えちご・くびき野ウルトラマラソン(100km)

いよいよ、やって参りました!
えちご・くびき野ウルトラマラソン」100kmの部に出場です!

この大会は2年に一度の開催。
峠が5つもある難コース。
5つで1500m以上の上りと下りがあります。
いまの私にはちょい無理だけど、今年諦めたら次は2年後になっちゃうから、思い切ってゴー!

朝3時に起きて、
4時に宿の前に大会のシャトルバスが来るので、それに乗って会場へ。
会場までは10分もかからないと思います。

夜明け前の会場はまだ暗い。
ここがスタートゲート。

体育館の中で着替えやストレッチ。
夜明け前の外は寒いけれど、中は暖かくて助かります。
トイレは体育館の中も使えたし、外に仮設もあります。混み合う前に行けたのでスムーズで助かりました。

3時におにぎりとカップのみそ汁を飲んでます。
5時半のスタートまでに時間があるので、もう一つおにぎりと、バームクーヘンも持ってきてます。
いつも食欲旺盛なのに、なぜか今日は食べられない。
実は1週間前から風邪で薬も飲んでいます。
熱はないけれど喉の痛みと咳と鼻水。そのせいなのか?

途中のエイドが充実していると聞いているので、無理して食べなくてもいいかな。
バームクーヘンをちょこっとつまんで、おしまい。
(それが後になって影響してしまうのですが・・・)

ゼッケン番号は「3011」
今日も「おだづなよTシャツ」です!

がんばるゾ!

開会式の後、皆さんといっせいにスタート地点に進みます。
夜明け前。薄暗い中に、男性1,434名、女性274名の参加者。
それぞれに、様々な思いを持って、100kmの難コースに挑みます。

マイクを持った女性の声「がんばるぞー」のかけ声に、皆さんで「オー!」と声を上げます。
そして...「1分前」ヒューヒュー!

本日、ここに立てたことに感謝します。
一昨年に50kmの出場した時は震災前だった。
この2年の間に、色々なことがあって、大きく変わってしまった。
それでも、今、私はここにいる。
皆さんのおかげで、私は生きています。
そして、また走り始めました。

10秒前!オー!
9・8・7(声がそろっていきます)
6・5・4(いよいよだわ)
3・2・1・ワー!!!!!!!!!!!!

長い長い旅に出ます。
ゴールまでたどり着けるでしょうか。
行けるところまで、諦めない。

ミゾさんと一緒に「スタートはゆっくり行きましょう」
最初の2kmはキロ7分ちょい。ちょっと遅い?
少しだけ上げましょう。

と思っていたら、「あれ、もう5km?」
涼しくて、薄暗くて、心地よい。
そのまま10kmまで進みます。途中でキロ6分くらいになったけど、私は6分半くらいに落とします。

次第にミゾさんとの距離が開いてきました。
そして、とうとうミゾさんは「先に行ってるねー」
「はーい、また会いましょう!」

10km少し過ぎまでは、とても調子が良かった。
これは行ける!

ところが、、、15kmになるかならないか、なんだか様子がおかしい。
6分半もやっと、こんなタイムで走っている。なんだろう?

沿道には、こんなに朝早くから応援の方がいらしていて嬉しいです。
ありがとうございます、ありがとうございます!
「気仙沼〜がんばれー」という声援をたくさん頂きました。ありがとうございます。

ところが・・・
エイドで、珍しく食べられない。
何かを食べようとすると、ゲっとなっちゃう。
美味しそうな「コシヒカリのおにぎり」とかあるのに。

どうにかオレンジを口に入れて、レモンを少しかじって、とにかくゴー。
私は、走りながら食べれるのが、ちょっとした自慢だったのが、今日はダメです。どうしたんだろう?

そのツケが徐々にやって来ます。
あれれ、思いのほか汗もかいています。
顔から汗が流れ落ちる。これは・・・ちょっとした脱水症状。
屈伸をしたら、立ちくらみもひどい。ヤヤヤ、これはいけない。

しかし、エイドが充実していると思ったので、いつもなら持参するスポーツジェルを持ってなかったのです。スポーツジェルが必要になるのはラスト80km以降だろうと思って78.2kmのトランジット袋に入れてしまった。序盤はなるたけ「軽く」しようと持参しなかったのが裏目。

とにかく、前へ前へ。
まずい。平地で時間を稼げない。ギリギリだわ。

26.1kmの板倉区総合事務所のエイド、わー、充実している。
それでも、砂糖飴を口にポンと入れて水とスポーツドリンクでいっぱい。うーん、おかしい。

もしかしたら、今日はちょっと暑いの?
まわりの人も、みんな汗をかいています。
エイドでも「何も食べれない」と話している女性もいます。
気温が高めなのでしょうか?

40kmのちょっと手前だったか、建物の中のトイレが使えるので入っておくことにしました。
トイレの鏡で顔を見て驚いた。大汗かいてました。
Tシャツの下に着てるアンダーシャツもビチャビチャになるほどの汗。
これはまずいわ。とにかく水分、水分!

途中のエイドで紙コップが足りないところがありました。
きっと、皆さんも水分を補給しているのでしょう。
私のように遅いランナーにコップが残らないほど。ボランティアの皆さんが紙コップを洗って使い回してくださいました。あとで聞いたところ、例年よりも暑かったそうです。ここ3回ほどは雨が降ったそうです。

なんとか40kmまで行かなければウルトラに出た甲斐がない。
がんばれ、がんばれ。

40km手前から坂道が始まります。
その坂の手前におばさんが応援にいらして、
「ハイー、ここから峠のはじまり、はじまりー、がんばってー」
「ウィーッス、がんばりまーす」

やっと40kmの表示!
サ、ここからだ。

たぶん40.5kmのエイド「牧区総合事務所」だったと思うのですが、「おぼろ汁」があって、おぼろ豆腐入りの汁。
これで、やっと豆腐を胃に入れることが出来ました。美味しい。

第1関門は51km地点。12時20分までにたどり着かなければならない。
そこまでに峠2つがあります。

坂は、例えば箱根の5区とか、奥武蔵ウルトラや、伊豆大島のコースよりは、なだらかに入ったという印象です。それらの大会では走れたような道も、40km走った後では足にきてます。

上りは徐々に歩きになりました。無理をしないで歩きで行って、下りはダッタっと走っておりて、2つ目の峠。また徐々に走りから歩きに変わり、それでも頑張って早歩き、ハァーハァー、ゼーゼー、歩いていても呼吸が上がります。

そして、また、下りはダッタッタっと下って、第1関門の制限時間の5分前。ギリギリの通過。
うわっ、あと5分だったよー。

そこでいただいたのが「豚汁」
その器を持って座るところを探すと、オー、ミゾさん!
ミゾさんは着替えのために、「50番会のTシャツ」から「おだづなよTシャツ」にゼッケン番号を変えていました。着替えをするとゼッケンを張り直さないといけないのです。

セッセとゼッケン番号をはるミゾさんの隣に座って豚汁を食べるワタクシでございます。
これが美味しい!
これまで食べ物を受け付けなかったのが、ウソのように食べます。生き返ったわー。
急いで食べると、「ミゾさん、ごめん、私は遅いから先に行きます」「また会いましょう」

先を急ぎます。
ミゾさんは速いので、あとから追い越されることでしょう。
とにかく、先へ、先へ。

これからあと2つの峠を越えると第2関門。
全部で5つの峠がありますが「4つ目が一番きつい」と様々なブログに書いてあります。

もう上りは、最初っから歩きになりました。
それでも出来る限りの早歩き。ハーハーゼーゼー。

山の上の方がいくらか涼しくて、それで、徐々に食べ物を口に出来るようになりました。バナナを少し食べて、あとはオレンジにレモン。美味しそうなおにぎりには手が伸びません。残念。

いつも苦手な下り坂。
それでも奥武蔵や箱根を走った経験が生きたのでしょうか。
少しはまともに降りてます。
膝に痛みもありません。下り坂で時間を稼いで、今回の目標である第2関門をどうにかクリアしたい。

景色を見る余裕がないのですが、時々は「そうそう、景色を楽しみましょう」とまわりを見ます。よくブログに写真を掲載されている方がいるけれど、私は景色を見る余裕すらないから、写真は到底無理です。その景色を目に焼き付けます。

たくさんの「かかし」がある地区がありました。
ユニークなかかしがたくさんあって、微笑ましいです。

「声援メッセージ」が書かれた立て看板も多数ありました。
そして、沿道の声援、お年寄りの方が多いですが、その声援はとてもとても励みになります。

「あら、あの人は気仙沼だって」
「ほう、気仙沼ってどこ?」
「宮城県」
「あらー!」と背中に聞きながら走ります。ありがとうございます。

第2関門(69.4km地点に14時50分)に間に合うかどうか。
ボランティアさんが誘導しています。
「あの角を曲がるとすぐですよー」

「すぐ」って言っても全然すぐじゃない時もあるよねー、なんて思いながら、その角を曲がると、「あ!」そこが関門でした。
中学生がたくさん待っていてくれて、ハイタッチ、ハイタッチ、ハイタッチ。
私も笑顔、笑顔、笑顔。

ここまで来たんだなぁー。
関門を越えると、アイシングのサービスがありました。
私は椅子に座って、両足をアイシングして頂き、肩に冷たいタオルで冷やしてもらって生き返りました。
まだ行ける!

ありがとうございます。
関門を後にして進みます。
両足のふくらはぎがパンパンに張っていたのが、少し和らぎました。

次は、78.8kmのトランジットを目指しましょうぞ!
そこまでに、最後の峠があります。
最後の峠は、4つ目までより低いはず。

ほどなくして、その最後の峠がやって来ました。
低いと思った峠は、いまの足にはぜんぜん低くない。
またまた辛い上り坂。歩きですけど、精一杯。ハーハーヒーヒー。汗かきながら上ります。

「おだづなよ」ってどういう意味ですか?
たくさんの方から聞かれました。

気仙沼ではよく使われる言葉です。
「ふざけるなよー」とかそういう意味というと、皆さん、なぜかニヤリとされます。
「海とか津波に向かってね、ふざけるなー・みたいな気持ち」

最初は「気仙沼からですか?」という問いかけに、「実家が気仙沼で被災して、私は東京に住んでいて」と応えていたのですが、そのうちに、疲労状態から「ハイ、気仙沼から来ました」と言ってしまいました。ごめんなさい。

でも、気持ちは「気仙沼から来ています!」

沿道には、昔ながらの建物が多くありました。
きっと、震災にあわずに住める良い土地なんでしょうね、と何もなくなった気仙沼と照らし合わせています。

こんなに良いところで、代々、農業を続けて来て、それが昭和から平成になって、農業を継ぐ者が少なくなって、時代の流れとはいえ、数十年の間にこんなに変化してしまって、どうにかならないのだろうか。

ふくらはぎの張りは、徐々にひどくなりました。
エイドの間隔は2.5km程度ごとにあります。そのたびに立ち止まって水分補給とストレッチ。

78.8kmにトランジットのエイドがあるのですが、なぜか76.8km地点だと勘違いしていて、そのエイドを目指していたのに、あー、違ったのねー、そこで心がちょっと折れてしまい、おまけに一つしかない椅子に女性が座っちゃって、あー、あの椅子に座りたいけど、空くのを待つ時間もない。ストレッチもそこそこに走り出したら、両足のふくらはぎが、ピクーン。なんだかもう一歩も足が出ない。

ちょっと走っては立ち止まり、しまいに歩き出し、ボランティアさんに「大丈夫ですか?」と聞かれる始末。
「まだ間に合いますから、がんばってください」「ハイ」トホホ。

それまで、抜きつ抜かれつしていた男性2人組に、「おだづなよ」の意味を聞かれたり、「気仙沼さん」などと呼ばれていた方達から、激励の「飴」を頂きました。「気仙沼さーん、まだ大丈夫だから走ろう!」と。

ありがとうございます。その飴を口にポンと入れたら、不思議な力が出て、もう少し行ける!
最後の力を出して、やっと78.8kmのエイドステーション。

トランジット受け取りますか?」と中学生さん。
「受け取ります」と私。

汗が冷えて寒いのです。
本当は着替えたいけれど、時間はない。

預けていた荷物から「アームウォーマー」と「手袋」と「スポーツジェル」を取り出して、後はすぐに預けます。

ここにおそばがあります。
食べていたら時間が足りない。
ふくらはぎが限界で走れそうにない。

どうしよう?と思いながら、おそばを見たら、美味しそう☆
とりあえず、食べるとしますか。
椅子に座っておそば食べて、

「やっぱ、行けるところまで行くのだ!」
また走り出しました。
アームウォーマーが暖かい。

沿道の若いお母さんとお嬢ちゃん。がんばれーの声援に「ハイ!」
なんとしても80kmまでは行こう!

小さな角の信号につかまりました。
小さな道に車は来ないけれど、交通ルールは守ります。
そして、先を急ぎます。
不思議とふくらはぎが少し回復。

もしかしたら、今日のふくらはぎは、脱水症状も原因していたのかな?
すると、後ろから飴をくださった2人組の男性が、ものすごい勢いで私を抜去りました。キロ6分か、それより速いか?最後の力を振り絞っている姿は、ちょっと感動ものです。

私もがんばる!
走る、走る、走る。

80kmの表示!ヤッタ!
あと1km行きましょう!

時計を見ると、もう第3関門には間に合いそうにありません。
それでも、少しでも距離を延ばそうと走ります。
前後の人もそうです。

みんな、もうダメかもしれないのに、最後の最後まで諦めない。
「走る女」のTシャツの女性もダットのごとく走っています。懸命に。

82kmの表示!
その辺りで、審判というゼッケンを付けたからから、指で「バツ」を書かれました。
「もう間に合いませんよ」
「行けるところまで行っていいですか?」と私。
「いいですよ。次のエイドで終わってください」
「ハイ」

もうダメなんだろうか。望みはないのだろうか?
次のエイド。
「もうダメですか?」と私。
「行けるところまで行っていいよー」とボランティアさん。
「ハイ」と私。

後ろを振り返ると黄色いTシャツの人が、足をひきずりながら歩き走りしています。
負けじと私も歩き走り。

時計を見ると、あー、もうすぐ17時5分になっちゃう。
と思っていたら、「審判車」と書かれて車が目の前で止まり、中から「審判」のゼッケンを付けた方々が降りていらして、

「ハイ、お疲れさまでした。ここで終了です」
「お世話になりました、ありがとうございました」と私。

後ろから来た黄色いTシャツの方、そしてその後ろの方も止められ、3人のゼッケンをはずされました。
もうすぐ収容バスが来るからそれに乗ってください。
「ハイ」

そうして、審判車は走り去りました。
終わった・・・。

立ち止まったら、汗が冷えて寒い。
ガタガタ震えながら、話をしながら収容バスを待ちます。
30分ほど待った頃でしょうか、上越市と書かれた車が停まって「乗ってくださーい」

そして、第3関門である柿崎区総合事務所まで乗せて頂きました。
乗ってすぐに84kmの表示がありました。わずか数十メール先。
ほぼ84km走ったということになります。

あと1.4kmで第3関門だったのになぁ。
でも、もうキロ8分が精一杯だったから、12分ぐらいかかったでしょうか。
逆に言うと、あと12分あれば、越えられたのでしょうか。

その関門をギリギリに通過したとしても、残りをキロ7分以内で行かなければ完走は出来ません。
結果的に無理だったと思います。

柿崎区総合事務所のエイドでは毛布を借りました。寒さでガタガタ震えていたので、とても暖かく感じました。そうして「おかゆ」を頂きました。他にもおにぎりや笹団子や、様々なものを持ってきてくださいましたが、食べ物を受け付けないのです。「おかゆ」を美味しく頂いて、収容バスを待ちます。

その間にも、リタイアした人達が続々と連れて来られていました。
そうして、収容バスに乗ると、先に行ったと思った「走る女」さんもバスにいました。あの速さでも無理だったのか。男性2人組は乗ってないから、無事に関門突破したんですね。

ウルトラマラソンは不思議な連帯感が出てくるものです。

収容バスに座った途端に熟睡してしまいました。
前の晩に、あまり眠れなかったのです。

バスから降りて、そういえば、ミゾさんが私を追い越していなかった。
ミゾさんもダメだったのかしらん?
メール、そして電話。
「ミゾさーん、ダメでした」

ダンナにも電話。
「ダメだった」とひとこと。
急に残念な気持ちがドワーっと湧いて来た。

収容バスはゴール地点に運んでくれるのです。
そこでみる、感動のゴール。
そこにいない私。

ゴールした人には、中学生が甲斐甲斐しいお世話をします。
私も2年前の50km完走の時はそうでした。
毛布を持ってきてくれて、「何か食べますか?」とか、荷物を取りに行ってくれたり、とにかく至れり尽くせり。

それがリタイアの私は全部、自分でします。
自分で荷物を受け取り、トイレで、さくっと着替えて、「ミゾさん、ホテルに帰りましょう」

その直前に撮った写真。
残念だけれど、今日、自分に出来ることは全てやったという満足感は出てるような表情でした。

宿で風呂に入り、2人で反省会。
内蔵が弱ってしまって、何も受け付けない。
こんな事はサロマでもなかったわ。

「冷や奴くださいー」

タイムは手元の時計で次の通りです。
スタート地点まで:35秒
5km:33:45
10km:31:40
15km:32:27
20km:32:34
25km:35:43
30km:44:13
35km:38:33
40km:49:46
45km:43:44
50km:52:34
55km:42:43
60km:38:14
65km:40:42
70km:55:17
75km:36:10
80km:36:58
84km:(時計を止め忘れ、そのままリタイア)
——————-
合計:11:35

2年後にリベンジしますよー!
完走したいぞー>えちご・くびき野〜〜〜。

参加賞のTシャツはこちら。
今年のキャッチコピーは、「この挑戦は孤独ではない」でした。