浦島小学校のこと(気仙沼)

気仙沼市に「浦島小学校」という学校があります。

鶴が浦出身の、私の祖母の母校です。
祖母は大正3年生まれ。当時は分校だったようです。

季節の厳しい時期は浦島小学校で学び、気候が良くなると鹿折小学校まで、長い道のりを仲良く歩いて通ったようです。
児童数が少なかったのでしょうね。

祖母は、オヤマ家にお嫁にきて、その後、何年も、何十年にも渡って浦島小学校に、いくらかしらないけれど寄付を続けたようです。

祖母の出来る範囲で、長く、少しずつ、祖母の性格にあったような支援を長年に渡って続けて、何かの学校の行事にも呼ばれてはイソイソと出かけていったのを記憶しています。

祖母は浦島小学校が大好きだったのでしょうね。
私は一度も、その学校をたずねたことがありません。
今度、帰ったら行ってみましょうと、いつも思っていますのに。

その浦島小学校は、震災によって、児童数が激減したため、来年は統合されてしまうようです。

三陸新報に色々と記事が出ていました。
統合にあたって、「校舎は残すこと」と「鹿折小学校までのスクールバスかなにか、足を確保すること」などが地元の方の希望として話されているようです。

また、大島への橋がかかった後に人口が増える可能生を残し、「休校としてはどうか」といった意見も出ているようです。どこまで実現出来るのか、出来ないのか、これからも注目しております。

祖母は、そして、卒業生の皆様はどのようなお気持ちでいられるでしょうか。

震災の爪痕は、いろいろなところに出ています。