「しょうがない」問題

また、大臣の問題発言が世間を騒がせている。
私にしては珍しく、少しかばうような発言をしようと思う。

断っておくが、私は別に安倍内閣を支持するわけでもなく、大臣を擁護する気もないし、こういう問題が出ると、私はそれを言った人に嫌悪感を抱く方だ。

それにこの方、これまでも問題発言が多く、そういうところを反省しない(反省しているかもしれないが、誤りを繰り返す)のは、いかがなものかとも思っている。

けれど、今回ばかりは、ちょっと違う印象を受けた。
まず、彼は長崎出身である。

私などよりも、はるかに、はるかに「原爆に対しての憤りは強い」。そして戦後の復興の中を生き続けていただろう。その人達の思いとはどういうものだろうか?

原爆に対して憤りもある。戦争に対しても、いろいろな思いがある。それでも現地の人は、まずは生きなければならないし、食べていかなければいけない。「しょうがない」と思う以外にもなかったかもしれぬ少年時代を過ごしたのかもしれない。

私は彼が言うように「言葉が足りなかった」のだろうと思う。彼や長崎の人達ならば共有出来るであろう何かを、おもいっきり省略したのではなかろうか?

それは、日本語を使う日本人の慣習の問題ではないか?
「主語」が抜け落ちても意味が通じる日本語において、それを扱う日本人同士は、「主語を省略しても通じる文化・慣習」があった。前提を共有していた。

これは今に始まったことではないはず。
では、どうして、これほどまでに大きな事に発展していっているのか?

時々、TVで発言する人のテロップに、括弧書きで主語を追記している事を見かける。放映する際に誤解をうまぬようにしている。けれど、政治家の発言には、それ(意味が通じにくい発言)に厳しくなっているのではなかろうか。政治家たるもの、ちゃんとせいと、いうことか。

でも、我々の日々のやりとりを思い返してみると、私などは、、、ひどい。

私よりも10歳以上若い社員らに何かを伝えようとすると、たかだか10年であっても前提条件が違う。主語をきちんと言わないと「何を言ってるかわからない」とくる。反省する。

しかしながら、まわりにイエスマンが多いであろう地位の人には「あんたの言ってる意味わかんねーよ」という人は少ない(たぶんいない)し、きちんと前提条件を言わなくてもわかりあえる世界に生きているかもしれない。大臣の方も「どうして国民の皆さんにわかってもらえないんだろう?」と思っているのではなかろうか?

とうことで、是非、側近が「意味が通じているかどうかをチェックする」事を徹底してはどうだろうか?

日本国内でも、これだけの誤解を生むのであれば、諸外国でトラブルがないはずがない。内閣だけの問題ではなく、もしかしたら、日本のいたるところで、こういう問題は起きているかもしれない。

私としては、実に珍しく、弁解してあげてもいいかなと思う「しょうがない問題」であります。あ、もちろん、誤解をうむ発言をしたことは、ちゃんと認識して改善して欲しいと思ってますよ。

反論ございましたらコメントくださいませ。