どうやら、今の20歳前後の若い気仙沼の人達(私の子供世代)は、気仙沼弁を知らぬ世代になってきたようだ。それはいけない。
理由は明らかで、親である我々世代が使わなくなってきたからだ。
なぜか?
TVの影響もある。そして全国統一的に使う学校の教科書と画一的な教育にもある。
例えば、「まなぐ」これは「目」のことで、「まなぐあげろ」は「目をあけて」で、私の父は普通に使った。しかし、我々世代は「まなぐ」を使わなくなってしまった。
学校では「目」を指して、「め」とも言うし、「まなぐ」とも言います、なんて教育はない。
それがもう一世代下にいくと、じいちゃん・ばあちゃんと同居しない子供たちにとって、それは死語になる。次世代に語り継がれない。
これでいいのか?
東北においても、仙台や盛岡のような都市部では標準語で話しているらしい。これでいいのか?
その昔、東北出身者が「ズーズー弁」といってバカにされた悲しい時代があったから、これを否定してしまったのかもしれない。
私たちは毅然とした態度で、気仙沼弁の良さを後世に残すのだー!
標準語では表現しきれないビート感がある気仙沼弁を生で聞きたい方は、今週末の「目黒のさんま祭」にお越しください。