祖先はいた!

私が今日このように存在しているということは、祖先がいたわけだが、さーて、そのご先祖様の何代先までわかりますか?

私の場合、祖父の母の祖父までさかのぼることが出来るが、それより先はわからない(少なくとも、私にはわからない)。

祖父の母という人は、オヤマ家・4姉妹の次女だったので嫁にいってしかるべきが、なぜかオヤマ姓を名乗って分家となった。その人の母も女一人っ子で、だから2代続けてお婿さんに来てもらっているが、その前の爺さんという人は、たいそう羽振りが良かったと、オヤマ家伝説として伝えられている。

その時代を知る人がいるわけでなし、こういうのはだいぶ誇張が入るし、そもそも「その人、本当にいたの?」などと思ってる。墓石には名前が彫ってはあるけれど…。

当時の家屋は「昭和4年の大火」で全てを焼失してしまったし、私のところは分家であるし、当時を偲ぶものは何もない(少なくとも私は見たこともない)。

先日、気仙沼の「宮脇書店」で「幕末・明治雑記帳―近代気仙沼庶民誌」という本を手にとった。そこには、幕末から明治にかけての気仙沼の庶民の暮らしぶりが記されている。

また、三日町、八日町、魚町、古町の一部の、当時の住民の氏名が出ている。

どれどれ、私のご先祖も本当にいたのかしら?
「魚町・・・さかなまち・・・」と追ってみると、
「魚町2丁目」の欄にたしかに、その人の名前があった!

生まれは天保12年。
いたんだ!

それ以上のことは何もわからないが、たしかに存在したことと、生年月日がわかり、なんだか嬉しくなった。その本を買って母に見せる。

すると、その人にお嫁に来た方の、何代か後の人から、そちらの家系図のコピーが届いていたと見せてくれた。へぇ。2人が結婚をしたのは、ちょうど江戸から明治に変わるあたりだろう。激動の時代を2人はどのように生きていたのだろう?

読書:鈍感力

「鈍感力」渡辺淳一・著。

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ご存知ベストセラー本。
「鈍感」なわたくしが「鈍感力」を強化してもしょうがないと思い、読むのを躊躇していたが、どうにも気になっていた。

「鋭いですね」などというのは褒め言葉であり、「鈍感」というのは、どう考えても鈍臭くて、ちっとも褒め言葉じゃない。

ところが「鈍感な方が優秀ではないか?」という提起なのだ。

・叱られてもへこたれない
・視覚:見えすぎると疲れる
・聴覚:聞こえすぎるとイライラする
・臭覚:鋭すぎると偏食になることも
・味覚、、触覚、、、と続く。

そういうイライラや偏食が「自律神経」に必要以上の負担をかけてしまうというのだ。

私が唯一、自慢出来る「視力が良い」のは、たしかに目が疲れる。聞いてみると人より余計に疲れている事に薄々気づいていた。そう考えると「鋭い」事がいいという事でもないのかもね。

よく眠り、すっきりと起きられる。
この睡眠力こそ、人間の基本的な能力そのものです。
睡眠力なくして、人間が健康であり、人を愛し、
仕事に専念することはできません。
よく眠れること、これもまた、まぎれもない才能なのです。

私は大変よく眠る。
乗り物に乗ったら眠り、横になったら眠る。

「寝すぎて」人生が人よりも短いのではないか、なにか損をしているのではないか、と思っていた。

ところが、この本では「よく眠れない人」の方が損をしている、というのだ。

眠るまでの時間、起きてから頭が働くまでの時間、そういうウダウダした時間を合計すると、眠れない人ほど損をしているというのだ。そういう考えもあるか。

先日、「気仙沼弁」に「寝で起ぎる」を追加した。
この本には「寝て起きる訓練」という項目がある。

気仙沼の人は、「寝で起ぎろ!」などとしょっちゅう言ってる。これは良い言葉だったのかな?

仙台で…

仙台で、母の事務的な用事に付き合うことになった。
別に一人でも大丈夫な用事だが心細いらしい。「JRの切符一つ買うのも難しくなった」と嘆いているわけで。

朝の気仙沼線で仙台に向う。
実は私、仙台をほとんど知らない。

母の案内に従って歩くも、「なんだか違うんでない?」
途中で止まって地図を確認。やっぱり通りが一つ違っている。
こんなにわかりやすい碁盤の目になっているというのにね(笑)
記憶力が良かった母にも、老いは等しくやってくる。

用事はスムーズに終了したので昼飯を食べに歩く。
アップルストア仙台はここにあったのかー。
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そして一番町「梅の花」で昼飯を頂いた。女性にちょうど良い量と味付け。安くはないランチに、店内はほぼ100%が女性客で賑わっている。

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そしてまた仙台駅へと向う。
仙台にも有名ブランド店が多く立ち並んでいて、東京と変わらぬ品揃え。なんだか、日本中が東京と同じものを目指しているように思えて、少しつまらなく感じる。

地方は田舎と呼ばれてもいいじゃないか。東京とは違うもの、ここでしか手に入らないもの、そういうモノを大切に育てていかなければ、と思う。

気楽会 そして 気仙沼ホルモン

気仙沼の若者達(昭和50年以降に生まれた方々)で構成される「気楽会」の飲み会に混ぜて頂いた。

場所は「気仙沼ホルモン」の弁天町「ろばた館
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気楽会の皆さんは「気仙沼ホルモン」に光をあて、「気仙沼ホルモン食べあるきガイドMAP」を作成して配布するなど勢力的に活動している。

MAPの表紙には「一度食べたらくせになる3つの秘密は…」とか「気仙沼ホルモンの歴史」が書かれていて興味深い。気楽会ブログからPDFをダウンロード出来る。

詳細はそちらをご覧頂くとして、「味噌とニンニク」そして「キャベツの千切りとウスターソース」がキーワード。あとは、実際に食してください(是非、気仙沼で)。
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その「気仙沼ホルモン」をインターネットでいち早く紹介したのは、「ぐるぐる堂日録」の「気仙沼でホルモンを喰らおう!(1997年)」ではないかと思う。

それが昨年、気楽会ブログによってパワーアップして登場し「気仙沼みなと祭り」に出展したり、エースポートで行われた「ホルモンまつり」でヒートアップした。

ところが、なんと!私はまだ「気仙沼ホルモン」を食べたことがない!
なぜか、と言うと、
私が若かりし頃、
気仙沼ホルモンの店は、男が行く店(って感じ)であった。
少なくとも、若い女性を受け付けない店構えであった。

外にまでモーモーと煙が漂い、大きな暖簾の向こうでは、男連中が酒を酌み交わす、そういう印象であった。

話を聞くと「旨いし、たらふく食べても安い」らしい。
だから、肉体労働系が多い気仙沼においては、男性の胃袋を満たし、明日への活力を付けるには「気仙沼ホルモン」に絶大な人気が集まるのだろう。

最近は若い女性が入りやすい店があり、老若男女に愛される食として定着しているようだ。詳しくは気楽会の「気仙沼ホルモン、全店制覇への道」をご覧ください。

今夜は急な呼びかけにも関わらず、私を含めて10名もの人が集まってくださった。ありがとうございます。皆で「気仙沼の良さを世界にアピールしたい」という気持ちで盛り上がった。地方経済を活性化するのは、地元の人のそういう熱意だと思う。詳しくはマックスが書いてくれたブログをご覧ください。がんばっぺね!

非常勤講師/最終回

気仙沼市三日町にある「東北福祉情報専門学校」での非常勤講師は、本日が最終回。情報ビジネス科2年の皆さんにWeb関係の授業を行った。私もいろいろと勉強になりました。ありがとうございます。

母と待ち合わせて、南町「蕎崖」さんで「山かけそば」を頂く。
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帰る途中、魚町「角星(かくぼし)」さんに展示してある「建物博物館」を見学する(無料)。

「風待ち研究会」の皆さんが熱心に活動している成果が出ていてすばらしい。角星さんは古くからの造り酒屋さん。昭和初期の建物がそのまま残されている。角星さんの電話番号は、市内局番と0001番で、気仙沼で最初に電話番号を取得した事でも有名。
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これは昔の木で出来た看板。この上に金がほどこされていた。
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レトロな事務机も趣がありますのぉ。
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冬の気仙沼

新宿シティーハーフマラソンを終えると急いで帰宅。
シャワーをあびて気仙沼に向った。

気仙沼駅には同級生が迎えに来てくれて、「HPをリニューアルしようかと思っている」というので「XHTML + CSS」で作り替えてはどうか?とミニ講習をする。

慣れるまでは大変かもしれないが、慣れたら、こっちの方が絶対に書きやすいから頑張って。

魚町の「時代屋」でアツアツの「海鮮チゲ鍋」を頂く。
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第6回 新宿シティハーフマラソン

「第6回 新宿シティハーフマラソン」に出場した。
この大会は、昨年に引き続き2度目の出場。

この日に向けて準備してきたつもりだったが、前夜、遅く寝てしまって少々・寝不足。今週はあまり走れなかったし、身体は重い。まぁ、今日はゆっくり行くとしますか。
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今日は会社の人も出るので、入り口付近で待ち合わせて一緒に受付。ゼッケン番号を付け合う。誰かと一緒に参加するって心強い。それにしても、今日は寒いです。

ゼッケンは「3713」
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この大会は受付からスタートまでの時間が短い。
軽い準備運動、荷物を預けてトイレに行ってるともう時間がない。スタート地点(国立競技場のスタンド)に降りる階段は混んでいて、なかなかスタートに立てない。

あと数分を残して、やっと「1時間55分から2時間10分」のプラカードのところにたどり着いた。

スタート時の気温は2℃。
スタートの合図がなる。拍手!
本日、ここに立てたことに感謝する。

私の位置からスタート地点までは数分かかる。
ゆーっくり、ゆーっくり、トラックを歩いたり走ったりしながらまわって外に出る。外に出てからも、前が詰まっているから、ゆっくり走る。

前日届いた「マラソン完走クラブ」のメルマガにも「最初の5kmはゆっくりいきましょう」とアドバイスを頂いた。焦らない。

私の場合、最初に飛ばしてあとはダメダメになる。今日は焦らない。

普段は車しか通ることの出来ない「新宿御苑トンネル」も走る。明治通りに出て、それから神宮外苑を周回する。

走っていると、内藤新宿RUNのHさんをお見かけする。
「この後の宴席に行けない旨」お伝えする。この後、すぐに気仙沼に帰るのであります。

さらに走っていると前方に会社の人を発見。「がんばろー!」と声を掛ける。

5km地点で時計を見たら、ゲゲゲ31分もかかっている。ま、今日はもうダメだな。ゆっくり行こう!っと。

次の10kmは、「10km」の看板を見落としてしまった。
行けども行けども看板がない。やっぱ思うより長い距離だなぁ。

と思っていたら、ふいに「15km」が見えた。
あ、なーんだ。もう15kmだったのか。
もう少し、早めに走ってみようかしらん?

銀杏並木のところで、写真が趣味の社員が、写真を撮りながら応援をしてくれている。ありがたいですのぉ。ここを4周する。そのたびに「イェーイ」と声を発する。知ってる人がいる大会って楽しいですのぉ。

「マラソン完走クラブ」の方をお見かけして「がんばりましょう」などと声にならぬ声を掛ける。私もマラソン完走クラブTシャツを着ている。

最後の一周では少しスピードを上げたいと思ったが、思うようには上がらず。
20kmを過ぎて最後の1km。

歯を食いしばるも弱気になった頃「オヤマさん!がんばって」と声がした。そちらを見ると、あ!マラソン完走クラブでお世話になっているY選手!。ありがとうございます。すごく嬉しい! 力を頂いて最後の力を振り絞ってのゴール。

時計を見たら、あ!(意外にも)これまでで一番速い。本当?

記録証はすぐに頂ける。
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見ると、2:02:06。
ネットタイムと書いてあるが、私の手元の時計で見るタイムは、2:00:15!

5km:30:55
10km:看板を見失い計測出来ず
15km:55:49(約28分程度か)
20km:27:40
ラスト:5:49
合計:2:00:15

(私の時計を信ずるならば)あと15秒で2時間切れる!
2時間を切るって夢のように思っていたのだが、新たな目標が出来た。
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昨年の参加賞も良かったが、今年もなかなか良い。
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今日の大会は知り合いが大勢出ていて宴席もあるが、残念ながら失礼して、この後は気仙沼に帰るためにイソイソと帰り支度を。

去年は走り終えた後に足が痛んだが、今年は平気だ。痛くない。
1年で少しは力が付いていると実感した本日でありました。

気仙沼ラブな会

スローな食に、スローな家。」のKENJIさんから、
「今日、飲み会があるんだけど、、、」というお誘い。

「行きまーす!」と返事。
気楽会・東京支部(?)」もいらっしゃるとな。

場所は代々木の「魚がし」さん。
気仙沼市古町出身の方がやってるお店。
私を含めて5人の気仙沼を愛する面々が集まり、美味しい料理と、楽しい気仙沼の話で盛り上がる。

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そうそう「明日、マラソン大会なんですぅ」
「なにす・がんばって!」
「こんな時間まで飲んででいいのすか?」

夜はふけていくのであります。
話題は「気仙沼ホルモン」へと。
店主も「あれは旨い!」って。

「実は、、、私、まだ食べたことがないのです」
「えー! ホントすか?」
「是非、食べてみらい」と勧められ。

楽しい時間はあっという間に過ぎて外へ出る。
うひゃぁ、今日は寒いっちゃね。
気仙沼はもっと寒いんだべね。

東京ミッドタウン

母と東京ミッドタウンに行ってみる。
へぇー、広々してますなぁー。
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予備知識なしに来たけど、ショップがたくさん入っていて楽しめる。

「箸長」さんという箸の専門店(&和風の小物のお店)では母は子供のように気に入り、なかなか出て来ない。私は買い物を待つ父ちゃんの気持ちで、待っている。
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その後は、銀座でお茶して、東京駅で見送る。
こうやって元気で東京見物に来れるってことは幸せな事だね。長い道中、気をつけて。
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歌舞伎座(2008年1月夜の部)

母が母の叔母を訪ねて、そして孫を見に、横浜に来ている。

「東京には寄らないがら」とか言ってるけど、
「歌舞伎みる?」と言ってみたら
「(チケットを)取れんのすか?」というので手配した。

そういえば私、趣味が歌舞伎鑑賞だったはずなのに、最後に観たのは、2007年2月に母と見て以来だから、ほぼ1年ぶりとはトホホのホ。

仕事の都合で1幕目には間に合わない。
2幕目の「連獅子」
3幕目の「助六由縁江戸桜」を見る。

「連獅子」は、松本幸四郎、市川染五郎/親子。
そういえば、この親子の連獅子を見るのは初めてかな。
中村勘三郎親子に比べると、比較的おとなしいという印象だが、踊りはきっちりとしていて、そして最後の毛ぶりでは染五郎が熱演。場内は拍手喝采。

「助六由縁江戸桜」は市川團十郎の十八番。
花道に出てきて、パシっと決まる姿はすばらしい。さすが・お家芸っすね。

中村福助の「揚巻(あげまき)」そして、中村芝翫が演じる曽我満江との場面。このように親子で演じる場面は、なんとも言えぬ気持ち。きっとあと数十年したら、今度は福助とその息子で演じているのだろう。

「助六」は、花魁が美しいし、内容はわかりやすく、それでいて歌舞伎の様式美がすばらしく、歌舞伎に不慣れな方にもお薦めしたい。母も大満足の様子。
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