それもまた運命か

やっぱりたまに、、、なぜ男に生まれて来なかったんだろう、と恨むことがあります。

私の実家は商売をしており、第一子に跡取りの男の子を望んでいました。
生まれてきたのは私、女子であります。

そのことをプレッシャーに感じてしまった母は、数回だけ出たお乳が出なくなりました。母がどれほどにプレッシャーに思ったのかは知りませんが、私の3歳年下には(学年では4学年下に)弟が生まれ、オヤマ家は跡取りが出来たと安堵し、我が家の人気は弟に集中しました。そして、第3子にも男の子が生まれ、大人たちは大変に安堵しました。

私は、第一子らしく周囲からは大切にかわいがられ、何不自由なく育ちましたから、なにも恨むこともないのだが、胎児の時から「男の子であってくれ」という周囲の期待がどこかに刻印されてしまったかもしれません。

女性は「仕事か結婚か」の二者択一しかないと思った時代に、周囲の予想を裏切り、私は仕事を選択してしまいました。

仕事を始めてからは女性であるというだけで、いろいろな問題を抱えます。
けれど逆に女だからと許されてきたこともあります。

プラスマイナスするとチャラか、もしかしたら優遇頂いたことの方が多かったかもしれません。

けれど、けれど、けれど、
やっぱり、やっぱり、やっぱり、
なぜ男に生まれなかったのだろうかと思う事態は時々やって来ます。

私の曾祖母という人は4姉妹の次女でした。
嫁に行くべきところを、なぜだかオヤマ姓を名乗り、男まさりであったと伝説にあります。
その人もまた「男でありたい」と思ったのでしょうね。

その人の娘(祖父の姉)という人も嫁いだ家を繁盛させた男まさりの人でしたから、そういう血が私にも流れているのか、それとも胎児の時からの「男であって欲しい」という願いが刻印されてしまうのか。

明治時代の先祖のことを思ってみますと、少し大げさですけど当人にとってハンディとなることを背負って生まれてきたことが、なにかの礎になっているとしたら、それもまた運命ということでしょうか。