南気仙沼小学校のこと

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大震災の前日にたまたま定期購読の契約をしていた。契約した時には、まさか、このようなことになろうとは思わなかった。地元の情報を三陸新報によって得ている。

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先日の一面には「南気仙沼小学校が気仙沼小学校に統合するかどうかについての懇談会が開かれた」という記事が掲載されている。これまで何度もこれに関する記事が掲載され、注目している。

南気仙沼小学校の誕生は、気仙沼小学校の火災によるものと記憶している。
ちょうど、私たちが入学する年の3月に気仙沼小学校が火災にあった。火災は夜だったか、朝だったか記憶は怪しいが、不審火だったような気がする。

その火災で、校舎一部を焼き付くし、私たちの年から、急遽、南気仙沼小学校が出来た。
そして、もし、今回の大震災にて「南小」がなくなるとするならば、火災によって誕生し、震災によって統合されてしまうという、悲しい運命をたどることになる。

弟の家は南小学区にあり、甥達は南小出身だ。
その地域は、被災が激しい一帯で、小学校も被災した。

南小出身の、中学の同級生らから話を聞くと、私達の代の間は、まだ校歌がなかったそうだ。6年間、校歌なしで過ごしたという話からも、急遽、出来たという感じわかる。そのためかどうかわからないが、私の同級生達の、南小の連帯感は強い。

それもそうだ。入学してから半年は、気仙沼小学校の中だったか外だったか、第2校舎などと呼ばれた古い校舎を仮の校舎として使っていた。そして、出来立ての南小にお引っ越し。真新しい校舎と、日本じゅうが高度成長期。これから何かが始まるという期待感、ワクワク感。そういったものが南小にはあったのかなと想像する。

現在の少子化の時代に、ただでさえ児童の数は減少していたのに、ここに大震災があり、家を失い、仮設に、アパートに、そして親戚宅に身を寄せている状況において、小学校の継続が難しいことは誰もが頭で理解している。

しかし、そこに心がついていくには時間がかかる。
これまで統合に反対してきた保護者から、初めて早期統合を求める声が出たようだ。そして今回の懇談会の論点では「児童の心のケア」や「統合時期」に絞り込まれたようだ。

自分たちの学校がなくなる寂しさ、喪失感は、私たちが通った女子高が、男子高に統合されてなくなってしまった経験を持つ者としては、なんとも切なく、色々なものを失ってしまった児童にとっては、どれほどの喪失感なのだろう?と悲しい気持ちになる。

でも、どうにもならないことが、世の中にはたくさん、ある。