どうにか残ってる我が家

気仙沼に行った友人が、実家の写真を撮ってくださいました。

魚町(さかなまち)・海岸通り。
目の前が海。
ぜんぶ流されてもおかしくないエリア。・・・残っていました。

この通りは「屋号通り」と言って、それぞれの家には屋号が記されています。
私の家は、丸の中にひらがなの「き」でマルキです。

この地域は、屋号で呼び合っています。
うちは「マルキさん」と言われるわけでして。

なんともまぁ、傾いてはいるものの、マルキは残ったんだね。

(後日談)
母が、「あれがあそこにあるはずだ」とか「これがそこに入ってるはずだ」と言っているようですが、柱が傾いているか折れているか、とにかく2次被害が心配で、とても中に入れる状態ではないそうです。

ご先祖さままから数えた相当な年数の蓄積を思うと悲しい思いはございますが、命が助かっただけでもヨシと考えて前に進みたいと存じます。