために1階部分は駐車場のようでした。震災前のものです。高床式とでもいいますか、2階以上に人が暮らしていたのですが、次の写真に言葉を失いました。
同じアングルから撮った写真は、2階に上がる階段を残しただけで、全て流されてしまっている。

あの津波が、どれだけ想定外だったか。

しかしながら先生は「歴史を知ることで、これを防ぐことが出来たはずなんだ」と力説されます。

スライドでは、気仙沼の地図が映し出されました。
その地図を使って、江戸時代中期に埋め立てられた場所を指し示してくださいました。

気仙沼は「自然の良港」などと言われるが、実は「緻密に計算された人工の良港である」と言います。
気仙沼が良い港といえる2つの条件は、
・風をよける港
・風を待つ港

気仙沼には「室根おろし」といって、風が吹き、それが船を押し出してもいるそうです。

江戸時代の人の知恵がなし得た技。
先生は、たまたま工事の際に立ち会い、その深く掘ったところから、江戸時代の埋め立ての技術を見る機会があったそうです。その技術力の高さ、仕事の丁寧さには驚かれたそうです。

数ある地震や津波によって被害を受けていたのは、昭和・平成に埋め立てたエースポート辺りであり、江戸時代の埋め立ては、時間をかけてシッカリと作業したのでしょうか、しっかりしたものであることに、什器の乏しい時代の丁寧な仕事がわかります。

今回の大津波は、気仙沼の、江戸中期の埋め立てたところ全てを飲み込んでしまいました。

特に被害がひどかった内ノ脇地区は、昭和の始めの頃までは「海苔の養殖場」、鹿折地区は「塩田」があったそうです。

先生のお宅があった辺りは、江戸時代には何もなかった土地。

昭和の「埋め立て工事」は、発展の象徴だったと先生は言います。
私も覚えています。
家から見える港町地区は、ドンドン埋め立てて拡張していました。
そこに広い道路が出来て、広がっていく様を見るのは嬉しいものでした。

気仙沼にも「防潮堤」を作る話が上がり、反対意見も多いのです。
このお話を聞いていると、果たして「防潮堤」を作るというよりも、根本的に「住んではいけない地域」として、高台への移転を急ぐべきではないかと思います。

気仙沼は4回の大津波にあっています。
・明治29年
・昭和8年
・昭和35年
・平成23年

120年に4回の大津波は「津波が多い」と言える土地です。

そしてまた、津波の他にも「大火災」が町を焼きつくしました。
大正4年、昭和4年の大火。
昭和4年の大火後の魚町の写真を見せて頂きました。

私の祖先が暮らした辺りも、何一つなかった。
今回以上ではないかと言えるほどの「火災での壊滅的な被害」
そんな中から立ち上がって今日があるのが気仙沼なんですね。

その大火の後、岩手県から気仙大工が来て「あっという間に作った」というほど、当時は財力もあったようです。

昭和6年に高村光太郎が気仙沼に来ますが、そこがあまりにも(復興のために)騒々しいので(東北のひなびた静かなところを目指していた光太郎は)幻滅して一泊もしないで、気仙沼を後にしたほどだそうです。

それにしても、埋め立てたところが、ことごとく被害を受ける様に先生は「すべてを否定されたような感じ」と言いました。
私も同じ印象を持っています。

気仙沼、そして三陸地方には、たくさんの記念碑が立っています。
明治の碑は漢文で難しく、村人が読んでいるようには見えない碑であるのに対して、昭和の碑は標語になっていて、誰にでもわかりやすいものになっているのが特徴です。

また、明治は供養費が多く、昭和は記念碑が多いのですが、昭和では朝日新聞が寄付を募り、そのお金を利用して建ててくださったことにもよるようです。

岩手県では「ここまで津波がきたよ」という場所に建てているが、宮城県はそういうきまりはないようです。

「津波石」というのが残っています。
あえて残そうとしたことにもよるそうですが、これは三陸に限ったことではなく、沖縄、宮古島、いらぶ島などには有名な場所があるそうです。

海で暮らす人達に共通するのは、津波さえもが「海からの贈り物」という考え方もあるということ。

例えば、大漁と津波の関わりということがあり、
津波の前年:いわしが大漁
後:いかが大漁

そういうことから「いわしで殺され、いかで生かされた」などといった言い伝えもあるとか。

また、三陸地方では、「水死者、魚介類を同時に拝んでいる」という点も興味深いそうです。
気仙沼では「早稲(地名)の踊り」の中に「かつお釣り」という踊りがある。
かつおの供養と、来年の祈願をする踊りだそうです。

そうやって、海に暮らす人達は、海からも恩恵を受け、そうして海によって被害ももたらされ、その中で折り合いを付けて生きているのだなと改めて思いました。

気仙沼の人達にも、川島先生のお話を聞いて頂く機会を持てたら、、、と思った次第です。

川島先生、貴重なお話をありがとうございました。

健康診断の結果はガックリ。

先日の健康診断の結果が届きました。
バッチリだろうと思って封を開けてみましたら、あらららららら。

中性脂肪が高く、マンモグラフィーの結果もちょっと、初めて心電図の方もなにやら。
「経過観測」レベルですけれど「食事の見直しと、適度な運動」とな。

適度な運動しているつもりだし、食事も野菜を多めにしているつもりなんですが、昼は外食だからなぁ。それに「ご飯」の量が多いのかもしれません。健康診断の前夜9時半過ぎまで飲んでしまったのも影響しているのでしょうか。

それよりも、寝る直前の食事が一番いかんですよね。
食事の量を変えるのは辛すぎるけど、時間帯を見直しましょうゾ。
それなら出来そうな気がします。

特に、、、夜中のラーメンね、あれは、ダメ過ぎる〜。
走ってるから、このくらい、いいかなーなんて甘かったわ。

以前、40歳を過ぎたら、急にアチコチにきちゃったけど、今度は50歳を過ぎて、さらに一段とアチコチにきそうな予感です。

小太郎は回復しつつあります

ご心配をおかけしました。
小太郎は、その後も投薬にサプリメントを加え、エサも消化器系に良いものにして様子を見ておりましたら、先日の検査で、数値が回復傾向にございます。

良かった。ヤレヤレ。
まだ、肝機能の数値が標準値を越えてはいるものの、一時期よりは良くなりました。

体重は2.8kgから3.0kgに増えました。
本当は3.5kgぐらいが、ちょうど良いようですから、もう少しではありますが、また投薬とサプリメントで様子を見ることになりました。

お互いに、年をとりましたのぅ。小太郎君。

今年の社長の成績

今日はテレパスの「取締役会」と年に一度の「株主総会」がありました。
決算報告です。

零細企業ですけれど、年に一度、業務を見直し、深く反省し、、、明日に向かって進むのでございます。
この報告書が社長の成績表。

数値でハッキリと出ますから、四の五の言い訳することも出来ません。
世の中もこうで、ああですから、と言ってもしょうがない。
そんなこんなを繰り返し、テレパスは創立から20年が経ちました。

株主の皆様からは厳しいお言葉もございます。
それはそうです。出資してくださった皆様のご期待に応えなければなりません。
それをシッカリと胸に刻みまして、明日に向かって、また一歩、そしてまた一歩進みましょうゾ!

CSS Nite LP24

CSS Nite LP24」に参加しました。
「インハウスSEO」がテーマです。
SEOとつくテーマは、なるたけ出るようにしています。

Googleのアルゴリズムとか、リンクペナルティの事とか、諸々、、、ずっと追っていないと、アレっていう間に変わるから、大変ですよね。

今日は本当にためになりました。

このようなスケジュールでした。
「インハウスSEO – 成功する担当者 失敗する担当者」渡辺隆広氏

「海外企業インハウスの構造と対策にみるインハウスSEOのあり方」ハント肇子氏

「Ask The SEOs」パネルディスカッション
 鈴木謙一氏、Bill Hunt氏、山田研一氏、田中樹里氏、三澤直哉氏、安田英久氏

「Googleの最新動向から見るSEO会社の使い方
~ペナルティ・アラートへの対応とインハウスSEOにおけるSEO会社を使うポイント~」木村賢氏

「外部リンク獲得のためのコンテンツプランニング
〜プランニングを成功させるために重要なたったひとつのこと〜」松尾茂起氏

「事例で考える『SEOの力』」辻正浩氏

蒼々たるメンバーのプレゼン、最後に全員がステージに並びました。拍手!

マラソン完走クラブ(60回目):駒沢公園

「マラソン完走クラブ」の練習会に参加しました。駒沢公園です。

8時半に集合して、2時間の「給水給食ラン」です。

いくつかのグループに分かれます。
私はキロ6分のスタッフさんに付いていくことにしました。
ダンナも同じグループ。

給水の時に付いていけなくなっちゃうので、そこは400mほどお休みをして、向こうから来る波に入るという選択をしました。キロ6分をくずすと付いていけなくなりそう。
5kmごとに給水・給食をとり、3回目だけは休まずに、少し離れたところから付いていくという方法にしました。

なんとかキロ6分に付いていき、最後の2.5kmは少しだけベースアップ。
そして、途中でお休みした800m分を追加で走って、おおよそ2時間3分でした。
今日はこれで上出来ですが、サブ4を狙うのであれば遅い。
やっぱり、サブ4は遠いですのー。

ところで本日は、ロンドンパラリンピックで活躍した和田選手が京都からいらしています。
マラソン完走クラブの代表の中田さん、そして志田さんが伴走を務めたのです。

5000mは銅メダルです!
その銅メダルを触らせて頂いて、写真も撮ったり、ワイワイガヤガヤ!
メダルは想像以上に重いです。そして大きい!

和田選手は引っ張りだこ。

その後の「報告会」では、ダンナがメダルを首からかけてもらっています。いいなぁ。私は用事があって「報告会」には出られませんでした。残念です。

中央が和田選手、右側は中田さん。おめでとうございます!
日本代表のシャツも輝いてますね!