スキーのタイムレース

雪質日本一の北海道名寄市「ピヤシリスキー場」に来ています。

午後は、全員参加を呼びかけられた「タイムレース」です。
初心者も参加しやすいように、なだらかな場所に、旗を立てていただいて、そこを通過します。
最初のタイムを聞いて、自分のタイムを自己申告して第2の滑走。
自己申告タイムに最も近い人が優勝となるそうです。
この数年は、0秒以内に何人もが入ったそうで。

でも、、、
「出るのヤダ」とごねました。
だって、ここの「なだらかなコース」って、私には全然、なだらかじゃないから〜。
それに、新雪の上をすべったことないし、
午前中はスノーモービルしていて、練習出来てないし、
皆さん、すごい上手いし、、、

なんのかんのと言ってる間にダンナに連れていかれまして、泣く泣くスタートに立ちます。
39名が参加でしょうか。

私は、スタートしてすぐにころび、どうにか立ち上がるも、新雪に四苦八苦。
他の人の3倍くらいの時間をかけて辿り着く始末。

次は、転ばないとしたらこのくらいかと自己申告。
慎重なスタートを切ったので、これはころばずにゴール出来るかとほくそえんだ次の瞬間、、、ゴールのわずか3メートル手前でコケました。

それはなんだかショックで、なかなか立ち上がれず、ロスタイム。
結果発表は、さよならパーティであるそうです。

このタイムレースにも、名寄市役所の方々が手伝ってくださっているのです。ありがたいですね。
旗の設営から、カメラマン、表彰状、記録賞の作成、なにからなにまで、市の職員さんがやってくだっていて、頭が下がります。ありがとうございます。

スノーモービル

「東京なよろ会」が主催するスキーツアーで北海道名寄に来ています。
今日はオプショナルツアーで申し込んでいた「スノーモービル」の体験です。

昨日までは快晴だったのに、本日はあいにくの雪です。
それでも「行きましょうゾ!」

ゲレンデの中の「なよろピヤシリスノーモビルランド」で受付をします。2時間コースに申込み。

5名が参加していますが、1名の方はスノーモービルの免許を取得したそうで、自分で運転します。
他の4名は、運転してくださる方を、ヒシっと抱きかかえてゴー。

ピヤシリスキー場があるのは「九度山(クトゥンヌプリ)」ですが、スノーモービルは「ピヤシリ山」に向かいます。

フワフワな雪の中を、グワーっととばすスノーモービルはおもしろいですね。
ズンズンと進みます。

15分から20分ほどいったところに山小屋があって、一休みです。

ログハウスの中にストーブがあって、薪をくべますと、みるみる間に部屋じゅうが暖かくなります。
ログハウスには保温効果があるのだそうです。

休憩の後は「直線は少しスピード上げますよ」ということで、ワオー!すごいわ。
あいにく、雪で見通しが悪いため、山頂までは行かずに、次の山小屋までになりました。
休憩をとった後は、少し横道に入って、道なき雪山を滑走です。

運転手さんの身体に方向にあわせていかないと転びますよ、と注意されていたのに、コケました。
スタッフさん、すみません。

転んだら、フワッというか、ズボッというか、深い雪の中に優しく放り出されました。
雪の中が心地良いです。

そしてそこから引き返して、あっという間の2時間でした。
時間が足りないくらい。おもしろいですね。

雪国にお住まいの方は、生活が大変だと思いますが、その大変な雪をおもしろい遊びに変えていくのだから、人間の知恵ってすごいですね。

名寄市立天文台「きたすばる」

今日は3時で終わりにして風呂に入って、それから4時半出発の「名寄市立天文台 きたすばる」のオプショナルツアーに参りました。

ここのはじまりは、木原さんという方が、退職金を使って(自費で)木原天文台を始めたことによるそうです。こちらは木原さんが作ったという望遠鏡。

こちらは以前のプラネタリウム。

2010年にリニューアルされた現在の天文台はとても立派なもので、北海道大学が設置した「口径1.6mの大型望遠鏡」は圧巻です。大きすぎて、写真に収まりきらないわ。

たいして星に興味のない私でも、かなりおもしろく、館内のあちこちを見てまわりました。
この前身が一人の人の情熱によるものとはすごいですね。

天文台の後は、「夜のプラローム」というオプションで、夜の名寄の街に繰り出して、北海道の食を堪能するというもの。お腹いっぱいに頂きました。さすが北海道です。そして、さらに2次会のカラオケへ。ついついスイッチが入ってしまって、参加者一同、とても楽しい会でした。ありがとうございます。

雪質日本一の名寄ピヤシリスキー場

「東京なよろ会」が主催するスキーツアーで北海道名寄に来ています。ダンナの育った場所です。

9時からリフトが動きますが、気温は氷点下17.4度。
ウヒョヒョ〜。

午前中はひたすらスキーです。
ウエアとスキー板など、一式レンタルしています。

草津や蔵王えぼしの中級くらいあるんじゃないかと思う初級コースを滑っております。

辺りを見ますと、スキーレベル高い。
草津やえぼしでは「上手!」と思ったダンナは、こちらでは「普通」に見えます。
さすが北海道。

本当の初心者って、ほとんど一人もいないのでは?
子供も上手い!
ここから明日のオリンピック選手が生まれるのかな。

ピヤシリスキー場があるのは「九度山(クトゥンヌプリ)」です。
山頂にも初級コースがあるので、登ってみました。

山頂〜!

寒くて、顔を出せませぬ。。。

午後は、ダンナは、カーリング体験に行きました。
名寄には、日本では珍しい「カーリングホール」があります。
場所は「サンピラー交流館」の中です。

帰って来たら、「すごい!楽しかった」そうで、来年はぜひと誘われました。
私はその間もずっと滑っておりました。が、ちっとも上手になりません。
ひたすらにボーゲンでトボトボすべりでございます。

ピヤシリスキー場(名寄)

北海道名寄に来ています。ダンナの育った場所です。
ピヤシリスキー場は「雪質日本一」とあります。
ゲレンデのすぐそば「なよろ温泉サンピラー」に宿泊します。

宿に到着したのが3時半ころでしょうか。
部屋に荷物を置くとすぐに、スキーとウエアのレンタルです。

ダンナは、ノーマルスキーといって、昔ながらの長い板を借りてました。
私は、カービングといって、最近流行りの短い板です。こちらは曲がりやすいけれど、スピードは出にくいそうです。私はこれでなければ滑れませんから〜。

部屋に戻って着替え。
ちょこっとでいいから滑りましょうゾ。

ツアー代に、リフト代が含まれていますから、それを腕につけて、イザ。
ゲレンデに立ってみますと、エエエ!この急な坂を降りるのかしらん?
「初級クラスはどこ?」
「ここだよ」
エエエ!、やっぱりここなの?

「第2リフトに乗れば、もうちょっとなだらかかな」
でも、時間がないのです。
今日は6時からウエルカムパーティがありますから、それまでに風呂も入っておきたい。

では、その第1リフトのところを軽く滑りましょうか。
ワワワ、ダメです。やっぱり急な傾斜です。
「これ、昨年行った「草津国際スキー場」や、正月にいった「えぼしスキー場」の中級者じゃないのかい?」とダンナに言ってみると、
「初中級って感じかな?」

滑れません。さっそくに何度から転びながらやっと戻って来ました。
4時を過ぎたら、もう暗くなっていて、電気がつきました。ナイターもやっているそうです。

今年は「雪が多い」と地元の方が言ってます。
豊富な雪で、お天気が良くて、明日は良さそうですね!

ジンギスカンでウエルカムパーティがあります。

ワオ!

おおよそ60名近い参加者が一緒に食事を頂きます。名寄市役所の方もいらしくだって、「ようこそ名寄におこしくださいました」と挨拶されています。市をあげての歓迎は嬉しいですね。ありがとうございます。

ダンナも嬉しそうでございます。

夜には、氷点下19.6度(この後で、氷点下23度まで下がったようです)。
すごい世界ですね〜。

名寄です!

ダンナの故郷は、北海道名寄市(なよろ)です。

でも、今は実家はありません。
子供達が北海道に残らなかったため、姉兄らが茨城に暮らしている時に、ご両親にはそちらに引っ越してもらって、そうしてご両親の晩年は茨城で過ごしたのです。その際に家は更地にして売ったしまったそうです。

また、お父さんの転勤があり、たまたま、ダンナは小学校の時に一度転校しただけで、名寄東小学校、名寄東中学校、名寄高校と、地元の学校の卒業生ですが、姉や兄は別の町の卒業生だったりして、地元への愛着は、兄弟でも少し差があるのかな?

とにかくダンナは、私の「気仙沼ラブ」と同じくらいに「名寄ラブ」な人で、そういう気持ちはお互いに尊重しながら生活をしています。

まぁ、そんなこんながあって、結婚する前に急いで名寄に行く必要性がなかったのですが、それに加えて昨年は大震災があって、私は気仙沼一色になってしまったから、さらに行く機会を逃しました。

ダンナは「東京なよろ会」でスキーツアー委員をしています。
事務局として案内の書類を印刷して郵送したり、そんなことをボランティアで担当しているのですが、なかなか本人がスキーに行く機会がなかったそうです。

「行ってみましょう」と言い出したのは私です。
昨年は、気仙沼のために色々してもらって、少しでも恩返しになればと。

ところで、このスキーツアーはすごいのです。
元々は一人の人が考え出して、名寄出身の関東在住者、17〜18人を連れて行ったのがはじまりとか。

名寄にある「ピアシリスキー場」のそばの「なよろ温泉サンピラー」に宿泊してスキーを楽しむというもの。
それが回を重ねて、15年以上も継続しているそうですが、現在は1〜2月の間に4回のツアーを開催し、のべ200名もの人を名寄に呼んでいるのです。

しかも、参加者は関東、東京の方が多いので驚きました。
意外にも出身者は少ない。
クチコミで、ここまで広がったのかと関心することしきりです。また、リピーターが多く、そして、ご年配の方が多いのもまた特徴でしょうか。
皆様、お元気で趣味のスキーを楽しんでいらっしゃいます。ご夫婦、お友達、スキーグループ、色々な集まりがあるようです。

そしてツアーのセッティングをするのは、旅行代理店ではなくて、スキーツアー委員の皆様のボランティアで成り立っている点がすごいのです。一人でも多くの方に名寄にいらして欲しいという情熱が支えているんですね。

今回ダンナは、添乗員さんの見習いを兼ねています。
リピーターの皆さんに、こちらの方が教わっているという始末ですが、どうぞ、宜しくお願いします。

さて、その名寄(なよろ)というのは、旭川空港で降りて、バスで2時間ぐらいかかります。
今回は、宿泊先のバスを用意して頂いたので、空港で待たずにすぐに出発して頂きました。

車窓から見る雪景色!

私の未知なる体験ゾーン、氷点下20度って、寒〜い!

訃報:日出英輔さん

気仙沼サポートビューローという会の発起人でもある日出英輔さんの「危篤」という知らせが、日曜のマラソン会場に向かう途中に電話で聞きました。

まさか・・・

昨年末に出したメールにお返事がないことを心配していました。
いつも、きちんとお返事くださるのに、、、
新年のご挨拶をするために携帯にお電話したけれど、留守電でした。
気になって、またメールしました。なにか嫌な胸騒ぎがして来ました。

夏に「少し疲れが出たようです」と、入院されました。
退院した時に、やせていたので驚きました。

「色々と検査されたらね、体重も減りますよ」とやさしく笑っていらっしゃいました。
「退院したけれど、体力がなくなっちゃってね、少し歩いただけで疲れますよ」とおっしゃるから、
「私なんぞは、骨折の時にたった2週間入院しただけで大変でした」と話して、
「ゆっくりと静養なさってください」と伝えると、
「なかなかね、そうもいかないんですよ」と、やっぱり優しく微笑んでいました。

「気仙沼を元気にする会」の代表は私になりましたけれど、本来であれば、日出さんが代表です。
けれど「入院して体力に自信がないから」と「それに若い人がやらないとね」と言って私を後ろから押してくださいました。

まさか、、、まさか、、、こんなに早く逝かれるなんて、まったく思いもしませんでした。

そのことが悲しくて、寂しくて、すぐにはブログにも書けなかった。
なんだか、人と話すのも嫌になってしまった。

気仙沼で母に話したら、「エーーーー!」と言ったきり、絶句です。
気仙沼にいる間に「三陸新報」にも訃報が掲載されたようで、地元の方からも聞かれました。

悲しみがドンドン膨らみます。

たまたま、気仙沼中学校の避難所で、日出さんの妹さんと、私の弟一家は同じ教室で避難所暮らしをしていました。
その避難所に、日出さんが妹さんを見舞っていらした時、ちょうど私も同じ場所にいて、
「お互いに、家族が大変ですね」と話をしたことを昨日のように覚えています。

日出さんは、とても紳士で、やさしくて、頭が良くて、それでいて気骨があって、時には強い口調でビシっと話すこともあるけれど、思い出すお顔は、いつもやさしく微笑んでいます。
「若い人がドンドン前に出るべきです」といつもおっしゃってました。

「私・・・若くないんです」と言うと、
「私よりもずっと若いから、大丈夫」と。

最初ね、日出先生とお呼びしたんですよ。
すると「私は先生じゃないんですよ」と言うから、
「どうお呼びすればいいですか?」とたずねたら、
「日出でいいです、そのままでいいんです」とおっしゃるから、
お言葉に甘えて、日出さん、日出さんと親しく呼ばせて頂きました。
同級生の皆さんは「英ちゃん、エイちゃん」と言ってらっしゃいました。

とても気さくな方で、私なんぞが、つまらない意見をいくつも並べても、キチっと聞いてくださる方です。
そして「それは良いね」とか「オヤマさん、そうじゃないと思いますよ」とか、その都度、適切に対応してくださいました。

日出さんのご意思を受け継いで、前に向かわないと!
そう思う一方で、悲しみで動けない自分もいます。

震災からずっと、多くの方が亡くなって、
もう、誰も誰も、亡くならないでくださいと大きな声で叫びたい。

数日前には、親戚の叔母も亡くなってしまいました。
以前から病気をかかえていて、それでも津波では奇跡的に助かって「泳いで逃げた」と本人は言っていたようですが、全身ずぶ濡れで、よく助かったと周囲の人も言っていたようです。葬儀は小さく行われました。その葬儀で、仙台に住む別の叔母も亡くなっていたことを母が聞いてきました。

ドンドン何かが消えていってしまうような、辛いスパイラルから抜けられません。
もう10ヶ月が過ぎました。

日出さん、ご冥福をお祈りいたします。
天国から、気仙沼および被災地の復興を見守ってください。

日出さんが書いたいたブログ「語りたいの記」はこちらです。

マンボでラーメン

気仙沼の、南町紫市場という仮設の商店街の中に「マンボ」というお店があります。
元々は喫茶店ですが、ここのラーメンが人気なのです。

ちょうどお昼になりましたので、寄ってみました。
今日は「味玉ラーメンをお願いします」
これこれ、これです。麺は細麺であっさり醤油味。

相席になったオバさんは大島の方だそうで、震災前は船を待つ間に食べてましたとな。
お宅は無事だったそうですが、養殖のワカメや帆立は流され、船もダメとガッカリされています。

なんて、話をしていたら、仙台放送のテレビ取材がいらしてました。
私にも取材が、、、
「地元の方ですか?」
「地元出身ですが、いまは東京に住んでいて、たまたま帰ってきたので参りました」なんて事を言ったように思います。
「ラーメン以外にも、パフェやバナナジュースも美味しいですよ!」

気仙沼にいらしたら、ぜひお立ち寄りください。
こちらのお店が、仮設ではあるけれど復活してくださって嬉しいです。

やっぱり、育った町、魚町、南町、そして八日町は大好きな町なんだなぁ。
こんな姿になっても、やっぱり好きだな〜。

午後には東京に戻ります。
次は3月に気仙沼に参ります。

魚町のいま

わが町、魚町。
壊滅的な被害を受けたわが町はどうなっているでしょうか。

行ってみますと、オオ!だいぶきれいになりました。
ガレキが片付いています。
それでも、ここに爪痕があります。

こちらは角星さんの店舗。

2011年4月に行った時は、ガレキがたくさんありました。

現在の男山さんの店舗。

2011年4月に行った時は、このようになってました。

大鍋屋さんは、玄関もきれいに修理されていて、見違えました。

そして、実家跡地に向かいます。
そこはかさ上げされた道路が出来ていました。
どれくらいの高さでしょうか。60cm以上あるように思います。

実家の玄関先だったところには、コケが生えてました。

魚町を歩いていると、埃っぽくて、昨年のあの当時を思い出します。マスクなしには歩けなかった。

ところで、この町の不思議な空気に気づきました。
人はいます。
ですが、その人々は全員が工事担当者です。

普通の人が普通に歩いているという光景には出会いませんでした。
普通に歩いているのは、私だけ。
それは何とも異様な空気です。

それでも数世帯がここに戻って生活を始めているそうです。
でも、それは町の中のごくわずかな人々。

町が眠ってしまったかのように、止まっている。
あの時よりもガレキがなくなってきているだけに、建物の廃墟と青空とが、なんとも言えない。
あの活気があって、威勢が良くて、元気だった町を思い出させるものを探しながら、さまよいました。

白鳥の気仙沼大川

母のアパートは、本町橋から大川沿いにいったところ。
冬になると、白鳥が飛来します。

います、います。

のどかだなぁー。

震災の後は、この川にもガレキがたくさんありました。
ボランティアさんがそれを撤去してくだったのです。ありがとうございます。
おかげで、今年も白鳥がたくさん来ています。