母校「気仙沼小学校」

母のアパート近くの「ざわざわ」という坂を上がると、気仙沼中学校と気仙沼小学校が並んで建っています。
どちらも、我が母校。

私が小学生の頃は、校舎が「コの字型」に建ってまして、ここの緑の部分にも校舎がありました。

今は3分の1もない校舎。
少子。

そうそう、二宮金次郎の像は残っているかしらん?
ありました、ありました!

台座は昔のままですけれど、二宮金次郎さんは新しいようです。
(後日、加筆)二宮金次郎さんは、あの311の大震災で足が折れて倒れてしまったそうです。それで台座はそのままなんですね。

気仙沼「一杯屋 梟(ふくろう)」

気仙沼市田谷に「一杯屋 梟(ふくろう)」というお店があります。
気仙沼にお越しの際には、ぜひ、一度、足をお運びいただきたいお店です。
ブラリと行っては入れないことも多いので、お電話で確認してくださいませ。

参りましたよー。
やっとやっとやっと!一緒に食事が出来ました。ありがとね。

なんといっても、親方の「創作料理」といいますか、「研究成果」のメニューはすばらしいものがありまして、もうね、本当に「料理を楽しむ」というのか、「ワクワクする」といいますか。

これはトマトですけど、わさびで食べます。すごい発想!美味しいです。

かつおのお刺身も、食べ方を色々と研究しています。

ほや!

この真っ黒たまねぎがですね、そりゃ美味しいですよ。

親方が出してくださった「サラダ」なんだけど、トマトの中にギュギュっと詰まっていて、美味しうございます!

スパークリングワインをこのようについでくださいましたw。

そして、おそばがね、これがまた美味しいの。
おそばやさんかと思うほどです。

気仙沼に、こういうお店があるというのは、ちょっとした自慢でございます。
親方、美味しいお料理ありがとうございます。
Kさん、今日はありがとうございます!
なんだか、私のヘンテコな話に付き合わせてしまってごめんなさい。
もっと、色々な話があったのに、、、。すんません。
Kさん、とってもステキな女性ですよー。

気仙沼の斉吉商店さん

家族で「小野家」さんにおそばを食べに参りました。
「小野家」さんと、私の父は同級生でした。

そうそう、本郷に斉吉商店さんのお店(そして工場)があるというので行ってみることに。
ありました、ありました!

格調高くなった気がいたします!

ちょうどそこに社長さんが登場して、少し立ち話を。
今年の4月からは大学を卒業した息子さんも帰って来て、手伝っているそうです。
「家業ですから」とおっしゃってました。家業だから、家の者が手伝うのは当たり前なんですね〜。

母は「これはなぁ〜に?」と好奇心旺盛でございます。

AUGM気仙沼ちょこっとミーティング

「AUGM気仙沼」の骨子について、数人ですけど話をして来ました。
気仙沼にはMacユーザはそれほど多くはないが、iPhoneやiPodユーザは結構います。

また、iPhoneってどうなの?と思っている人も多いと思います。

そして、音楽が好きな土地柄だから、Macでこんなことが出来るということ、特に最初に付属するGarageBandでも出来ちゃうって知ることだけでもおもしろいと思います。

さ、そろそろ動き始めないといかんですね。がんばろうね☆

気仙沼 鹿折の「復興マルシェ」

弟夫妻に気仙沼鹿折の「復興マルシェ」に連れて来てもらいました。
あの「大型船」の近くにあります。

建物が「コの字型」に配置してあり、中央に空間があって、駐車スペースと、ちょっとしたイベントが出来るようになっていました。この作りはいいですね。明るい印象です。
仮設にペイントがしてあって、それも明るさを表現しているのかもしれません。

以前は「海の市」に入っていた「うめねす」さんに入って、お茶しました。
こちらでは珍しい「ふかバーガー」もありますよ。

気仙沼で「創造的復興フォーラム」

気仙沼小学校で「創造的復興フォーラム」が開催されました。
8時半スタート。

第一部は体育館。
ステージにはこのように名前が張り出されていました。

今回、私は「気仙沼を元気にする会」の実行委員長として、ステージでお話をするという大役を仰せつかっておりまする。

それがですね、最初は、大滝精一氏(東北大学教授経済学部長、せんだい・みやぎNPOセンター代表理事、気仙沼市復興会議委員)、そして大山健太郎氏(アイリスオーヤマ代表取締役社長、東北ニュービジネス協議会会長、仙台経済同友会代表幹事)、そして、私という、私だけ浮いてますから〜w。

3人から「創造的復興」の問題提起をします。
大滝氏は問題点を5つにまとめられての発表。簡潔にまとめられていてわかりやすい内容です。
大山氏は企業人から見た問題点といった、そういう視点でのお話もまたわかりやすいものです。

私は3番目でして、ハイ、ご想像の通り、お2人のお話に補足するような事って何も残っておりませぬ。たはは。

そこで私は、常々、話していることをお伝えすることにしました。
会社を設立して20年、続けることが出来たのは、私一人の力ではないということです。
人にはそれぞれ、様々な能力を兼ね備えていて、
・0から1を生み出すことが好きな人
・1から100まえ育てることが出来る人
・100を継続出来る人

自分はそのどれに当てはまるかを見極めましょう。
そして、自分にないものを持っている人と手を組みましょう。きっと復興は成功するはずです。

そういう人を探す場として、こういった場所で会話をすることは、大変に意味があると思います。

それからもう1点。
気仙沼の女性は、古くから、父ちゃんの後ろが居場所でありました。
男性よりも一歩下がる教育を受けています。
自分の意見も父ちゃんから話してもらうといった具合です。

しかしながら、この震災を契機に、女性も発言をしましょう。
最初は慣れていないと思うけれど、そのうち慣れますから、父ちゃんの一歩前に出てみましょう。

気仙沼は男性社会です。
(おそらくは日本がいまだに男性社会なのだろうと思います)
しかしながら、こういった非常事態には、女性の力は必要です。
立ち上がろう、気仙沼の女性達!

ってなお話をさせて頂きましたが、はたして主旨に合っていたのかどうか、、、。
その後は、10の分科会に分かれて教室にて議論をします。

そして、それらを持ち帰って、ふたたび体育館で各分科会から出たことを発表し合うというものです。

メンバー表を見たら、すごい肩書きの方が大勢、東京方面からお越しになっていたことに驚きました。これだけの方々を気仙沼に集めた主催の皆様、本当にありがとうございました。

千厩の「あさひや」さん

家族と食事をしに参りましたのは、千厩の「レストランあさひや」さん。
母が好きな「洋食屋」さんです。

ふだんは和食が多い母は、たまに家族と出かける時は洋食を食べたいというのもわかります。
弟の運転で、私は初めて連れて来てもらいました。

食事をしていたら、偶然にも、千厩の仮設に住んでいるという親戚が入って来ました。
鶴が浦の祖母の親戚で、家は高台にあったから津波は大丈夫と思っていましたら、地震で建物が曲がってしまったそうです。それでも我慢して住んでいたけれど、とうとう、危ないというので今年になってから千厩の仮設に入ったそうです。

ちっとも知りませんで申し訳なく思いましたが、ここで出会うというのは、やはり深い縁で引き寄せられているのでしょうね。

お互いの健康を確認しあって、この大変な状況を乗り切りましょうねとエールを交わします。

母が外で食べる時は「フランスパン」がお目当てです。
こういうパンは、気仙沼では食べられないと言ってます。
もしかしたら、どこかにあるのかもしれなし、母が知らないだけかもしれませんがね。

私はステーキを頂きました☆

気仙沼で「社会イノベーター公志園決勝大会」

気仙沼で「社会イノベーター公志園決勝大会」が行われます。
気仙沼に参りました。

場所は、気仙沼市民会館・大ホール。
市民会館近くの公園では「東北マルシェ」が開催されています。
「東北マルシェ」は、NPOネットワークオレンジさんが主宰しています。
いつもながら、ネットワークオレンジさんのパワーには感心しています。

オット!「MAST 帆布 KESEN-NUMA」さんが出店されています!
被災した後は、本当に大変だったろうと思います。
詳しくは別の記事に書きますね。

宇崎竜童さんがいらしてます。パチリ☆
快くサインに応じたり、地元の方と語ったりしてらっしゃいました。

「社会イノベーター公志園」は全国各地で予選を勝ち抜かれた方のうち7名の方が「決勝大会」にてプレゼンテーションしました。それぞれに「伴走者」という方がいらして、伴走者代表が最初に紹介をして、ムービーでの活動紹介、そして、本人が思いを語るという構成になっています。

どの方の発表もすばらしくて、このうちのお一人に票を入れるために絞り込みは大変だわ。

大勢の方が、色々な地域からおこしくださって、このようなすばらしい会は、若い方にも見せたかったですね。中学生とか高校生とか。

気仙沼に向かいます

用事があって気仙沼に帰ります。
「社会イノベーター公志園決勝大会」と「創造的復興フォーラム」です。

東京駅、東北新幹線は「夏休み」らしい絵がほどこしてあります。

中を点検、清掃してくださる方々の服装も夏らしくてよろしいですねぇ。

一ノ関で大船渡線に乗り換える時に、お弁当「平泉うにごはん」を買いました。

たいして期待してなかったけど美味しいです(^ー^)。
量は少ないめで女性にはいいかも。

第2回KSBフォーラム「三陸の再生に必要なものは何か」

第2回KSBフォーラム「三陸の再生に必要なものは何か」を開催いたしました。

場所は、永田町の「星陵会館」の4AB会議室。
時間は、19時〜21時。
会費は、1,000円(学生500円)

本日の講師にお招きしましたのは、昨年の震災後から「JNN三陸臨時支局」にて支局長を務められ、1年間、気仙沼に暮らした龍崎孝さん。
テーマは、「三陸の再生に必要なものは何か」

私は話に聞き入ってしまい、前列に座らせて頂いたというのに写真を撮るのも忘れてしまうほどでした。

内容は、なぜ、被災地に行こうと思ったのか、その理由の根源は極めて個人的な経験によるそうです。
「行かなければ後悔する」と思い、そして1年間を気仙沼で過ごすことになった龍崎さん。

「ヨソモノ」ではあるけれど、あの震災直後の大変な時期に、電気も通ってないような時期に被災者の皆さんとともにそこで暮らしたという経験は大変な説得力です。

「JNN三陸臨時支局」は、気仙沼プラザホテルさんを本拠地にしているけれど、必ずしも気仙沼の話題だけではありません。被災地全域に取材の場を広げていて、そのご苦労は大変なものであったろうと思います。

龍崎さんが話していて「気仙沼」のゲニウス・ロキ(地霊)のお話はおもしろかったと思います。土地の人がなんとなく感じていた事を外からいらした龍崎さんもお感じになったのですね。

気仙沼は「東北ではないような土地」「宮城県でもなく、岩手県でもない」「気仙沼の人は、気仙沼人と言う」そうなんです!
「気仙沼の人は世話好きで、話好きで、好奇心旺盛」とも言ってました。その通りだと思います。

龍崎さんと私は同い年でした。
51歳で気仙沼に暮らし、例えばあと25年あるとして、もう一度、行ってみたい(暮らしてみたい)という思いも、うっすらとあるようです。その時は、私もかの地に住んでいるかもしれませんねぇ。