なるようになる

経営者同士が会いますと、大中小・零細問わず、どこもかしこも「厳しいです」が挨拶代わりになりました。なんつたって100年に一度とも言われる大不況ですから、これまで経験したことのなような経験をしているのでしょう。こんな時には過去の経験も役には立たないもんです。

この不景気で決算期であるこの3月に自殺者が増えるのではないかと予想されているそうです。
死ぬ気があるなら、何でも出来る!

人生は「なるようにしかならない」
でもね、きっと、「なるようにはなる」と思います。

派遣切りされて職業も住まいもない人であっても、例えば「介護の現場」では人が足りなかったりします。人が足りないところでは自分を必要とされるのです。必要とされることは嬉しいモンです。それまでの仕事とは異なるかもしれないけれど、賃金も下がっちゃうかもしれないけど、そういう事にチャレンジする機会を与えられることを感謝して進んでみるのもアリではないでしょうか。人生、なるようになると、時々思うのです。これも神様のおぼしめしかな。この試練を乗り越えて次に飛躍するように神様が設定したのかもしれません。

フェンシング…

私が卒業した高校は、統合されて今は名前が残っていません。
なくなってしまったけれど、本当に楽しかった高校生時代。
それが、もう心の中にしか存在しないわけですが…。

先日、親戚のY子ちゃんと話していると、Y子ちゃんは同じ高校の、なんと!フェンシング部でインターハイ優勝とか!

調べてみました。
こちらのサイトを見ると、、、オオオ!
フェンシングの第1回大会の女子の優勝も、我が母校です!
http://www.sportsweb.ne.jp/2002ih/eikou.htm

ここにある「鼎(かなえ)が浦高校(宮城)」が母校です。
気仙沼の伝統ある女子高でした。
今は、男子校だった気仙沼高校と統合して共学となりましたが、地元の女子校として、学問に部活動に、そして学校行事に、毎日が本当に楽しい時期でした。

フェンシングは、先の北京オリンピックから、にわかに脚光をあびましたが、私の母の頃から母校ではフェンシングが有名でした。地方にある県立高校としては珍しいと思います。10回以上のインターハイ優勝。北京オリンピックでは同高出身の菅原選手が7位入賞を果たしました。

後輩の皆様、益々のご活躍をお祈りしております。
共学となってからは、さらなる進学校を目指しているようですが、部活の方はどうなのでしょうか?

勉強よりも部活などから得る人間形成の方が、きっときっと、その後の人生に大きく左右すると、私は今も思っています。

映画:スウィングガールズ

そうそう、先日、借りてた「スウィングガールズ」見た。
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これ2004年の作品だったのかー。あっという間に時が流れてる。
東北の、普通の女子高生が、ひょんなことからジャズを演奏することに。こういう映画好きですよ。楽しくて、見た後になんか元気になる。
監督:矢口史靖

ひな祭り

東京は夜から、また「雪」が降っています。
今夜は、少し積もるだろうと天気予報。

今日はひな祭り。
日本の伝統を大切にしたい、と思うだけで何もしてない。

昼はそそくさと「カレーうどん」を食べ、夜はCoCo壱番屋の季節限定メニュー「グランド・マザー・カレー」を食べた。カレー好きで、うっかりすると、こんな食生活になってしまう。いかんいかん。

そんな呑気な場合じゃなくて本日も株価は値を下げて、さらなる不安感をあおり、「AIGの10-12月期は616億ドルの赤字」と発表され、616億ドルって、どんな数値なんだろうと、もうわけがわからなくなりますよ、ホント。

こんな時だからこそ、地に足を付けた仕事をしたいと思います。カレー食べてる場合じゃないっツの。

代々木にて…

気仙沼高校と旧・鼎が浦と気仙沼向洋の関東同窓会は夏に行われます。
今日は気仙沼高校(&旧・鼎が浦)の幹事会が行われ、参加して来ました。

今年(2009年)は、7月11日(土)で予定しています。
ご案内は5月半ばに送付予定ですので、どうぞ予定を空けていらしてください。

私は今年(この会)から幹事会に参加することになり、発送のお手伝いなどをさせて頂くことになりました。親戚のY子ちゃんからのお誘いがあってのことで、「私に何が出来るかしら」と思いますが、何かのお役に立てればと思います。

亡き祖母の誕生日、生きていれば95歳か…

本日、祖母の誕生日。
大正3年(1914年)生まれだから、生きていれば95歳か。

不思議なことに亡くなってからの方が、生きていた時以上に祖母を想う。

私は良くも悪くも、祖母の影響をおおいに受けた。
「女はかくあるべきだ」という祖母の想い。
それに反抗しまくった私。

祖母は70歳を過ぎて胃がんの手術を受けた。
もちろん、その当時は本人に癌であることは伏せており、そのため疑心暗鬼に陥った祖母が何度も、
「リー子ちゃん、私は癌かい?」と聞いた。
そのたび私は(家族の誰もが)「違うよ」と答えた。
祖母は何度も家族は呼んでは、
「私は癌ではないか?」と聞いた。

なぜなら祖母の手術は緊急を要したため、普段では行われないであろう年末に、むりやりスケジューリングされて執り行われたからだ。祖母でなくても疑ってかかるのは当然であろう。

祖母は懲りずに誰かと2人きりになると、
「おばあちゃんは何を聞いても驚かない」とか、
「早くおじいちゃんのそばに行きたい」とか、
いろいろな言葉で、相手の本心を探ろうとした。

私たちは「絶対に!どんなことがあったも!秘密を守る」ことを決めており、胃潰瘍を繰り返した。たまたま祖母は若い頃に胃潰瘍の手術をしており、それもありかなと思う状況はあった。最後には祖母も「癌ではない」と悟った。幸い祖母の癌が再発することはなかった。

その手術の後、見舞いに行くたびに
「どこか痛い?」と聞くと、
「どこも痛くない」と言った。

後年、私自身が骨折して手術を受けた際に、やっぱり痛いことを知った。
どんなに小さな手術であっても身体にメスを入れられるわけですから、なにかしらの痛みはある。ましてお腹を大きく切った痛みはどれほどあったのだろうか?それでも「どこも痛くない」と言い、痛そうな顔一つ見せない祖母に、当時の女の強さをみた。

祖母には100歳までは生きて欲しかった。
祖母は顔だちが美しく、いつも和服をキチっと着こなした自慢のばあちゃんでもありました。「さかなや」の「あねはん(おかみさん)」として、かくあるべきと頑張ったのだろう。

おばあちゃん、ハッピーバースディ!
そちらはいかがですか?

読書:編集者という病い

「編集者という病い」見城徹・著。
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だいぶ前に買って積んであった。
読み始めたら、グイグイ引き込まれて、読みながら元気になる本。

ところで「編集」という仕事って何だろう?って思いますよね。
以前、同級生の、詩人でエッセイストで小説家の友人・白石公子ちゃんと話をしていた時に「編集者」とのやりとりがチラリと、本当にちょっとだけ出て来たことがあります。たいした話をしたわけではないけれど、その時に「本というのは、作家一人の仕事ではない、良き作家には良き編集者がいる!」と感覚的に思いました。とはいえ、それで編集者の仕事を理解したわけもなく、いまだに私の中では謎な職業だったので、書店でこの本を見た時におもわず買った次第です。

それに帯には「顰蹙(ひんしゅく)は鐘を出してでも買え!!」ですからね、おもわず手にとっちゃいますよ、これは。

見城氏は「幻冬社」の創業者。
廣済堂書店から角川書店に移り、次から次へとヒットを飛ばす見城氏。

そして、「幻冬社」を創立する際には、「失敗する」と全員から言われたが、それを成功に導いた。その内側を、この本を読んで知る。

対談のページに、小松氏が

同世代の作家と一緒に語り合って、「また書きたい」と思うことはなかったですか。
なかったな。彼らと会うごとに、彼らの作品を読むごとに、分かってきてしまうんですよ。彼らの書くものには、書かなければ救われない「何か」がある。上手くても下手でも、強い祈りが込められ、膿んだ傷の感触がある。癒すことのできない痛みがあるから、表現をする。僕にはそれがなかった。だったら僕は、書くことより、ほとんど無名のこいつらをプロデュースしたほうが面白い。そう思ったんです。

見城氏は、「この人」と思ったら、とことん付き合う。尾崎豊と出会ってからは彼の事務所の設立に(会社員という立場であるにも関わらず)奔走する。坂本龍一と毎晩のように飲み歩き、アカデミー賞受賞の時には、その場でともに喜びを分かち合う。村上龍と一緒に1週間泊まり込みのテニスを何度もする。そこまでやるか、と思うほどのことをする。

パワフルな行動の裏には繊細な、こわれてしまいそうな繊細な内面もある。

小さいことにくよくよするな!なんてウソだ。小さなことをくよくよせずに、大きなことをプロデュースできるわけがない。小さな約束も守れない奴に大きなことができるわけがない。

ここまでするか、という想いと、ここまですれば何か出来る!という元気のようなモノに満ちあふれた本。パワーをお裾分けして頂いた気分。