「秋田日記」熊谷新右衛門・著、伊沢慶治・翻刻、小松 宗夫・現代語解説。
「スローな食に、スローな家。」のKENJIさんからお借りして読んだ。
天保の飢饉、気仙沼は米がとれなくて大変だったそうな。その時に、気仙沼の大工である「熊谷新右衛門」さんが気仙沼を代表して秋田に米の買い付けに行く。その道中を日記に綴ったものを、熊谷さんの子孫が昭和55年に発見し、それをまとめたもの。
おもしろいのは次の記載である。
この気仙沼は仙台藩の北辺、本吉郡北方の区域に合ったが、塩釜、石巻が仙台の玄関港として重視されたのに反して、仙台城下から遠く、ひとり立ち、をしたような港である。したがって有力な地頭も配属されず、代官所があるだけの直轄領で、それだけに町人自治の気風が濃厚であった。
そういうことなんですね。
そういうことから「気仙沼」という土地は独自の言葉、文化を生み出し、またそれを誇りに思うのでありましょう。
そして町人の中から、大工である熊谷新右衛門が選ばれ、秋田に向います。熊谷さんが選ばれたのは大工の頭領として「武士との折衝に慣れている」ことと、天保4年に「伊勢神宮をはじめ讃岐の金比羅、安芸の宮島、山陰の出雲大社、京、大阪、江戸、など5ヶ月の大旅行をしていきた経験からも渉外力は抜群で…」ということである。
そういった経験から、全国的にみて「秋田の豊かさ、明るさ」が記されていて、当時の秋田を知る上で重要な資料となっているようだ。
熊谷さんのイラスト付きの(しかも、そのイラストがうまい)日記が今日まで残っているという事もまたすばらしいことと思う。
気仙沼の歴史を知ることは楽しいことですね。
借りて読んだが、この後、発注することにw。