私に出来ることは?

日曜日のマラソンの帰り、中央線で「座れた」と思った途端に熟睡してしまい、首をガックンガックンさせながら気持ち良く乗っていた。途中の駅でかろうじて意識が戻るものの、すぐに眠る。「三鷹」を過ぎて「吉祥寺」を過ぎた。「荻窪」で降りようと思いながら、また眠っている。

ふっと気づくと、あぁぁあ、荻窪を過ぎてしまった。
ま、いっか。「中野」で降りよう。
呑気な日曜の午後であります。

・・・と次の瞬間。
隣に座っていた中年の女性が、「お父さん、お父さん!」と向かい側に座っている男性を呼んだと思ったら、その隣の若い女性がガクっと倒れ、全身が痙攣して、うめき声をあげる。とっさの事で何が起きたかわからない。

前に立つ若い男性2人は、おもわず数歩後ずさりした。
お父さんが、やってきて若い女性を見る。お母さんがお嬢さんを抱きかかえて「大丈夫よ、大丈夫」を連呼。お父さんも「大丈夫だぞ、大丈夫だ」と連呼。「次で降りる」と言っている。

降りようにも女性は硬直して、うめき声をあげている。
お父さんとお母さんは、私よりも年上だと思う。50歳代か、60歳に近いか。

お父さんが「おぶって降りる」と言う。
私、「え!おぶうの?(声にならない心の声)」
お父さんの腰は大丈夫かしらん?などといらぬ心配をする。
お母さんも「お父さん、大丈夫?」と心配する。
「大丈夫だ」とお父さん。

中央線は休日ダイヤで「荻窪」の次は「中野」に止まる。
その間、とても長く感じる。
中野に近づくにしたがって、お父さんは、おぶう体勢をとる。
お母さんに向かって「ここに腕をまわして」と指示をしている。
電車の中は、皆の視線が3人に集中している。

とっさに私は立ち上がり、荷物を持ち上げながら、「荷物を持ちます!」と言った。私に出来ることはそれしかない。。。お母さんが恐縮そうな顔をするから「私も降りますんで」と言うと、「すみません、すみません」と何度もおっしゃる。

お父さん、お母さん、おぶさった若い娘さん、そして4人分の荷物を持った私がホームに降りる。

降りた近くに駅員室があるので開けようとするも、扉に鍵がかかっていて開かない。
「開きません」と私。
「下へ」とお父さんの声。
「ハイ」と私。
「救急車を」とお母さんの声。
「ハイ」と私。

階段を降りる。あたりを見るが駅員さんがいない。
南口の出口に向かって私が指を指し「駅員さんを呼んできます」。
走りながら、駅員さんを探すもいない。

南口まで走るが、そこにも駅員さんがいない。
ウッソー。
ガラス窓をドンドンと叩きながら、「救急車を呼んでくださーい」と叫ぶ。
3回以上叫ぶ。いない。

後ろから走ってくるお父さんとお母さんに向かって、首を横に振って「いない」と合図を送っていると、「どうしました?」と窓ガラスの中に駅員さんが現れた。
あーーー、駅員さん!(ホッとした)。
とにかく「救急車お願いします」と言いながら、娘さんを指さした。

私のところまでたどり着いたお母さんは、何度も何度も私に礼をされる。私は何もしていない。ただ荷物を持って走っただけ。

お父さんは駅員さんに「おそらく、てんかんだと思います」と話している。

てんかん。

私は、それを言葉としては知っているけれど、その発作を見たことがなかった。大変なんだ。

私はその場に立ち尽くしている。
お父さんとお母さんは何度も頭を下げる。
あとは駅員さんと救急車がどうにかしてくれるだろう。
私がそこにいても、お2人が恐縮されるだけだ。私は挨拶をして改札を出た。

後日、ネットで「てんかん」を調べると、大人になってから発病することもあるようだ。私達は、いつ病気になるかわからない。病気を持った人に優しい町になるといい。

けど「どうして、電車の中の若い人達が(大勢いたのに)お父さんを助けなかったのか」と腹立たしく思えた。