第16回 SFC Open Research Forum 2011

慶應義塾大学SFC研究所は「オープンリサーチフォーラム(ORF)」という研究成果発表会を東京ミッドタウンで開催しました。開催テーマは「学問ノシンカ」。

「『新しい公共』の可能性」というセッションに気仙沼市長が出席されるそうで参加しました。

ミッドタウンのカンファレンス会場を貸し切っての発表会です。
なんといいますか、こういう場で発表出来るなんて、慶應の学生さん達は恵まれているというか、すばらしいですね。ここは都内でも立地条件はいいし、設備は良いし、それと比例して利用料金は高いです。社会人の我々もなかなか利用することが出来ません。

発表会は学生さんだけではなく、先生、そして気仙沼市長のようなゲストも交えてお話を聞くことが出来ます。
同時にネット配信しているようです。

残念ながら会場内は撮影が禁止されているため、写真はありません。
東京ミッドタウンは、セキュリティが厳しいのです。

「新しい公共の可能性」は、room5にて、13時〜14時半まで行われました。
ゲストは、(発表順に敬称略)
・松井孝治(参議院議員)
・菅原茂(気仙沼市長)
・吉富志津代(NPO法人多言語センターFACIL 理事長/大阪大学グローバルコラボレーションセンター 特任准教授)
・バンバン・ルディアント(和光大学教授)

司会は、島田美和(総合政策学部専任講師)
監修は、金子郁容(政策・メディア研究科教授)

私は、少し遅れて入りますと、松井氏が寄付金に対する控除が税制改正されたお話をされていました。
認定NPO法人や、公益法人に「災害地への寄附」をした場合は、税金が控除されるそうです。そのように政府も税を改正しているのだというお話。こういう話は案外と知らないもんです。マスコミの皆さんも、もっと大々的に報道して欲しいと思います。

そして、気仙沼市長です。
スライドの写真や映像は効果的でしたね。
階上中学校の卒業生の言葉は、私は何度も見ていますが、何度見ても胸にせまります。多くの方が涙されているようです。

そして、市長さんは、良い意味でも政治家というよりは、私たちの感覚に近いのではないでしょうか。正直ですよね。「市民の皆さんを不安にさせ、企業の方々には焦らせてしまった」と、とても誠実に話されていました。「そうなってしまった原因は、予算が確保出来ないため、半端な事を言うことが出来なかった」そうです。市長さんの真面目な面が垣間みれます。おだってないのです。「やっと第3次補正予算が決まり」これで、現実味のある話が展開出来るようです。やっと、やっと、やっとです。

吉富さんは、NPO法人として、マイノリティの方を支える活動をしているのだそうです。例えば災害ラジオ放送。気仙沼にはフィリピンの方も住んでいらっしゃいます。多くは、お嫁さんという立場のようです。その方々は、日本語で話して暮らしてはいるけれど、このような災害時には、やはり母国語で話し、聞きたい。そりゃそうですね。

そこで、タガログ語での放送をしているのだそうです。
そういう取り組みがあったこと、ちっとも存じませんでした。
今は、タガログ語だけではなく、日本語をまじえながら、そして、地元に花を植える運動などに発展しているそうです。

ルディアントさんはインドネシアのご出身だそうです。
インドネシアの災害は日本と似ているそうです。

毎年のように発生する洪水被害。
作っては流され、作っては流され。
そうするうちに「災害と共に」という考え方に変わって来ているそうです。

例えば、トイレを高台に作るといった工夫は市民から発案されたそうです。
インドネシアでは、「避難」に相当するような適切な言葉自体がないのだそうです。それでも「SMONG」という言葉が、逃げるを意味して、この言葉で皆さんが高台に避難しているそうです。

「災害に強い、安全な街作り」には多大な資金がかかるけれど、このような言葉を統一していきましょうといったお金がかからないことからでも、何か出来るのではないかと話された事が印象的です。

そして、スマトラ沖地震の際には、日本から「何に使ってもよい」という140億円以上の寄附があって、大変ありがたかったとのこと。私たちは、共に助け合って生きているのですね。

たまたまお隣の席に「気中20+PLUS」さんがご夫妻でお見えになっていました。
奥様は、市長さんと同級生だそうです。
奥様のお宅は、私の実家(魚町)からすぐ近くの南町だそうで、きっと同じ場所で遊んで過ごしていますよね。

私たち、東京(関東)に住む者が、どのように支援し続けられるのだろうか。
お金には限りがある。
東京にいると、何度も気仙沼に帰ることは難しい。
そのような中で、何かをつかみたくて私は参加しました。皆さん、同じ思いです。

さて、慶応義塾大学と気仙沼。今回の災害での結びつきは、たまたま慶應に通う清水君という学生さんが気仙沼出身ということから始まりました。その清水君は、私の同級生の節子さんの息子さんです。ご主人も同級生。そのお父さんの方の清水さんにも会場内でお会いしました。私達50歳代、次にちゃんとバトンを渡すためにも頑張りましょうね。

それにしても市長さん、清水さん、そして皆様、健康に注意してくださいね。
ちゃんと休みも取ってくださいね。

WordPress:カテゴリーのページ名

WordPressでカテゴリーを追加作成して、カテゴリーページを表示した時に、カテゴリー名に日本語を使っているとページ名はそのまま日本語名になる。

それでもいいけれど、英文字表記をしたい、あるいは別の名前にしたい時は、
(1)ダッシュボードを開き
(2)左欄「投稿」の中の「カテゴリー」を開き
(3)カテゴリー(名前)の下にマウスを重ねて「編集」をクリックして
(4)「スラッグ」の項目に表示したい名称を入力して、【更新】する。

北海道東京会議(2011年11月)

北海道東京会議」11月の定例会に参加しました。

ダンナが北海道出身であったり、サロマウルトラに連れて行ってくださる皆様との北海道のご縁です。

月に一度の開催で、これまでは「北海道東京事務所」をお借りしていましたが、改装工事のために今回は初めての会場「イトーキさんのショールーム」をお借りして開催です。新富町駅のすぐそばと立地条件はいいですし、ステキなショールームです。

本日のゲストは、総務省行政管理局 電子政府研究官の中井川禎彦さんです。
テーマは「番号制度のこれまでとこれから」

中井川さんもお話されていたように、きちんと運用がなされれば、また税以外にも医療の現場などでも活用していくことで、私どもにはメリットはたくさんあると思います。それでも反対意見もあるし、また万が一、情報が漏洩された場合はどうなるかといったことや、漏洩されないためのあらゆる方法など、まだやらなければならない事は多いようです。

懇親会で、直接、「住基カードの二の舞になりませんか?」と失礼な質問をいたしました。
「やり方によっては、なってしまう可能生もある」と正直に話して頂きました。「ただし、その経験があるからこそ(その反省も踏まえて)成功させるのだ」という意志も感じました。失敗は成功のもと。次は成功させて欲しいです。

近いうちに若い方に向けた雑誌においても「番号制度」について取り上げられるようです。

私は、煩雑な事務の手間を省くことで、無駄を省けるだろうと思っているし、なにしろ利用する私達にはメリットがあると感じています。ドンドン進めて欲しいと思っています。同席した別の方が、直接に良いご提案をされていました。同じ席にいて、なるほどなぁと思いますし、このような意見を広く聞いて欲しいとも思います。

懇親会はいつもとても楽しい席ですが、今日はなんと「南極の氷!」頂きました。

私は本日はウーロン茶を。皆さんはウィスキーのオンザロックなどを味わいました。
こちらはウーロン茶を飲んでる途中でございます。
なんとも深い味わいです。
氷に飲み物をそそぎましして耳をすますと、溶ける音が軽やかになります。ロマンです。

ちょうど「南極大陸」というドラマを見ておりまして、子供の頃によんだ「しらせ」そして「宗谷」の物語を思い出します。船とか南極には全然、興味がなかった私に、母が「これを読んでみて」と与えてくれた記憶があります。読んでみて、おもわず引き込まれました。やっぱりロマンでしょうか。

なぜ、ここに「南極の氷」があるかというと、南極観測に協力をしているのだそうです。そのように様々な協力があって継続していくのですね。

心で、Do!

「心で走る」と言われています。
マラソンを走っていると、途中で、辛くて辛くて止めたくなる、投げ出したくなる。
でも、最後まで走るゾ!という「気持ち」が完走を支えています。

どういう時に、そういう「気持ち」が出来るのかというと、

私の場合は、「仲間が応援してくれる」とか、「仲間が走っているから私だけ止められないわ」とか。

考えてみると、自分一人は弱いもので、いつも仲間に助けられています。

今年・・・・

あの大震災があり、私は、すっかり凹んでしまいました。
いえね、いまだ凹みはありますよ。でも、だいぶ良くなりました。

震災があって、私は何もする気が起きなくなってしまった。

あんなに大好きだった仕事も、走ることも、音楽も、読書も、
もっと言うと、食べることも、寝ることも、
何をする気も起きない。気力がなくなってしまった。

それでも、仕事だけは、穴を空けまいと歯を食いしばっていました。
そんな状態ではミスを連発して、会社の連中に迷惑をかけっぱなし。
これまで、そんなミスなんかしたこともないのに。

そして、ハタと気付いたのです。
例えば、社員にミスの多い方がいるとします。社員とは限りませんね、一緒に何かをしていく仕事上の知人や、仲間、etc…。

私は、どうして、そんなミスをするのか、まったく理解出来なかった。あの震災までは。

でも、何か少しわかりかけた気がします。
もしかしたらですが、「心」が仕事に向えない状態にあるのではないでしょうか。

何か心配ごとを抱えていたり、自分に自信がなくて常に不安に思っていたり、心が集中出来ない何かがあるのではないでしょうか。

私でさえ、このまま進むと心の病気になっちゃうんじゃないかと真剣に悩みました。それをどう乗り越えたか。

結局は、走りました。
いえね、最初は走れません。
だから、歩きました。

ただただ、呆然と歩きました。
最初はね、歩くことさえ辛かった。
でも歩いた。

そうして身体を動かして、なるたけ人と会話をして、食べたくもないけれど、何かを無理矢理食べて。

そして、変な話ですけれど、気仙沼の情報から、少しだけ間隔を置いてみるということもしました。

なぜなら、私は、全てを捨てて気仙沼に帰ってしまいたいという衝動にかられていて、でも、今、それが出来ない自分がいて、それが辛かった。だから、あえて少し距離を置いてみたりして。とにかく思いつくことはやってみた。どうしようもない心の置き所がなくて、それを探してさまよっていた。

そうやって、本当に辛い8ヶ月を過ごして、やっと、少しだけ前に向かってる気がします。来月、本当に久しぶりに、バンドの練習会に参加することになりました。これも、私をゆっくり待ってくださった仲間のおかげです。私一人の力ではないのです。

そのきっかけは、自分が実行委員長を務めさせていただいた「気仙沼を元気にする会」でした。あの会は、気仙沼を元気にしたいという思いで始めましたが、会を開いて気がついたのは、自分を元気にする会だったのではないかという事です。

もし、バリバリ仕事するとか、新しい事にチャレンジするとか、そういう事が出来なくてお悩みの方は、心が前向きになれない原因を探ってみるといいと思います。そしてその原因を解決する方法を模索してみます。

震災までの私は、気持ちの上では弱者ではなかったろうと思います。いつも前向きに生きていた。それだけが取り柄でしたから。

だから、気持ちが弱っている人の気持ちというものをわからなかった。社員を指導するのであっても、まったく、気持ちがわからなかった。でも、今は少しだけわかる気がします。

「心」を元気に。
そうすれば、きっとモチベーションがあがり、良い仕事が出来ましょう。

「心」を元気にする方法は人によって異なるけれど、ちょっと身体を動かしてみるのも効果的のように思います。それでも、人によって差はありましょうが、50歳になった私の場合は8ヶ月はかかったということです。そのように数ヶ月ものスパンで考えて、焦らずにゆっくり過ごしてみていいのだと思うようになりました。

そして、ご心配をおかけした皆様、私は元気になりました。
もう大丈夫です!

ご無沙汰してしまった皆様、申し訳ございません。
これから明るい笑顔で会いに行きます。

AUGM、気仙沼で出来たら!

AUGMってご存知ですか?
「Apple User Group Meeting」の略で、全国各地でMacユーザが集まるイベントを開催しています。

東京にはAUGM東京があります。

九州地区は、とても熱い会が繰り広げられています。
これは有志の皆さんが開催しているボランティアのイベントなんです。

その気仙沼版をやろうという思いで、突っ走りそうです。
誰か、止めて〜。
やっぱ、止めないで〜(^ー^)。

気仙沼近郊にお住まいのMacユーザの皆様、iPhone、iPadユーザの皆様、それが気仙沼で開催されたら嬉しいっちゃね!?

やってみましょう。やってみっぺ。
わー、ワクワクするわぁ〜。

第30回 ねりま光が丘ロードレース(10km)

「第30回ねりま光が丘ロードレース」の10キロの部に出場しました。

滅多に10kmの部には出ないのですが、来週はつくば(フル)があるので、走り過ぎないように慎重になってみました。

昨日は大雨。さぁ〜て、今日はどうでしょう?
あら、起きてみると雨はあがっていました。
それどころか、会場に向って電車に乗っていると、ドンドン気温が上がっています。

今日の会場は自宅から近いです。
丸ノ内線の「中野坂上」から大江戸線に乗って17分の「光が丘公園駅」下車ですから、楽です。助かります。

駅を降りますと、ランナーとおぼしき方々が会場に向って歩いています。いちょう並木が美しいですね。

本日のゼッケン番号は「2330」。

女子40歳以上の部に並びます。
うっかり、前の方に並んでしまいました。これは失敗。
あららと思っていると、知人に会いまして、話しているうちに列から出ることも出来ずにそのままスタートするか。

9:30 start!
本日、ここに立てたことに感謝します。

スタートとともに、トラックにダーっと走り出します。
前の方に並んでしまったため、まわりに歩調を合わせたら、速く突っ込んでしまった。これは最後まで持つまい。

心配通りで、その後、徐々に遅くなったものの、1キロの地点で時計を見ると4分30秒ぐらいですから、これは速すぎる。その後からは、もうメロメロですよ。

この大会には、2007年11月にハーフの部に出場したことがあります。
ハーフは周回コースを4周か5周します。
途中から飽きてしまって、当時は、ハーフが2時間7分ぐらいでしたっけ。

今日は10キロですから、飽きることもないでしょう。

気温は上がっているようです。
この時期に半袖のおだづなよTシャツで出場。天気予報では23℃まで上がるとか。

10キロを50分切りというのが一つの目標ですが、1キロごとに距離表示が出ていて、確認すると5分強になっているから、あ〜、これはまた目標には届かないなぁと心が折れそうです。

あと少し速くなるのは、どうしたらいいのでしょうか?

10キロの部に出場するのは、毎年、気仙沼大島の「つばきマラソン」だけでした。
今年のつばきマラソンは中止になり、来年の開催も無理ではないかと思うので、今日は精一杯走りたい。

つばきマラソンは、アップダウンが厳しいが今日は平地です。
本来なら自己ベストを大きく更新してもよいと思うのだが、、、。

ヒーヒーゼイゼイ言いながら、やっとゴール。
手元の時計の記録はこちら。
5km:25:06
10km:25:36
————-
合計:50:43(正式記録は50:44でした)

かろうじて、自己ベストは更新しましたが、なんとも、あと1分を縮めたいのだがなぁ〜。

10キロの部が終わる頃に、ハーフのスタートです。
スタートを見ておりました。人の走りを見るのも楽しいものです。

本日の参加賞はバスタオルと、ハンカチタオルでした。

読書:気仙沼に消えた姉を追って

「気仙沼に消えた姉を追って」生島淳・著。

生島さんのお姉さんは、あの大震災で行方不明になってしまった。
私は、生島さん兄弟をTVなどで存じ上げていたが、実際にお会いしたことはない。それが、あの震災の折りに、ツイッターを介して、淳さんと直接、連絡を取ることになった。

あの時・・・

私達は、身内の情報を求めて、ネットをくまなく検索していた。小さな情報をも見逃したくはなかった。TVを付けながら、パソコンに向って、ツイッター、mixi、Google Person Finderを行ったり来たりしていた。

少しずつ情報が出て来て、安堵する者、落胆する者、そして、いまだ消息がわからずに辛い日々を過ごす者。あの思いは、まるで昨日のことのように覚えている。生きた心地がしない、それがどういうことか。今、思い出しても胸が詰まる。

あれから8ヶ月が経った。

生島さんのお姉さんは、DNA鑑定によって見つけ出された。
「お姉さんらしき人が見つかったらしい」という情報が入った頃にも、たまたま、お会いしていて、その時のご様子もまた、思い出される。

見つかって安堵する気持ち、そして、もう戻らぬという深い悲しみ。
言葉を発せずとも、その思いは強く感じた。

この本は、そういった生島家のことだけではない、気仙沼という土地柄を実によく描いていて、読み始めたら、最後まで読み切るまで本を閉じることが出来ない。

斉吉商店さんの話には、気仙沼の廻船問屋のことが、昭和の、気仙沼が最も輝いていたであろう栄華の日々を垣間見せながら、そのしきたりとでもいうのだろうか、気仙沼に住んでいても意外に知らぬ人も多かろう事も書かれていて、奥の深いものになっている。

生島家が気仙沼で生活するようになるいきさつについては、(生島家だけではなく)「気仙沼というところは商売になるらしい」ということで、色々な地方から人が寄り着いたという話は、伝説のように聞いていたが、実際に活字で読むのは初めてかと思う。

淳さん、書いて頂いてありがとうございます。

多くの人に読んで頂きますよう、書店にございましたら、お手にとってご覧ください。そして、出来ますならば、お買い求めくださいませ。

私達は、なぜか気仙沼という太い糸に引き寄せられたようです。
いま私は東京に暮らしているけれど、どこに住んでいても、気仙沼に思いを寄せる出身者は実に多いのです。それぞれが、それぞれの立場で出来ることを、これからも続けていきましょう。

この本は、私の宝物の一つになりそうです。

映画「無情素描」

18時過ぎにメールチェックすると、横浜の弟からのメールを発見。
人間ドックに入っていて、チェックが遅れました。

「震災後の気仙沼を映した映画「無情素描」が、今日だけ上映される」とな。
「一緒に行かないか?」とのお誘いだが、時計を見ると、あらら18時過ぎている。映画は19時開始。

迷う暇もない。すぐに外へ出る。
参宮橋駅近くの「国立オリンピック記念青少年総合センター・小ホール」へゴー!

参宮橋で弟と電話連絡を取り合い、一緒に会場へ。

映画「無情素描」大宮浩一監督の作品。

その映画は、4/28〜5/4までの気仙沼。
ちょうど、同時期に私も気仙沼に参りました。その時の記憶が鮮明に思い出されます。

玄侑宗久さんのお話、そして「お経」。

インタビューもあります。
これ(気仙沼弁)、字幕無しで皆さんに通じているのでしょうか?(^ー^)

気仙沼市内を映してはいるのですが、どこなのか説明がないので、出身の私でもちょっと迷うほどです。ガレキの山が続いて、そこがどこなのかわからないのです。

そんな中、マルキの魚市場前工場がチラリと映りました。海から撮影したのですね。あの当時、あの地帯は通行止めで行くことが出来なかった。

三春町の福聚寺(ふくじゅうじ)住職で作家の玄侑宗久さんのお言葉は実に興味深いものです。
「自然とどう共存していったらいいのか」日本中が模索しているけれど、「不安をかかえながら生きていくぐらいが調度いいのではないか」と最後に述べているのは興味深い話です。

お経を聞いていて、あの日に亡くなった大勢の方を思って、心で手を合わせました。
「無情」という言葉。心にしみます。

映画の中に出演していた医師は、長尾和宏さんのようです。
ネット検索して、辿り着きました。
長尾医師は開業医であったため、GWを利用しての旅だったのですね。

そして、気仙沼出身の小野寺英孝さんという医師は、聖マリアンナ医科大学から医師団として救護にあたっていたようです。

映画の後には、対談がありました。
NPO法人NICEさん」は、陸前高田で、今もボランティア活動を続けているそうです。

出身でありながら、何も出来ない私、
もどかしい思い。
形に出来ないむなしさを抱えたまま歩いています。

そんな気持ちを押さえつつ、映画の後は、弟とダンナと食事をして参りました。
ロシア料理の「マトリョーシカ」の
「つぼ焼き」でございます。美味しうございます。

1泊人間ドック(2日目)

1泊人間ドックの2日目は、朝から検査・検査ですが、「胃のレントゲン」は、果たして「胃カメラかどうか?」それが一番の心配でしたが、バリウムでした。ホッ…安堵。その前に、初めての「直腸の検査」。これは恥ずかしい。でも、これで病気が見つかるならばとエイ。

すべての検査が終了すると昼食を頂いて、午後には結果説明です。

結果は、健康!

一つ一つ丁寧に結果を見せて頂いて、胃のバリウム検査の結果は、何枚もスライドを見せられて、「悪い場合はここにこういうのが出来るのですが、何もないですね。ハイ異常なし」ってな感じで「これも異常なし」「こちらも問題ないです」と続きます。

例年の健康診断よりも、細かい数値が出ていて、ヘェーと感心しました。

健康だからフルマラソンを走れているのか?
フルマラソンを走っているから健康なのか?

食生活と適度な運動、そして睡眠。

語り尽くされてはいるキーワードだが、こういう事を守って続けるのが案外と難しいもんですよね。
来年も健康でありますように。