読書:編集者という病い

「編集者という病い」見城徹・著。
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だいぶ前に買って積んであった。
読み始めたら、グイグイ引き込まれて、読みながら元気になる本。

ところで「編集」という仕事って何だろう?って思いますよね。
以前、同級生の、詩人でエッセイストで小説家の友人・白石公子ちゃんと話をしていた時に「編集者」とのやりとりがチラリと、本当にちょっとだけ出て来たことがあります。たいした話をしたわけではないけれど、その時に「本というのは、作家一人の仕事ではない、良き作家には良き編集者がいる!」と感覚的に思いました。とはいえ、それで編集者の仕事を理解したわけもなく、いまだに私の中では謎な職業だったので、書店でこの本を見た時におもわず買った次第です。

それに帯には「顰蹙(ひんしゅく)は鐘を出してでも買え!!」ですからね、おもわず手にとっちゃいますよ、これは。

見城氏は「幻冬社」の創業者。
廣済堂書店から角川書店に移り、次から次へとヒットを飛ばす見城氏。

そして、「幻冬社」を創立する際には、「失敗する」と全員から言われたが、それを成功に導いた。その内側を、この本を読んで知る。

対談のページに、小松氏が

同世代の作家と一緒に語り合って、「また書きたい」と思うことはなかったですか。
なかったな。彼らと会うごとに、彼らの作品を読むごとに、分かってきてしまうんですよ。彼らの書くものには、書かなければ救われない「何か」がある。上手くても下手でも、強い祈りが込められ、膿んだ傷の感触がある。癒すことのできない痛みがあるから、表現をする。僕にはそれがなかった。だったら僕は、書くことより、ほとんど無名のこいつらをプロデュースしたほうが面白い。そう思ったんです。

見城氏は、「この人」と思ったら、とことん付き合う。尾崎豊と出会ってからは彼の事務所の設立に(会社員という立場であるにも関わらず)奔走する。坂本龍一と毎晩のように飲み歩き、アカデミー賞受賞の時には、その場でともに喜びを分かち合う。村上龍と一緒に1週間泊まり込みのテニスを何度もする。そこまでやるか、と思うほどのことをする。

パワフルな行動の裏には繊細な、こわれてしまいそうな繊細な内面もある。

小さいことにくよくよするな!なんてウソだ。小さなことをくよくよせずに、大きなことをプロデュースできるわけがない。小さな約束も守れない奴に大きなことができるわけがない。

ここまでするか、という想いと、ここまですれば何か出来る!という元気のようなモノに満ちあふれた本。パワーをお裾分けして頂いた気分。