お墓参り

「第61回 気仙沼みなと祭り」のパレードの途中ではありますが、弟が仕事が終わったというので、車に乗せてもらってお墓掃除に参りました。

菩提寺は宝鏡寺。
弟夫婦と母と私の4人で、セッセとお掃除。

昨日のうちに買っておいたお花を持って。
お花は、紫市場の「塚本さん」と、母のアパートの近くの「なかよしさん」で購入しました。

私の実家の先祖代々の墓、そして、叔父さんやご本家にも参り、そしてそして、今は気仙沼には住んでいないという親戚のところもまわります。

祖母が生きていたころは、山を3つも4つも参りましたっけ。
それには及びませんけれど、こちらは誰それのお墓、そして、こちらは誰さんのお墓と、母がいちいち解説してくれるので、やっぱり、あちこち参りました。

祖母の台詞を祖母の代わりに申します。
「これっさ、これっさ、まぶりの神にならはらせ」
(どうぞ、私達を見守ってくださいね)

第61回 気仙沼みなと祭りのパレード

「第61回 気仙沼みなと祭り」のパレードがあります!

あの大震災があって、昨年はお祭りは中止。
2年ぶりのパレードです1

・・・と、その直前に、母の友人が仙台からいらっしゃるというので、いったん本町のアパートに引き返し、再び、田中前に移動、なんてことをしていましたら、フェンシングで銀メダルをとった千田選手のパレードは終了してしまったとか。誠に残念。

本来であれば、母も参加するはずだった「婦人会」による「気仙沼音頭」
そろいの浴衣が流されてしまったと母は連絡も取らずにいたようですが、今年はTシャツ参加の方もいらっしゃいましました。
母も来年は出るかな?
(見ていると、祭りの血が騒ぐようです)

自衛隊の皆さんには、沿道から「ありがとう」の声が多くかかりました。
あの時のはたらきは、被災地はずっと、ずっと忘れません。語り継いでいくことでしょう。
ありがとうございます!

気仙沼商会さんは地元のキャラクター「ほやぼーや」で登場。
現社長は、同級生の弟さん。がんばってますのー。

アメリカからも参加くださいました。
動きが「ビシッ」と決まっていてカッコいいです!

地元の「気仙沼市民吹奏楽団」も良かったですよー。

コヤマ山荘の「バナナジュース」

気仙沼には、震災前に「コヤマ山荘」という喫茶店がありました。
「バナナジュース」は、ちょっちした伝説というのか、皆さんの思い出がいっぱい!

なぜって、昔々、女子高だった母校(鼎が浦高校)の、数少ない「許可された喫茶店」だったコヤマ山荘。
女子高生のみならず、それを狙ってか?男子校生も通うわけで、そこで一番人気がバナナジュース!

今日は一日限りの「コヤマ山荘」がお目見え。
母と頼むは、やっぱり「バナナジュースお願いします!」

オー、これこれ。
「美味しいね」と母そして娘。

母と2人でも、よく行きましたね。コーヒーも美味しかったね。
あの2階の窓から、下を行き交う車の波を、なにげなく見ているという、あの風景を思い出します。

バナナジュースを飲んでましたら、気楽会の皆さんが大勢いらしてました。
気楽会さん、元気ありますのー。
本当に良い仲間ですね。まぶしいですゾ!

気仙沼のあさひ鮨

「第61回 気仙沼みなと祭り」の花火大会の途中、母と「あさひ鮨」さんに入りました。
「あさひ鮨」さんは南町にある仮設店舗「紫市場」の中にあります。

花火が終わってからは混みましょうから、花火が終わるちょっと前に。
ラッキーなことにカウンターに2人分だけ、偶然に空いていて、座らせて頂きました。

特上のお寿司。美味しすぎます!

震災前に南町にあったお店にも、家族で参りました。
店主の村上さん、お元気でお寿司をにぎってらっしゃいます。
気仙沼にお越しの際には、どうぞ、足をお運びくだしませ。

壁にかかっていた「絵」は、村上さんが書かれていて、震災にあっても絵も助かって良かったですね。

第61回 気仙沼みなと祭り

「第61回 気仙沼みなと祭り」初日の夜は、花火大会と海上うんづら、そして、灯籠流し。

母は「浴衣を来て行く!」とな。
被災地は「楽しみ」もない状態が続いてますから、母なりの、精一杯のおしゃれをして行きたいのでしょうね。

海上うんづらは、地元の青年会の皆さんが盛り上げてくださいます。
これは船の上に、このような飾り付けをして、そして、太鼓と笛が賑やかに盛り上げてくださいます。

震災後に、よくぞ、ここまで頑張りましたね。
涙をこらえるのに必死になりながら、拍手!

花火大会は、私の実家の前がメイン会場なんです。
今日も、私の実家跡地には、警備員さんが立っていました。

生まれてこのかた、気仙沼みなと祭りに「行く」のではなく、皆さんが「いらっしゃる」状態だったから、今夜のように「行く」という行為が初めてであることに、歩いていて気づきました。

人が多くて、歩くこともままならず、なかなかに大変でございます。
これまで、自宅にて、冷やしたビールやスイカをふるまったり、椅子を出して座って頂いたりとしていましたが、そういうことは遠方からお越しの方にとっては、ありがたいことだったのでしょうね。

なんてことを思いながら、花火を見ていました。

灯籠流し。
私の父や、祖父母、母方の叔父達の名前の灯籠も作りました。
母と一緒に手をあわせます。
何とも言葉に出来ぬ思い。

「海と生きる」
これは気仙沼市が震災後に打ち出したキャッチコピー。
私は、そして気仙沼の人はみな、海とともに生きてきたのだなぁ〜とつくづく思いました。
あんなに大変な大震災が起きてもなお、この地を離れることが出来ないのでございます。

気仙沼/武山米店さんの「のりもち」美味しい

気仙沼の南町、紫市場近くで「武山米店」さんがテントで出店されてました。
兄ちゃんと弟。

「げんきだま(100円)」は目の前で売り切れて、「のりもち(2ケで200円)」をいただきました。

これがですねー、美味しいのなんの!
醤油というか付ダレは特性でしょうか。
いいお味です。
お餅も実に美味しくて、今日一日だけとは惜しいですね。

ここにある赤い入れ物を見て母が「あら〜!ほけ!」と思わずいいました。
「ほけ?」
「そうそう、この朱塗りの入れ物、ふたには家紋が入っていて、ごす餅入れるのっサ、おらいにもあったのに、流されてしまったやー」と母。

(注:ごす餅(ごしもち)は、家を建てた時、屋根をあげる際に「建て前」というのをします。その際に餅を巻くという風習があり、その時に餅を入れるために、この「ほけ」を使うという縁起の良い入れ物だそうです)

そして武山さんの家紋を見ると、「あら!うちと同じ、だきミョウガの紋」
ただし、まわりの丸いところが、オヤマ家は二十線ですが、武山さんのところは太めの1本線という違いはあるようです。

なんて事を忙しい店頭で母があれやこれや。
そんな話にも優しくつき合ってくださってありがとうございます。

武山さんもお店が被災しました。
みんな大変な中、一歩でも前へ。がんばりましょうね。

山を越え行こうよ

気仙沼では、今日と明日、「第61回 気仙沼みなと祭り」を開催しています。
母と一緒に、気仙沼小学校を通って、南町、紫市場(仮設店舗)に行ってみましょう。

どこかに行くときに、「ざわざわ」という急な坂道を通ります。
気仙沼は「海」を連想されると思いますが、想像以上に山が多く、坂道が多いのです。

震災で沿岸地域が被災してしまったため、どこに行くにも山を超えて歩いております。

ランナー的には、どこでも坂練が出来る!というものですが、年配の方には厳しい坂道でございます。

気仙沼市役所にはおめでとうの文字

朝起きて、ラン&ウォークに行ってみました。
気仙沼市役所の前を通ると、ありました、ありました!
「祝 千田健太さん銀メダルおめでとう!」
「祝 菅原智恵子さん七位入賞おめでとう!」

そして
「祝 佐藤真海さん(パラリンピック)出場おめでとう」の文字!

気仙沼の宮登、そしてパルポーへ

気仙沼に帰りました。
2年ぶりに開催される「第61回 気仙沼みなと祭り」に母を引っ張り出すことが目的。
ダンナは小太郎と留守番をお願いして一人で参りました。

夕方に到着して、母と食事に。
震災前は南町にあった「宮登(みやのぼり)さん」
父が生前、好きだったお店です。
震災にあって、いまは田中前でお店を開いています。
行ってみましょう!

母と2人なのでカウンターに座らせて頂きました。
お久しぶりでございます。
「徳仙丈のつつじツアー」の時にお弁当も美味しかったです。ありがとうございました。

「季節のおまかせ(2,500円)」をお願いしました。
美味しいです!

まずは枝豆が出まして、
次にマンボウ、わかめ、きゅうりの酢みそ和え

実は鶏の唐揚げが美味しいのです!

お刺身は文句なしに美味しうございます。

焼き物は、鯵の塩焼き

締めはご飯か麺を選べます。麺をお願いしました。

お腹いっぱいでございます。

帰り道、歩いてブラブラ。
ゴットというお菓子で有名な「パルポー」でお茶して行くことにしました。

お店の中で母の知人に偶然会いました。
いまは仮設に住んでるとのことですが、この秋には息子さんが住む埼玉に引っ越すことを決めたと話していました。

去る方もその決断は辛く、残る者も寂しくなります。
1年以上がんばってきても、遅々として進まない復旧・復興。

ここに来ても、人口流出が止まりません。
それが負のスパイラルに入ってしまって、「あの人も」「この人も」と出ていく人の数を数えてしまうような、そんな辛い状態が続いています。

千田健太選手おめでとう!

ロンドン五輪フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルに輝いた千田健太選手おめでとうございます!

健太選手は気仙沼市出身です。
松岩小学校、松岩中学校、気仙沼高校、中央大学出身。

お父さんの健一さんは、まぼろしと終わってしまったモスクワ五輪のフェンシング代表選手だったのであります。

健太選手は北京五輪に出場した後、フェンシングを辞めるかどうか迷ったそうです。
その時に、親友の小野寺さんが「ロンドンでメダルを」と勧めてくれたそうな。
その小野寺さんは陸前高田市役所に勤務中、あの311の震災で亡くなりました。

そのような状況の中、精神的には相当にきつかったと思います。
練習どころではなかったのではないでしょうか。

女子フルーレ個人では、同じく気仙沼出身の菅原智恵子選手が、北京に続き2大会連続の7位入賞。
菅原智恵子選手の恩師が、千田選手のお父さん、健一さんです。

このようにして、伝統というのが築かれていくのですね。

被災地・気仙沼には大きな歓びとなりました。
おめでとうございます。