気仙沼に向かいます

用事があって気仙沼に帰ります。
「社会イノベーター公志園決勝大会」と「創造的復興フォーラム」です。

東京駅、東北新幹線は「夏休み」らしい絵がほどこしてあります。

中を点検、清掃してくださる方々の服装も夏らしくてよろしいですねぇ。

一ノ関で大船渡線に乗り換える時に、お弁当「平泉うにごはん」を買いました。

たいして期待してなかったけど美味しいです(^ー^)。
量は少ないめで女性にはいいかも。

第2回KSBフォーラム「三陸の再生に必要なものは何か」

第2回KSBフォーラム「三陸の再生に必要なものは何か」を開催いたしました。

場所は、永田町の「星陵会館」の4AB会議室。
時間は、19時〜21時。
会費は、1,000円(学生500円)

本日の講師にお招きしましたのは、昨年の震災後から「JNN三陸臨時支局」にて支局長を務められ、1年間、気仙沼に暮らした龍崎孝さん。
テーマは、「三陸の再生に必要なものは何か」

私は話に聞き入ってしまい、前列に座らせて頂いたというのに写真を撮るのも忘れてしまうほどでした。

内容は、なぜ、被災地に行こうと思ったのか、その理由の根源は極めて個人的な経験によるそうです。
「行かなければ後悔する」と思い、そして1年間を気仙沼で過ごすことになった龍崎さん。

「ヨソモノ」ではあるけれど、あの震災直後の大変な時期に、電気も通ってないような時期に被災者の皆さんとともにそこで暮らしたという経験は大変な説得力です。

「JNN三陸臨時支局」は、気仙沼プラザホテルさんを本拠地にしているけれど、必ずしも気仙沼の話題だけではありません。被災地全域に取材の場を広げていて、そのご苦労は大変なものであったろうと思います。

龍崎さんが話していて「気仙沼」のゲニウス・ロキ(地霊)のお話はおもしろかったと思います。土地の人がなんとなく感じていた事を外からいらした龍崎さんもお感じになったのですね。

気仙沼は「東北ではないような土地」「宮城県でもなく、岩手県でもない」「気仙沼の人は、気仙沼人と言う」そうなんです!
「気仙沼の人は世話好きで、話好きで、好奇心旺盛」とも言ってました。その通りだと思います。

龍崎さんと私は同い年でした。
51歳で気仙沼に暮らし、例えばあと25年あるとして、もう一度、行ってみたい(暮らしてみたい)という思いも、うっすらとあるようです。その時は、私もかの地に住んでいるかもしれませんねぇ。

小太郎その後

小太郎の薬がなくなるので、朝から病院通いでございます。
打ち合わせもあるので、9時に病院に行ったものの、血液検査を受けたり、その結果を待ったり、あれやこれやで結局12時近くまでかかってしまいました。

会社の皆さんに迷惑かけつつ、息子のように大事な小太郎でございます。

小太郎の血液検査の結果は、数値が下がったものもあれば、上がったものもあって、なかなか難しい。
そこで来週は、別の検査に入ります。
小太郎も検査疲れですが、私も少々、疲れ気味の本日でございます。

ふたたびイーモバイル

MacBook Airを買いまして、ちょっとモバイルもしたいなぁ、
気仙沼にも持って帰りたいなぁと思っており、もう一度、イーモバイルの契約をしました。

2009年8月に一度、契約したものの、当時は魚町の実家で入りが悪くて解約してしまったのです。

機種は、発売されて間もないという「Pocket WiFi LTE(GL04P)」じゃ。
約140gの小型・軽量ボディながら、EMOBILE LTEでござるゾ。

退院後の小太郎

先週は入院していた小太郎。
退院後の小太郎について記しておきまする。

小太郎は、いつものように食べているにも関わらず、体重が減ってしまいました。
お腹のあたりの骨もゴツゴツと浮いています。

同じマンションに住む「ミキちゃん」のお母さんからも「小太郎ちゃん、やせたんじゃないの?」と言われるほどになっております。

さて、その原因はというと、胆嚢に炎症が出来ているらしいというものでございます。
「石がたまっている」とか、そういうことではないようです。

そこで、いったん退院しまして、家で薬での療養となりました。

ドッグフードも「消化器」に障害ある犬用を買い込みまして、そちらを与えることになりました。

ドックフードは問題なく食べるのですが、、、
これまで小太郎は、何でも食べる(むしろ、食べ過ぎる)犬でございましたが、

とうとう、薬を残してしまいます。
きっと、本当にまずいのでしょう。

そこで、細かく切り刻んで、ドックフードに混ぜてみたり、、、
メロンに混ぜてみたり、、、
水ようかんに混ぜてみたり、、、

とにかく、色々な方法をとっては何とか腹の中に納めようと必死でございます。

そんな飼い主の努力を知ってか、知らずか、、、、
小太郎は、体重は減ったものの、徐々に元気を取り戻しつつあります。

それでも、この体重の激減は本当に気になるほど。
オーイ、どうして、やせちゃったんだよー?

気仙沼の喫茶店のこと

先日の気仙沼高校・関東同窓会の後、3軒目のお店だったか、だいぶ酔いもまわってきまして、やっぱり出るのは「昔の話」でございます。

当時、私たちの高校は女子校で、それなりに規律も厳しかったのであります。
例えば、「喫茶店に入ってはいけない」というのは、今では「エー!」って感じではないでしょうか。

「喫茶店」では、アルコールが出るお店もありましたから、そういうところで悪い虫がついてもいけないという学校の配慮だったのでしょう。

しかしながら「禁止」としながらも「数軒のみOK」となっていました。OKなお店は、アルコールを置いてなかったように思います。

「法律」を学んだという同窓生が「それって、営業妨害に当りませんか?」って、そうかもしれませんが、当時はそういうものと思ってました。

その数少ない「鼎生・御用達のお店は」というと、
・パド
・珈琲山荘こやま
・紅梅(こうばい)
・藤崎の中にあるパーラー(名前を忘れました)
・丸光の中にある喫茶店(名前忘れました)

だったかと思います。
(記憶違いがあると思いますので、ご存知の方がいらしたらご連絡いただけますでしょうか)

ということで、デートなどの待ち合わせは、もっぱらそういうお店になっていたようです。
気高生(当時は男子校)も、その辺はチェックしてあって、ここなら大丈夫ということで誘ったとか、誘えなかったとか、まぁ、青春時代の思い出でございます。

そういえば、昔は市内に「喫茶店」(アルコールも出る)お店がたくさんあったよね、という話になりました。
「ジャズ喫茶・ヴァンガード」や「茶色の小瓶」、ラーメンも美味しい「喫茶 マンボ」は今もあります。

震災前までは営業していたのは、
・亜紀
・珈琲山荘こやま

そういえば、だいぶ前になくなってるよね、と話したのは、
・アラベスク
・ガトー
・モカ
・門(もん)

もっとあった気がします。

ガトーは、ちょうどJazzを聞き始めた頃に入り、また行こうと思っているうちに時が流れて、そのうちになくなってしまった。大切な場所が、ある日、ポコっと空いてしまった思い出があります。

同窓生らと、あれあれ、それそれ、と名前が出てこないのは年のせいでしょうか、お酒のせいでしょうか。

気仙沼という小さな町に、いま考えると多くの喫茶店があった気がします。
それは形を変えて、「アンカーコーヒー」の明るくておしゃれな空間もあれば、あの震災の後に不死鳥のごとく蘇った「ヴァンガード」のゴリッとしたジャズ喫茶や、小粋なマスターの話が聞きたくなる「茶色の小瓶」や仮設店舗で様子は違っているけれど味はそのまま「喫茶マンボ」があって、それは市民の憩いの場になっています。

そこには珈琲の香りと、文化の香りが、脳のどこかを刺激してくれる不思議な空間として、今も存在しているのだと思います。気仙沼の人は、おもいのほか喫茶店でくつろぐことが好きだと思います。そして、私も。

サービス業の難しさとでもいいますか

小布施見にマラソン」に出場するために長野に行ったダンナが、予約していたはずの長野市内のホテルに泊まることが出来なかった。

「なぜ、宿泊出来なかったのか」事実を確認すると、ホテル方は親切に対応してくださったし、もう後の祭りだから、そのホテルにクレームという形では言わなかった。ホテル名も明記するつもりはない。

私もIT関係の、いわゆるサービス業に従事しているので、自分への教訓として書き留めておこうと思います。

当初、私も出場する予定で、2名で泊まる部屋を探した。
時期すでに遅く、少々、狭いけれど、セミダブルベットが1つに2人で泊まれる部屋を見つけた。

どなたかがキャンセルした直後らしく、とても運が良かった。ツインを希望していたが贅沢を言ってる場合ではない。

ネットの旅行サイトでの予約。
いくつかの旅行サイトでは、私の名前を結婚後のものに修正してあったが、そのサイトでは旧姓のままであった。しかし、モタモタしていて予約出来ないでは困るから旧姓のまま予約した。

ところが、、、犬の小太郎が退院したばかりで、その看病のため私は出場を見送り、ダンナ一人で参加することになった。

この大会には、ラン仲間のイシワタリさんの呼びかけで、気仙沼を応援する「おだづなよTシャツ」を20数名が着用して走ってくださる大事な大会。ダンナと共にお礼をするつもりであった。

ネットでの予約は前日のキャンセルは20%かかる。
それ以前までのキャンセルは無料。
そこで前々日の(木)のうちに、電話でその部屋に一人で泊まりたい旨をホテルに電話連絡した。
2名から1名への変更。

その場合は、いったん旅行サイトの分をキャンセルして、この電話での直接予約にて承るとのこと。料金も1名分の宿泊料は上がった。

ダンナはセミダブルのベッドにゆっくり眠ることが出来るだろうし、もう他に部屋はないだろうから、即答でOKと伝え、予約名が女性であるのはまずいだろうと思い、ダンナの名前での予約にした。

ダンナは元気に出発し、私は高校の同窓会の幹事として、一日じゅう、あわただしくしており、ダンナからのメールも読まずにその日は終わった。
翌朝6時に起きてメールを確認すると、昨日もらったダンナからのメールに「部屋は予約出来てなかったため、ネカフェに泊まる」とある。

エエエ???

ダンナに電話するも出ないので、ホテルに電話して「予約してあったはずだが、、、」とたずねると、

「確かに予約は頂いております。お客様がお見えになっていません」との返答。

???

「では、その部屋は一晩中空いていたのですか?」とたずねると、
「はい」

・・・なのに、どうしてダンナはネカフェに泊まることになってしまったのだろう?

ホテルへの電話を切った直後にダンナから連絡が入った。
「部屋は空いてたんだって」と言うと、
「エエエ、だって、ホテルの人が探してくれて、オヤマリエコの名前ではキャンセルになってるって言ってたよ」
「○○(ダンナの名前)で予約したんだよ」
「うん、思い当たる名前は全部言ったし、紙にも書いたよ、けどないって。その後、小布施の方まで、色々な宿に電話してくれて空きがないか探してくれたんだよ。でも、どこも満室だったんだ」とな。

「クレーム言おうか?」とダンナに言うと
「もう済んだことだからいいよ」ダンナは本当に優しい人なんです。
「それに、他に空いてる宿がないかと、一生懸命探してくれたからね」と。

それでも、もう一度ホテルに電話してみた。
納得がいかなったのであります。
なぜ、予約してあり、確かにその部屋が空いていたし、ホテルの人も手を尽くしてくださったのに、宿泊出来なかったのだろうか?

先ほどと同じ若い女性が電話に出てくれたので、話はすぐに通じた。
私がまず最初に「これはクレームの電話ではないのです。ただ事実関係を知りたいのです。だから教えてください」と告げた。

その方の対応もとても親切で、丁寧です。

いくつかのやりとりをした後に、
「くまだ(私の今の名字です)」ではなく「わまだ」と予約名簿にあるので、それが原因のようですと教えてくれた。

「エエエ? わまだ?」
「はい。通常ですと、お名前の確認はもう少しきちんと行うのですが、それが出来てなかったようです」とのことだった。

「そうでしたか」と言う以外にない。
「申し訳ございませんでした」と、何度も詫びていらっしゃるし、どうしようもないことなので、「教えて頂いてありがとうございます」と電話を切った。

私の滑舌が悪くて「くまだ」が「わまだ」に聞こえたのかしら?
「く」が「わ」に聞こえますでしょうか?
声を出して言ってみた。
私の滑舌が悪いとしても、向こうでも復唱していたのを聞いている。
ホテルの方の滑舌は私よりはよろしくて、どう思い出しても「くまだ様」と言った気がする。

「く」と言ったのに、「わ」と書いてしまったのかしら?

その時! 自分なりに納得いく答えが見つかった。

おそらくその方は、カタカナで書いたのでありましょう。
その時に、確かに「ク」と書いたのかもしれないが、それが「ワ」に見えたのかもしれません。
手書きの時にはあり得ます。

そうして分類する時に、分類は他の方が手がけたかもしれません。「か行」ではなく「わ行」に入っていたのかもしれません。
もし、そうであれば合点がいきます。
自分の気持ちに、これで決着を付けました。

近頃は、ネット予約がほとんどだったので、電話での予約のおもわぬ「落とし穴」を見た気がしました。

ホテルの方は皆さんが親切にしてくださったので、これはクレームではありません。

「言った/言わない」「聞いた/聞いてない」はいつも付いてまわります。
その宿は親切な対応をしてくださったけれど、次に行く時は、ついその宿は避けてしまうでしょう。
そんな些細な誤りが、大事な顧客を失うことにもなるのだなぁと、改めて人と人とのやりとりの難しさを実感したところでもあります。

そこで、改善策を考えました。
やはり、ここは「予約番号」のようなものを併せてお伝えするといいのではないでしょうか。

「予約番号とお名前」というように2つのキーワードがあれば、なんとかなった気はします。なぁ〜んて事を考えてみたりしていました。

気仙沼高校関東同窓会2012

気仙沼高校(と鼎が浦高校)の関東同窓会です!
昨年は震災のために中止となりましたので、2年ぶりです。
会場は、九段下の「ホテルグランドパレス」

私は幹事を務めており、10時から準備開始。
名札を用意して、配布物を整えて、11時から受付を開始しました。
11時半から総会が始まります。
私は受付におりましたため、総会には出席出来なかったのですが、いつもの年よりも総会から参加される方が多かったように思います。震災の後、関東に住む同窓生も「何か出来ないだろうか」と思っていらっしゃいます。

気仙沼からも来賓の方がいらっしゃいました。
遠路はるばるありがとうございます。

12時10分から、懇親会が始まりました。
私は「気仙沼を元気にする会」の代表も務めていることなども手伝って、知り合いが増えてまいりました。あちらのテーブル、こちらのテーブル。すべてをまわることが出来ないのですが、皆さん、暖かく迎えてくださってありがとうございます。

その中でも「魚町出身」が4名が立ち話を。
オダさん、イナバさん、ハタケヤマさん、私。
「魚町をなんとかしたい」という思いは一つです。

同窓生「花柳 寿々菊(すずぎく)先生」を先頭に「気仙沼小唄」と「みしおね」を踊りながら練り歩くという試みも、とても良かったと思います。私も、直前に、少しだけ練習して参加しました。

校歌は3つ歌います。
旧・気仙沼高校(男子校)、旧・鼎が浦高校(女子校)、そして新・気仙沼高校(男女共学)。
中でも圧巻なのは、男子校時代の応援歌です。
「時は流れて」これは戦前に作られたものだそうで、軍歌みたいな感じw。

校歌よりも歴史が古く、同窓生の皆さんの力の入れようがすごいです。我々、女子校にはないものを感じました。

私達の女子校は、校名がいくつか変わっています。
戦前は、
気仙沼実科高等女学校
気仙沼高等女学校

戦後の学校改革でこちらに。
気仙沼女子高等学校

そして、定時制が男女共学であることから、校名から「女子」の文字をはずして、「鼎が浦高校」と名前を変えたのは1951年3月。

女学校時代でしょうか、旧校歌をご存知の皆様から、「そちらも歌いたい!」というご希望が出されて、急遽、伴奏なしで歌うことに。私は初めて聞いたと思います。こちらも残しておきたいものですね。
結果的に4曲の校歌と応援歌1つ。

15時までという懇親会は、あっという間に過ぎました。

2次会は近くのイタリア料理店にて行いまして、18時にて解散。
そして、3次会へ。

3次会は、いつもお世話になっております「代々木 魚がし」さんへ。
気仙沼フリークが集まるディープなお店ですw。

こちらは「マンボウ」
気仙沼ではポピュラーな食べ物ですが、皆様にはあまり馴染みがないということを、つい最近まで知らなかったというw、それほどまでに、当たり前に食べている食材です。酢みそで食べるのが一般的。

気仙沼の「かつお」も築地にあがっているそうです。
復活してきました!気仙沼のかつお。お刺身で、美味い!

夜もふけて参りますと、再び、男子校の応援合戦の話題になります。
もう一度「時は流れて」を歌おう!とな。

吹奏楽部出身が、ここの伴奏がこうだったああだったと話は付きません。「三陸の王者も歌おう」と言うので、もう一つの応援歌「三陸の王者」って、タイトルもまた仰々しいですよねw。

この「三陸の王者」を歌いだすと、申し合わせたわけでもないのに、皆さんがいっせいに手拍子を始めました。それが、右手を顔のわきまで上げて、それを振り下ろしてお腹の前で手を叩くという独特のスタイル。全員の手がピタっと合うから圧巻ですよ、ホント。何十年経っても、こういう事って忘れないんですね。

男子校らしく?バンカラな校風だった気仙沼高校。
いまの新・気仙沼高校は、皆がうらやむ男女共学で、さわやかな風が吹いている印象です。母校でありながら母校でないような、くすぐったい気持ちです。

なんだかんだと23時過ぎるまでお邪魔しました。
今年も無事に終わりましたね。
不手際な点もございまして、それは反省会で反省しつつ、来年に備えたいと思います。

先輩方、そして同級生、後輩の皆様、弟の同級生の皆さん、ありがとうございました。
来年、またお会いしましょう〜。

小太郎/退院!

(月)から入院していた小太郎を見舞いに行きますと、今日は黄緑色のテープを巻かれていました。

先生から説明があり、血液検査の結果、数値が下がったものもあれば、逆に上がったものもあります。

全体には良い方向に数値は変化しているので、この後は、自宅で薬で療養することになり、めでたく「退院」と相成りました。

小太郎を連れて帰ります。
おうちはやっぱりイイでしょ?

嬉しそうな小太郎ではございますが、入院疲れとでもいいますか、元気ありません。
元気になってくださいよー、小太郎君。