小布施見に旅行!

被災してしまった「気仙沼の町づくり」、私なんぞがドーノコーノ言ってもしょうがないのですが、なかなか進みません。

私の実家があった魚町の計画も、具体的なものは見えて来ません。
本当に気のもめるものです。

「どうにかしたい、どうにかしたい」と話していたら、知人が「オヤマさん、小布施の町づくりが参考になりますよ」と話してくださいました。

セーラが町にやってきた」という本を読み、

これは行ってみよう!と思いまして、飲み会の時にそんな話をしていたら、その時ご一緒した知人も「一緒に行く」と言ってくださり、期せずして3人のミニ旅行となりました。

私は、夜の「小布施ッション」も参加するので泊まりますが、お忙しいお2人は日帰りです。

そこで、東京駅発7:24の長野新幹線「あさま」に乗って出発!

長野駅で「長野電鉄」の乗り換えます。
特急に乗って「小布施」で下車。

「小布施」は日曜に降った雪が残っていました。

ぶらぶら歩いていますと「皇太神社」です。

郵便局の看板にも木材を使っています。
やっぱ、こういう事なんだなぁ。

長野で一番大きい「八十二銀行」や地元の「信用金庫」も、外観からは銀行だとは思えない木造り。町全体が「小布施をこうしたい」と言ってる感じです。

こちらは、その立役者でもある「小布施堂」さん。
栗のお菓子を販売しています。あとからまた参ります。

「高井鴻山記念館」
葛飾北斎を招いたのが高井鴻山。
高井鴻山は小布施堂、桝一市村酒造場を経営する市村家の12代当主。

そのお屋敷は、火災によって多くを消失してしまったそうですが、いくつか残った建物をこちらに移築したようです。

この建物は当時のままに残されているそうです。
よくぞ残りましたね。すごいことです。

当時のものが、そのままあります。すごいね。

こちらのお琴のような楽器は1本だけ弦が張ってあって、その前に置いてある楽譜のようなモノの通りに、弦をはじいてみると、「さくら」を弾くことが出来ました。
普通にさわらせてくださっています。

高井鴻山は葛飾北斎のために「碧漪軒(へきいけん)」を提供したそうです。
その場所がどこであったか不明だということですが、こちらに当時のままに移築されました。

高井鴻山記念館の建物を出ますと路上に昔の郵便ポストがあります。
この形は愛らしいですよね。雪をかぶった姿がまた良いです。
効率化を考えると今の方がいいのでしょうけれど。

土産物店が並んでいる一角がありました。
平日というのに、団体さんがいらしてました。
冬の平日に観光客がいらしているなんて、田舎にとってはうらやましい限りです。

こちらは「どんこ」というものだそうです。
右側に見えますか?椎茸のお化けみたいな大きさのもの。
それを30時間水につけてもどして、砂糖と醤油と、戻した時の水で煮込んだのがこちら。
美味しいですね。ドレドレ、お土産に買いましょう。

あちらに見えるのは「桝一客殿」という宿です。宿には見えませんよね。すごい。

ランチは「蔵部(くらぶ)」を予約してくださいました。
文字通りに「蔵」を改造してレストランにしたもの。

3人で別々のメニューを頼んで、シェアしました。美味しいです!

昼間っから(^ー^)、「スクエア・ワン」というお酒を。

お店の方のいでたちは、こんな感じ。

知人がセーラさんにアポイントを取ってくださっていて、席にいらっしゃいました。

席にいらっしゃるや、パワーがすごい。
いま「農業」を始めていて、これからの計画は「こうでああで」、それには「こういう事が足りないのです」と始まりました。
知人達が「ああ、それなら、こうしてはどうか」とアドバイスすると、パっと顔が輝いて、「それなら出来るかもしれない」と。

小さなチャンスも逃さないのですね。すごいなぁ。
でも、声はかわいらしいし、女性としてもかわいい方です。それなのに、次から次に「計画」が出てくるのは、この人の「創造力」「実行力」の大きさ。
忙しいセーラさんの携帯電話はしょっちゅう鳴っていました。

セーラさんに別れを告げて、「北斎館」に参りました。
小布施の町づくりが始まったのは昭和51年に、この「北斎館」を作ったことから始まったそうです。写真を撮るのも忘れて見てました。

北斎が80歳を過ぎてから描いたという「神輿の天井画」などが展示されていて、その存在感に圧倒されました。

北斎館から出て、ちょっと遠いけれど「岩松院」にも行きましょう!
訪れてみて知ったのは、このお寺は福島正則公の菩提寺だということです。

こちらのお寺の天井に北斎の天井絵「大鳳凰図」があるのです。

この絵が実に力強く、私はこの旅で最も印象に残りました。
これを描いた時の北斎の年齢は89歳。
圧巻。
パワー頂きました。

このお寺への往復は歩いて行きました。あっちにブラブラ、こっちにブラブラで片道30分くらいかかったでしょうか。車でサーっと行ってしまっては気がつかない空気感というものを存分に堪能しました。

駅に隣接して観光案内とともに、ちょっとお茶を飲むところがあります。
こういうのを気仙沼駅近くにも作りたいものです。
駅隣のトイレも快適なもので、便座は暖かくしてありました。気仙沼が観光に力を入れるのであれば、私は、まずは「トイレの整備だ!」とずっと言い続けております。これは特にご年配のご婦人にとっては大切なもの。

今回、ご一緒いただいたお2人を駅で送りまして、私はまた小布施堂に戻りました。
もう一つの目的「小布施ッション」に参加するためです。

小布施堂の工場の3Fの会議室で、本日の小布施ッションがあります。
毎月ぞろ目の日に開催されているそうで、平日でどのくらいの人が参加するのでしょう?と思いながら参りますと満席です。小布施以外から参加される方が多いそうです。

本日の講師を紹介するセーラさん。

講師は内藤耕さん。
ホテル・旅館を例にして、「これからいくらでも生産性を上げられる」という力強いお話。
私の会社の人達にも聞かせてあげたい、元気が出る内容でした。

その後は懇親会というかパーティです。
ウェルカムドリンクは卵酒。

次から次に運ばれるお料理は本当に美味しい。

お酒は桝一酒造さんのもの、お料理は蔵部で作られたのでしょうね。

美味しいお料理を食べながら、色々な方とお話をしました。
気仙沼唐桑町に「Tシャツのアート」の支援をしてくださった方もいらっしゃいました。

小布施堂の社長さんは震災前に気仙沼を訪れたことがあるそうで、皆さんがお元気かと心配されていました。
気仙沼の寿司店「たに口」のダンナさんが長野県出身というご縁からどうで、
「あら、奥様は私と同級生なんですよ」と話すと驚かれてました。
そんなお話を食べながら、飲みながら。

講師の内藤さんともお話をさせて頂きました。
内藤さんも「気仙沼に行きましたよ」と。
その後、気仙沼に関する辛口コメントをたくさん頂きました。

逆に言うと、それらを改善していくことで、良い町が出来るものと思ったところです。
気仙沼は、その辛口コメントを真摯に受け止め、改善していくことが必要ではないでしょうか。

ある方に「小布施はどうして町づくりに成功しているのでしょうか?」とたずねると、
「外の人とつながったこと」と話されました。
「小布施の人が、こうしたいという骨子を考え、その手段として外の意見を取り入れていったこと、そうして、それは今も続いているんですよ」と。

お名刺を交換した方の何人かは小布施にお生まれではないけれど、ここが気に入って住んでいますと。外からの人をちゃんとお迎えする土壌があるのですね。

あっという間に22時を過ぎました。
長野電鉄・長野行きの最終は22時半。
2次会は遠慮して、長野に行く方々と一緒に駅まで歩きました。

路面は凍り始めていてすべりますから、おそるおそる歩を進めます。
たくさんのパワーを頂きました。
気仙沼に役立てたいことがたくさんあります。

皆様、本当にありがとうございました。