読書:気仙沼に消えた姉を追って

「気仙沼に消えた姉を追って」生島淳・著。

生島さんのお姉さんは、あの大震災で行方不明になってしまった。
私は、生島さん兄弟をTVなどで存じ上げていたが、実際にお会いしたことはない。それが、あの震災の折りに、ツイッターを介して、淳さんと直接、連絡を取ることになった。

あの時・・・

私達は、身内の情報を求めて、ネットをくまなく検索していた。小さな情報をも見逃したくはなかった。TVを付けながら、パソコンに向って、ツイッター、mixi、Google Person Finderを行ったり来たりしていた。

少しずつ情報が出て来て、安堵する者、落胆する者、そして、いまだ消息がわからずに辛い日々を過ごす者。あの思いは、まるで昨日のことのように覚えている。生きた心地がしない、それがどういうことか。今、思い出しても胸が詰まる。

あれから8ヶ月が経った。

生島さんのお姉さんは、DNA鑑定によって見つけ出された。
「お姉さんらしき人が見つかったらしい」という情報が入った頃にも、たまたま、お会いしていて、その時のご様子もまた、思い出される。

見つかって安堵する気持ち、そして、もう戻らぬという深い悲しみ。
言葉を発せずとも、その思いは強く感じた。

この本は、そういった生島家のことだけではない、気仙沼という土地柄を実によく描いていて、読み始めたら、最後まで読み切るまで本を閉じることが出来ない。

斉吉商店さんの話には、気仙沼の廻船問屋のことが、昭和の、気仙沼が最も輝いていたであろう栄華の日々を垣間見せながら、そのしきたりとでもいうのだろうか、気仙沼に住んでいても意外に知らぬ人も多かろう事も書かれていて、奥の深いものになっている。

生島家が気仙沼で生活するようになるいきさつについては、(生島家だけではなく)「気仙沼というところは商売になるらしい」ということで、色々な地方から人が寄り着いたという話は、伝説のように聞いていたが、実際に活字で読むのは初めてかと思う。

淳さん、書いて頂いてありがとうございます。

多くの人に読んで頂きますよう、書店にございましたら、お手にとってご覧ください。そして、出来ますならば、お買い求めくださいませ。

私達は、なぜか気仙沼という太い糸に引き寄せられたようです。
いま私は東京に暮らしているけれど、どこに住んでいても、気仙沼に思いを寄せる出身者は実に多いのです。それぞれが、それぞれの立場で出来ることを、これからも続けていきましょう。

この本は、私の宝物の一つになりそうです。