「ぐんじょう色のペンkesemoi」に「千代丸の事…あれからひと月」が書かれた。
KABOさんの「千代丸の事を書かないと一歩も前に進めないのだ。」というせつない思いが伝わる。
「狭い田舎町の事だ、直接の肉親でなくてもなにがしかの関係で繋がりがあったりする。」私も直接ではないが、母の知人2人が乗船されている。母は電話の向こうでその話をするたびに涙ぐむ。
船の中ではどのような会話がなされ、どのような決断がなされたのだろう。すべては想像だが、そこまでしなければならなかった状況が、今の気仙沼を象徴しているように思う。気仙沼だけではない。格差が広がる日本の、一部の潤う都市部以外すべてを象徴しているようだ。
私は都会の一角で、机に向かってヌクヌクと仕事をさせてもらっているが、大自然と戦いながら生きている人がいる。気仙沼はそういう海の男が生きる町だ。