気仙沼高校(と鼎が浦高校)の関東同窓会です!
昨年は震災のために中止となりましたので、2年ぶりです。
会場は、九段下の「ホテルグランドパレス」
私は幹事を務めており、10時から準備開始。
名札を用意して、配布物を整えて、11時から受付を開始しました。
11時半から総会が始まります。
私は受付におりましたため、総会には出席出来なかったのですが、いつもの年よりも総会から参加される方が多かったように思います。震災の後、関東に住む同窓生も「何か出来ないだろうか」と思っていらっしゃいます。
気仙沼からも来賓の方がいらっしゃいました。
遠路はるばるありがとうございます。
12時10分から、懇親会が始まりました。
私は「気仙沼を元気にする会」の代表も務めていることなども手伝って、知り合いが増えてまいりました。あちらのテーブル、こちらのテーブル。すべてをまわることが出来ないのですが、皆さん、暖かく迎えてくださってありがとうございます。
その中でも「魚町出身」が4名が立ち話を。
オダさん、イナバさん、ハタケヤマさん、私。
「魚町をなんとかしたい」という思いは一つです。
同窓生「花柳 寿々菊(すずぎく)先生」を先頭に「気仙沼小唄」と「みしおね」を踊りながら練り歩くという試みも、とても良かったと思います。私も、直前に、少しだけ練習して参加しました。
校歌は3つ歌います。
旧・気仙沼高校(男子校)、旧・鼎が浦高校(女子校)、そして新・気仙沼高校(男女共学)。
中でも圧巻なのは、男子校時代の応援歌です。
「時は流れて」これは戦前に作られたものだそうで、軍歌みたいな感じw。
校歌よりも歴史が古く、同窓生の皆さんの力の入れようがすごいです。我々、女子校にはないものを感じました。
私達の女子校は、校名がいくつか変わっています。
戦前は、
気仙沼実科高等女学校
気仙沼高等女学校
戦後の学校改革でこちらに。
気仙沼女子高等学校
そして、定時制が男女共学であることから、校名から「女子」の文字をはずして、「鼎が浦高校」と名前を変えたのは1951年3月。
女学校時代でしょうか、旧校歌をご存知の皆様から、「そちらも歌いたい!」というご希望が出されて、急遽、伴奏なしで歌うことに。私は初めて聞いたと思います。こちらも残しておきたいものですね。
結果的に4曲の校歌と応援歌1つ。
15時までという懇親会は、あっという間に過ぎました。
2次会は近くのイタリア料理店にて行いまして、18時にて解散。
そして、3次会へ。
3次会は、いつもお世話になっております「代々木 魚がし」さんへ。
気仙沼フリークが集まるディープなお店ですw。
こちらは「マンボウ」
気仙沼ではポピュラーな食べ物ですが、皆様にはあまり馴染みがないということを、つい最近まで知らなかったというw、それほどまでに、当たり前に食べている食材です。酢みそで食べるのが一般的。
気仙沼の「かつお」も築地にあがっているそうです。
復活してきました!気仙沼のかつお。お刺身で、美味い!
夜もふけて参りますと、再び、男子校の応援合戦の話題になります。
もう一度「時は流れて」を歌おう!とな。
吹奏楽部出身が、ここの伴奏がこうだったああだったと話は付きません。「三陸の王者も歌おう」と言うので、もう一つの応援歌「三陸の王者」って、タイトルもまた仰々しいですよねw。
この「三陸の王者」を歌いだすと、申し合わせたわけでもないのに、皆さんがいっせいに手拍子を始めました。それが、右手を顔のわきまで上げて、それを振り下ろしてお腹の前で手を叩くという独特のスタイル。全員の手がピタっと合うから圧巻ですよ、ホント。何十年経っても、こういう事って忘れないんですね。
男子校らしく?バンカラな校風だった気仙沼高校。
いまの新・気仙沼高校は、皆がうらやむ男女共学で、さわやかな風が吹いている印象です。母校でありながら母校でないような、くすぐったい気持ちです。
なんだかんだと23時過ぎるまでお邪魔しました。
今年も無事に終わりましたね。
不手際な点もございまして、それは反省会で反省しつつ、来年に備えたいと思います。
先輩方、そして同級生、後輩の皆様、弟の同級生の皆さん、ありがとうございました。
来年、またお会いしましょう〜。