「第61回 気仙沼みなと祭り」初日の夜は、花火大会と海上うんづら、そして、灯籠流し。
母は「浴衣を来て行く!」とな。
被災地は「楽しみ」もない状態が続いてますから、母なりの、精一杯のおしゃれをして行きたいのでしょうね。
海上うんづらは、地元の青年会の皆さんが盛り上げてくださいます。
これは船の上に、このような飾り付けをして、そして、太鼓と笛が賑やかに盛り上げてくださいます。
震災後に、よくぞ、ここまで頑張りましたね。
涙をこらえるのに必死になりながら、拍手!
花火大会は、私の実家の前がメイン会場なんです。
今日も、私の実家跡地には、警備員さんが立っていました。
生まれてこのかた、気仙沼みなと祭りに「行く」のではなく、皆さんが「いらっしゃる」状態だったから、今夜のように「行く」という行為が初めてであることに、歩いていて気づきました。
人が多くて、歩くこともままならず、なかなかに大変でございます。
これまで、自宅にて、冷やしたビールやスイカをふるまったり、椅子を出して座って頂いたりとしていましたが、そういうことは遠方からお越しの方にとっては、ありがたいことだったのでしょうね。
灯籠流し。
私の父や、祖父母、母方の叔父達の名前の灯籠も作りました。
母と一緒に手をあわせます。
何とも言葉に出来ぬ思い。
「海と生きる」
これは気仙沼市が震災後に打ち出したキャッチコピー。
私は、そして気仙沼の人はみな、海とともに生きてきたのだなぁ〜とつくづく思いました。
あんなに大変な大震災が起きてもなお、この地を離れることが出来ないのでございます。