読書:秋田日記

「秋田日記」熊谷新右衛門・著、伊沢慶治・翻刻、小松 宗夫・現代語解説。

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スローな食に、スローな家。」のKENJIさんからお借りして読んだ。
天保の飢饉、気仙沼は米がとれなくて大変だったそうな。その時に、気仙沼の大工である「熊谷新右衛門」さんが気仙沼を代表して秋田に米の買い付けに行く。その道中を日記に綴ったものを、熊谷さんの子孫が昭和55年に発見し、それをまとめたもの。

おもしろいのは次の記載である。

この気仙沼は仙台藩の北辺、本吉郡北方の区域に合ったが、塩釜、石巻が仙台の玄関港として重視されたのに反して、仙台城下から遠く、ひとり立ち、をしたような港である。したがって有力な地頭も配属されず、代官所があるだけの直轄領で、それだけに町人自治の気風が濃厚であった。

そういうことなんですね。
そういうことから「気仙沼」という土地は独自の言葉、文化を生み出し、またそれを誇りに思うのでありましょう。

そして町人の中から、大工である熊谷新右衛門が選ばれ、秋田に向います。熊谷さんが選ばれたのは大工の頭領として「武士との折衝に慣れている」ことと、天保4年に「伊勢神宮をはじめ讃岐の金比羅、安芸の宮島、山陰の出雲大社、京、大阪、江戸、など5ヶ月の大旅行をしていきた経験からも渉外力は抜群で…」ということである。

そういった経験から、全国的にみて「秋田の豊かさ、明るさ」が記されていて、当時の秋田を知る上で重要な資料となっているようだ。

熊谷さんのイラスト付きの(しかも、そのイラストがうまい)日記が今日まで残っているという事もまたすばらしいことと思う。

気仙沼の歴史を知ることは楽しいことですね。
借りて読んだが、この後、発注することにw。

映画:地下鉄(メトロ)に乗って

先日の日曜日、Macのデータコピーをしてる間は映画を見ていた。
「地下鉄(メトロ)に乗って」
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原作は浅田次郎。
舞台は私が住む新中野を現代から昭和39年までタイムトリップして、あっちとこっちを行き来する。

原作は(なにしろ私は浅田次郎ファンですから)文句なしにおもしろい。
これを映画にするとどうなるんだろうと思っていたら、これがいいいんですね。文句なしに満足。主演の堤真一がいいですね。岡本綾、大沢たかお、常盤貴子も良いです。キャスティングがうまいんでしょうね。

最近、ハリウッドもんより日本映画の方がおもしろいと感じている。なんですかねー、日本の良さを再認識する年頃でしょうか。

私に出来ることは?

日曜日のマラソンの帰り、中央線で「座れた」と思った途端に熟睡してしまい、首をガックンガックンさせながら気持ち良く乗っていた。途中の駅でかろうじて意識が戻るものの、すぐに眠る。「三鷹」を過ぎて「吉祥寺」を過ぎた。「荻窪」で降りようと思いながら、また眠っている。

ふっと気づくと、あぁぁあ、荻窪を過ぎてしまった。
ま、いっか。「中野」で降りよう。
呑気な日曜の午後であります。

・・・と次の瞬間。
隣に座っていた中年の女性が、「お父さん、お父さん!」と向かい側に座っている男性を呼んだと思ったら、その隣の若い女性がガクっと倒れ、全身が痙攣して、うめき声をあげる。とっさの事で何が起きたかわからない。

前に立つ若い男性2人は、おもわず数歩後ずさりした。
お父さんが、やってきて若い女性を見る。お母さんがお嬢さんを抱きかかえて「大丈夫よ、大丈夫」を連呼。お父さんも「大丈夫だぞ、大丈夫だ」と連呼。「次で降りる」と言っている。

降りようにも女性は硬直して、うめき声をあげている。
お父さんとお母さんは、私よりも年上だと思う。50歳代か、60歳に近いか。

お父さんが「おぶって降りる」と言う。
私、「え!おぶうの?(声にならない心の声)」
お父さんの腰は大丈夫かしらん?などといらぬ心配をする。
お母さんも「お父さん、大丈夫?」と心配する。
「大丈夫だ」とお父さん。

中央線は休日ダイヤで「荻窪」の次は「中野」に止まる。
その間、とても長く感じる。
中野に近づくにしたがって、お父さんは、おぶう体勢をとる。
お母さんに向かって「ここに腕をまわして」と指示をしている。
電車の中は、皆の視線が3人に集中している。

とっさに私は立ち上がり、荷物を持ち上げながら、「荷物を持ちます!」と言った。私に出来ることはそれしかない。。。お母さんが恐縮そうな顔をするから「私も降りますんで」と言うと、「すみません、すみません」と何度もおっしゃる。

お父さん、お母さん、おぶさった若い娘さん、そして4人分の荷物を持った私がホームに降りる。

降りた近くに駅員室があるので開けようとするも、扉に鍵がかかっていて開かない。
「開きません」と私。
「下へ」とお父さんの声。
「ハイ」と私。
「救急車を」とお母さんの声。
「ハイ」と私。

階段を降りる。あたりを見るが駅員さんがいない。
南口の出口に向かって私が指を指し「駅員さんを呼んできます」。
走りながら、駅員さんを探すもいない。

南口まで走るが、そこにも駅員さんがいない。
ウッソー。
ガラス窓をドンドンと叩きながら、「救急車を呼んでくださーい」と叫ぶ。
3回以上叫ぶ。いない。

後ろから走ってくるお父さんとお母さんに向かって、首を横に振って「いない」と合図を送っていると、「どうしました?」と窓ガラスの中に駅員さんが現れた。
あーーー、駅員さん!(ホッとした)。
とにかく「救急車お願いします」と言いながら、娘さんを指さした。

私のところまでたどり着いたお母さんは、何度も何度も私に礼をされる。私は何もしていない。ただ荷物を持って走っただけ。

お父さんは駅員さんに「おそらく、てんかんだと思います」と話している。

てんかん。

私は、それを言葉としては知っているけれど、その発作を見たことがなかった。大変なんだ。

私はその場に立ち尽くしている。
お父さんとお母さんは何度も頭を下げる。
あとは駅員さんと救急車がどうにかしてくれるだろう。
私がそこにいても、お2人が恐縮されるだけだ。私は挨拶をして改札を出た。

後日、ネットで「てんかん」を調べると、大人になってから発病することもあるようだ。私達は、いつ病気になるかわからない。病気を持った人に優しい町になるといい。

けど「どうして、電車の中の若い人達が(大勢いたのに)お父さんを助けなかったのか」と腹立たしく思えた。

高橋尚子にエールを

昨日は「名古屋国際女子マラソン」を録画しておいて、帰宅後ゆっくり観た。まさかの高橋尚子の失速で、若き中村友梨香が優勝。

Qちゃんを応援していたので残念だが、記者会見に応じる彼女の姿は清々しく、見る者に感動を与える。

あれだけの選手がなぜ?
仕上がりも良かったように見えたのになぜ?

今日もTVで取り上げている。
見ると「昨年8月に膝の手術をして準備不足」だったようだ。それに加えて、途中でトイレに駆け込む姿も映し出され、「どこか体調がおかしかったのでは?」といった情報もある。

世界を狙っている選手は、これ以上ないほど徹底的に無駄を省く。その状態の中で、さらに当日に最大の力が発揮出来るようにスケジュールされる。プロがプロを作る。繊細な作業がある。

だから、ほんの些細なハプニングがすべてを狂わせてしまう。

Qちゃんのプレッシャーってどれほどなのだろう?
これほどまでに期待され、そしてさわやかに応え、本当は泣きたいだろうに…。

Qちゃん、このあとは、自分のために、自分のレースを楽しんでください。
マラソン大会はオリンピックだけではない。国際級のレースはいくらもある。Qちゃんには輝いていて欲しい。もう少し現役を続けたいと言った彼女にエールを送ります。いつか同じレースを走れたら嬉しいな。

第27回 立川・昭島マラソン

「第27 回立川・昭島マラソン」に出場した。
一昨年(2006年3月)にこの大会の10kmに出場したことが、私のマラソン人生の始まりでありました。記念すべき大会。

昨年は、ハーフの制限時間(2時間20分)は無理と思って出場をよした。
今年は2時間20分は切れる!出よう!
3箇所に関門がある。

会場は、「JR西立川駅」下車すぐの「昭和記念公園」。
本日は16℃まで上げるだろうと天気予報。いい天気。

ゼッケンは、4423番。
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いつものように着替え、準備運動、荷物預け、トイレを済ませる。
「準備運動」は、短い時間で効率的に行うために、マラソン完走クラブのY選手から教わった「身体づくり運動」をしている。身体がほぐれる。

本日のスタートは、昭和記念公園のとなり「自衛隊の滑走路」。
年齢順に並ぶ。「60歳以上の男性と40歳以上の女性」は最も後方。
60歳以上の男性は、この道、何十年のベテランが多いのに、最後尾からのスタートってどうよと思うが、そこはベテランですから、「そのくらい、どってことないよ」という雰囲気。

本日、ここに立てたことに感謝する。
ここからすべてが始まった。と思っていると「オ・スタートした?」という声がして「ああ、スタートしたんだ」とわかった。それほど、我々は後ろだということですがw。

滑走路を2周して立川市の路上に出る。
コースは平坦で走りやすい。
距離は1kmごとに表示してある。
ご近所の皆さんが沿道で応援してくださる。暖かい大会であります。

私は今日も「15kmまではゆっくり」と思いながら走る。
給水は3箇所。
2回目までは水で、最後はスポーツドリンク。

路上を走った後は昭和記念公園の中を走る。
この公園は、1月に「マラソン準備マラソン」で走ったコース。コースを知っていると走っていて嬉しい。やはり現地を知っているのといないのとでは、気持ち的に全然違うのね。

この大会は、「日本学生ハーフマラソン選手権」を併催していて、すでにゴールした大学生達にすれ違う。箱根駅伝・常連校の皆さんがたくさんいる。皆さんの鍛えぬかれた脚は無駄がなくて美しい。高校で注目されて大学に入ってさらに鍛えて。陸上界のエリート達だわ。この中から実業団に行けるのは一握りで、さらに実業団で活躍出来る選手は一握り。険しい道ですのー。

などと思いながらトコトコ走っていると、ラスト1kmのところで「マラソン完走クラブ」でご一緒しているSさんから声を掛けられた。
「あ!オヤマさん!」
私、声にならぬ声で左手をあげる。もう、ゼーゼーしていて声が出ない。そしてそのままゴール。

オー、今度もまた2時間を切った。前回がまぐれに終わらないように2時間を切りたかった。その目標を達成し、前回よりもわずかに記録を更新して嬉しい。結果は、1:56:58(グロスタイム)。

 6km:33:08(←5km場所を把握出来ずに6kmで記録)
 10km:22:21(←6から10kmの4km分)
 15km:27:48
 20km:27:50
 ラスト:5:49
—————————
 合計:1:56:58

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ゴール地点で再びSさんと会う。一緒に完走を喜び、そして立川で打ち上げを。お疲れさまですー。
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公園内には梅がきれいに咲いている。あー春なのね。
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MacBook Pro 内蔵HD入れ替え2

昨日はMacを使うことが出来なくて、トホホな生活。
ネット依存が高いので、ネットを使えないと途端に不便になってしまう。それもどうかと思いながら、再び、データ移行を試みる。

USB外付けケースに入れたHD(元は内蔵HDだった。ここにデータが全部残っている)から起動して、交換した内蔵HDをイニシャライズし、「ディスクユーティリティ」の「復元」機能を使って完全コピーする。途中で省エネモードにならないよう「システム環境設定」の「省エネルギー」で「パフォーマンスを優先」にしておく。

あとは待ち・・・。

ぽすれんで借りた映画を見ながら待ち。

そして、コピーが完了してこれを書いている。
本当は別の方法を考えていたのだが、ま、とにかく「Macを動かすことを優先」したのであります。

これで残り容量が増えました。
残り2GBを切ってしまって、非常に危うい状態だったので、危機からの脱出といったところでしょうか。

MacBook Pro 内蔵HD入れ替え

先日買った「内蔵HD」を入れ替えよう!
参考サイトは「mac ascii24.com」。

実は私はバラシは得意ではない。というか、むしろ苦手。
でも、自分でやってみたいのであります。
人に頼むよりも、自分で苦労したいタイプなのであります。

事前に「ANEX 精密へクスローブ・ドライバーセット ビット差替式(T3-T4-T5-T6-T7-T8)」を購入した。準備OK!
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これに付け替える。
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いざいざ。
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裏を返して、ネジをはずして(そこまでは良いが)、
「4.パームレストとキーボードを外す」
・・・はずれない。
いろいろ四苦八苦。すでに1時間20分を経過。ウッソー。
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あらら、あと2箇所のネジをはずすのでした。
微妙に写真と形状が異なるために気づかなかった。
全てのネジをはずしたら、あーら、簡単に開いたのであります。

やっとHDが見えました。
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あとはHDを入れ替えてOK。それも無事に出来たので、あとはネジをとめていく。無事にHDを認識した!
楽勝じゃーん、と思ったら、ぐすーん。そこに「未装着のネジを2つ発見」。イヤーン、こいつは、どこのネジ?

途中までは事細かにメモをとってネジを大事に置いたはずなのに、最後に雑に扱ってしまった。もしやHDを支える大事なネジ?

再び、こじ開ける。今度は10分もかからないで開いた。
しかし、そこにはネジがキチっと止まっている。ガックシ。
マシンをよくよく見ると、一番外側・Macの側面のネジでしたとさ。なんてこった。

  教訓:ネジの管理は最後の最後まで気をゆるめずに。

さーて、それからが問題であった。
取り出した内蔵HDを入れるケースを買っているので、それに装着するも、こいつを認識しない。
「不良品?」と思って、販売店に持っていくが「こちらでは認識します」とのこと。

そのケースは、USBを2つ挿さないといけない。
「ちゃんと2本挿しましたか?」と念を押されると(挿したはずだが)自信がない。
2つ使うタイプは始めて。
一つは電源供給用。FireWireならケーブルは1本でいいだろうに。

家に戻り、2つのUSBを挿したら、あーら不思議。すんなり認識したのであります(謎)。

それからデータコピーを。
ここで再び問題が。。。
コピーの途中で、省エネモードに入ってしまって完全なコピー出来ない。グッスーン。明日・続きを。

読書:社員を働かせてはいけない

「社員を働かせてはいけない」蛭田敬子(ひるたけいこ)・著。
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先日読んだ本は「汗出せ、知恵出せ、もっと働け!」で、今日は「社員を働かせてはいけない」というタイトル。対極にあっておもしろい。

著者は、人材紹介などを行う株式会社アイカの代表。
人材ビジネスは右肩上がりに伸びている業界。

「終身雇用」という言葉はいつの間にか遠い昔になってしまい、若い人は数年で会社を変える。近頃では、若い人だけではなく中年も、そして高齢者も、会社を変えて自分流の働き方を探す。そういう中にあって「職を探す人達」と「雇用する企業側」の双方に接する中で感じる事が書かれていて参考になる。

私のような「旧型人間」が当たり前だと思っていたことは、若い人には通じない。例えば「石の上にも3年」という言葉を私は好きだが、若い人は「3年も我慢するなんて、あり得ねー」と思う人は多い。

その中で著者が書く「不戦人間」という考え方に興味を持った。

私が考える新型日本人「不戦人間」の特徴
   楽しくないと頑張れないと思っている
    ↓
   情報が多く選択肢が多い
    ↓
   迷う
    ↓
   決断出来ない
    ↓
   戦うより逃げる
    ↓
   自分らしさにこだわる
    ↓
   自分らしさもわからない
    ↓
   孤独を感じる
    ↓
   仲間を求める
    ↓
   自分を理解してもらいたい
    ↓
   存在を認められたい

この辺に現代の就労のあり方において、会社と雇用者の間でずれていってしまう要因があるのかもしれない。

「働く女性の現実」についても記されている。
輝くキャリア女性がTVで紹介されることもあり、それを見ると「女性の労働条件は劇的に変わったもの」と思っていたが、どうやらそれはごく一部であり、いまだに「眠れる優秀な女性達(特に35歳以上)」がいる現実を知った。もちろん双方に要因はあり、女性は必ずしも管理職を望んでいるわけでもない。

この本は、転職を考える若者から、部下を持った若き先輩や、私のような経営に携わる者達といった幅広い層が、それぞれの立場で興味を持つ本だと思う。特に転職を迷っている方は読んでみるといいかも。

誕生日・47歳

47歳です。50歳まで秒読みになりました。

自分がこんなに年をとるなんて(頭ではわかってますよ、でも、、、)思ってなくて、いつか人は老いていきます。当たり前だけど、そんな事を誕生日に思います。

46歳は皆様のおかげで充実した1年を過ごしました。
マラソンをはじめて(最初が遅かっただけに)続けていると、それなりに記録を更新し、マイルスカフェでジャズピアノを始めて、たどたどしいながらもアドリブしてみたりしています。

そんな幸せな46歳の最後の1ヶ月は予想もしなかったトラブルが発生して、神様から「気を抜くな」と注意されているような心地でもありました。

人生50年と考えると、あと数年しかありません。
「自分の死」ということを考えます。この数年の間に、父方の祖母、父、母方の祖母、叔父、叔父を相次いで亡くし、昨日はSさんが亡くなったと連絡が入り、いやがおうでも私も自分の幕引きを考える、そういう年齢になりました。

後悔しない人なんていないと思います。
けれど、せめて、その瞬間に自分の人生を「良かった」と思えるように生きてゆきたいものです。

ちなみに、20歳の記念に手相を見てもらったら「あなた長生きしますよー」と言われているんですけどw。

訃報:バンドの先輩

信じられない訃報が届いて、驚いて、あっけにとられて、そして悲しみが少しずつ現実になって来ました。

先日の日曜日、一緒にバンド練習をして、帰りは車で送っていただいたギターのS氏が亡くなったという知らせ。まだ55歳。今朝、通勤途中に具合が悪くなり、病院に運ばれて亡くなったと。

クルセイダーズのギターも、どの曲を演奏しても上手くて「ギターがこう入るからピアノはこう」と的確にアドバイスを頂いて、帰りの車の中では音楽以外にも楽しい話をあれこれして頂いて、、、。

この4月からお嬢さんが社会に出るので「その前に一緒に海外旅行に行くんだ」と嬉しそうに話していて「娘と一緒の海外なんて、最初で最後だろうな」と。その旅行が今月の連休だというのに。

無念でなりません。合掌。