北海道東京会議(2011年11月)

北海道東京会議」11月の定例会に参加しました。

ダンナが北海道出身であったり、サロマウルトラに連れて行ってくださる皆様との北海道のご縁です。

月に一度の開催で、これまでは「北海道東京事務所」をお借りしていましたが、改装工事のために今回は初めての会場「イトーキさんのショールーム」をお借りして開催です。新富町駅のすぐそばと立地条件はいいですし、ステキなショールームです。

本日のゲストは、総務省行政管理局 電子政府研究官の中井川禎彦さんです。
テーマは「番号制度のこれまでとこれから」

中井川さんもお話されていたように、きちんと運用がなされれば、また税以外にも医療の現場などでも活用していくことで、私どもにはメリットはたくさんあると思います。それでも反対意見もあるし、また万が一、情報が漏洩された場合はどうなるかといったことや、漏洩されないためのあらゆる方法など、まだやらなければならない事は多いようです。

懇親会で、直接、「住基カードの二の舞になりませんか?」と失礼な質問をいたしました。
「やり方によっては、なってしまう可能生もある」と正直に話して頂きました。「ただし、その経験があるからこそ(その反省も踏まえて)成功させるのだ」という意志も感じました。失敗は成功のもと。次は成功させて欲しいです。

近いうちに若い方に向けた雑誌においても「番号制度」について取り上げられるようです。

私は、煩雑な事務の手間を省くことで、無駄を省けるだろうと思っているし、なにしろ利用する私達にはメリットがあると感じています。ドンドン進めて欲しいと思っています。同席した別の方が、直接に良いご提案をされていました。同じ席にいて、なるほどなぁと思いますし、このような意見を広く聞いて欲しいとも思います。

懇親会はいつもとても楽しい席ですが、今日はなんと「南極の氷!」頂きました。

私は本日はウーロン茶を。皆さんはウィスキーのオンザロックなどを味わいました。
こちらはウーロン茶を飲んでる途中でございます。
なんとも深い味わいです。
氷に飲み物をそそぎましして耳をすますと、溶ける音が軽やかになります。ロマンです。

ちょうど「南極大陸」というドラマを見ておりまして、子供の頃によんだ「しらせ」そして「宗谷」の物語を思い出します。船とか南極には全然、興味がなかった私に、母が「これを読んでみて」と与えてくれた記憶があります。読んでみて、おもわず引き込まれました。やっぱりロマンでしょうか。

なぜ、ここに「南極の氷」があるかというと、南極観測に協力をしているのだそうです。そのように様々な協力があって継続していくのですね。

心で、Do!

「心で走る」と言われています。
マラソンを走っていると、途中で、辛くて辛くて止めたくなる、投げ出したくなる。
でも、最後まで走るゾ!という「気持ち」が完走を支えています。

どういう時に、そういう「気持ち」が出来るのかというと、

私の場合は、「仲間が応援してくれる」とか、「仲間が走っているから私だけ止められないわ」とか。

考えてみると、自分一人は弱いもので、いつも仲間に助けられています。

今年・・・・

あの大震災があり、私は、すっかり凹んでしまいました。
いえね、いまだ凹みはありますよ。でも、だいぶ良くなりました。

震災があって、私は何もする気が起きなくなってしまった。

あんなに大好きだった仕事も、走ることも、音楽も、読書も、
もっと言うと、食べることも、寝ることも、
何をする気も起きない。気力がなくなってしまった。

それでも、仕事だけは、穴を空けまいと歯を食いしばっていました。
そんな状態ではミスを連発して、会社の連中に迷惑をかけっぱなし。
これまで、そんなミスなんかしたこともないのに。

そして、ハタと気付いたのです。
例えば、社員にミスの多い方がいるとします。社員とは限りませんね、一緒に何かをしていく仕事上の知人や、仲間、etc…。

私は、どうして、そんなミスをするのか、まったく理解出来なかった。あの震災までは。

でも、何か少しわかりかけた気がします。
もしかしたらですが、「心」が仕事に向えない状態にあるのではないでしょうか。

何か心配ごとを抱えていたり、自分に自信がなくて常に不安に思っていたり、心が集中出来ない何かがあるのではないでしょうか。

私でさえ、このまま進むと心の病気になっちゃうんじゃないかと真剣に悩みました。それをどう乗り越えたか。

結局は、走りました。
いえね、最初は走れません。
だから、歩きました。

ただただ、呆然と歩きました。
最初はね、歩くことさえ辛かった。
でも歩いた。

そうして身体を動かして、なるたけ人と会話をして、食べたくもないけれど、何かを無理矢理食べて。

そして、変な話ですけれど、気仙沼の情報から、少しだけ間隔を置いてみるということもしました。

なぜなら、私は、全てを捨てて気仙沼に帰ってしまいたいという衝動にかられていて、でも、今、それが出来ない自分がいて、それが辛かった。だから、あえて少し距離を置いてみたりして。とにかく思いつくことはやってみた。どうしようもない心の置き所がなくて、それを探してさまよっていた。

そうやって、本当に辛い8ヶ月を過ごして、やっと、少しだけ前に向かってる気がします。来月、本当に久しぶりに、バンドの練習会に参加することになりました。これも、私をゆっくり待ってくださった仲間のおかげです。私一人の力ではないのです。

そのきっかけは、自分が実行委員長を務めさせていただいた「気仙沼を元気にする会」でした。あの会は、気仙沼を元気にしたいという思いで始めましたが、会を開いて気がついたのは、自分を元気にする会だったのではないかという事です。

もし、バリバリ仕事するとか、新しい事にチャレンジするとか、そういう事が出来なくてお悩みの方は、心が前向きになれない原因を探ってみるといいと思います。そしてその原因を解決する方法を模索してみます。

震災までの私は、気持ちの上では弱者ではなかったろうと思います。いつも前向きに生きていた。それだけが取り柄でしたから。

だから、気持ちが弱っている人の気持ちというものをわからなかった。社員を指導するのであっても、まったく、気持ちがわからなかった。でも、今は少しだけわかる気がします。

「心」を元気に。
そうすれば、きっとモチベーションがあがり、良い仕事が出来ましょう。

「心」を元気にする方法は人によって異なるけれど、ちょっと身体を動かしてみるのも効果的のように思います。それでも、人によって差はありましょうが、50歳になった私の場合は8ヶ月はかかったということです。そのように数ヶ月ものスパンで考えて、焦らずにゆっくり過ごしてみていいのだと思うようになりました。

そして、ご心配をおかけした皆様、私は元気になりました。
もう大丈夫です!

ご無沙汰してしまった皆様、申し訳ございません。
これから明るい笑顔で会いに行きます。