明けましておめでとうございます! 2020年です。そして令和2年。時の流れが早すぎます。トホホ。
今年も「はとバスツアー」です。
申し込んだのは「東京下町八福神参り(江戸前寿司食べ放題)」8,980円。新宿駅東口を9:20に出発して東京駅丸の内南口は10:00発です。母と並んで座り、ダンナは前の席、おじさんの隣。
最初は「小網神社(強運・厄除)」です。「戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の戦前の木造神社建築となっている」そうです。
うわっ、混んでいる。
これは最初から想定していたようで私達用にこちらでお参りして頂きました。手を合わせます。
近くまで寄って見てみます。いやぁ、大勢の人で驚きました。
バスに乗って移動します。次は「水天宮(安産)」です。
ここの前を通って、
こちらで拝みます。
トイレを借りました。女子トイレは建物の2階にあり、その建物、そして神社全体が立派でビックリ。「平成28年(2016年)4月に新社殿への参拝者の受け入れを開始した」そうで、だから立派なんですね。
バスで移動します。「第六天榊神社(長寿)(だいろくてんさかきじんじゃ)」。
混んでるが、ちゃんと拝むことが出来ました。
バスで移動して「住吉神社(交通安全)」。
わっ、こちらも混んでいる。並ぶのは諦めて横から拝みます。
「東京下町八福神」のノボリが出てます。
「佃小橋」を渡って、
集合場所。「日の出湯」近く。気持ちの良い晴天なり。
お待ちかねのランチです。「銀座キャピタルホテル」にて「江戸前寿司食べ放題の昼食/60分)」。
テーブルにはお寿司が用意されています。食べましょう〜!
銘々にお神酒も頂きました。
ビールも飲みますか。710円。
ダンナはおかわりの列に並び、こちらを。
お酒も頂きますか。熱燗1合500円を2つ。それぞれ手酌。
ダンナはさらにおかわりを。
最後に手巻き。ネギトロ巻は私用に。ありがとう。
食べました。飲みました。トイレを借りて外に出ます。
バスで移動して「小野照崎神社(学問)」。「入谷」にあります。
歴史を聞くと古いんですね。小野篁公(おの たかむら)氏が御祭神。「852年(仁寿2年)、篁公が御東下の際に住まわれた上野照崎の地に創建され、寛永寺の建立とともに現在の地に遷されました。江戸後期には、学問の神様である菅原道真公(すがわら みちざね)も回向院より御配神として当社に遷され、境内にある末社を含めると、15柱もの神様がお祀りされています。」へぇ〜。
並びます。
ここをくぐりまして、
拝みます。拝めるのは嬉しい〜。
バスで移動して「今戸神社(縁結び)」。昨年に引き続き2度目の参拝。
拝みます。昨年はいろいろな説明を聞いたが今年はカット。サッサと拝んで進みます。
2台の人力車。観光用に乗せています。良いねぇ〜。
「鷲神社(おおとりじんじゃ)(金運)」。「おとりさま」の通称でも呼ばれている。
うわっ、大勢の人が待っています。
ここをくぐって進むのだが時間がないため横の道を先に進みます。
横から拝ませて頂き終了。
立派です。
最後は「下谷神社(家内安全)」。稲成町駅近く。こちらも古い。「939年(天慶2年)、平将門による天慶の乱追討祈願のため、藤原秀郷が社殿を新造したという。寛永年間、境内が寛永寺山内となるにあたり、1627年(寛永4年)別当正法院と共に下谷屏風坂下に移転したが、126坪余と手狭だったため、1680年(延宝8年)下谷広徳寺前にあった谷中天眼寺先住少林庵抱地525坪余と土地を交換した。1703年(元禄16年)旧地も正法院抱地になった。
1868年(明治元年)神仏分離令により正法院を分離した。翌年周囲の町名が当社に因み下谷稲荷町となる。1872年(明治5年)下谷神社と改称、翌年下谷地域の郷社と定められた。関東大震災で社殿を焼失、1928年(昭和3年)現在地に移転。1934年(昭和9年)現在の社殿が完成した。東京大空襲では被害を受けなかった。」
あまりに混んでいて列に並ぶのは諦め、横っちょから拝みます。こちらにて終了。
ここで終了にされた方も何人かいらっしゃいます。私どもは東京駅へ。
「東京駅丸の内南口(16:50着予定)」。実際には16時36分頃に到着しました。すべての工程を終了。ただ、列が長くて正規の列では拝めなかった神社は4つ。ちゃんと拝めたのも4つ。
用意した5円玉も全部を使いきらずに残りました。また来年ですね。
ダンナは毎回、御朱印を押して頂き、
完成しました!