実家に潜入!

私の実家は、海の目の前にありますので、一番先に流されてしまってもおかしくない。

それが、どうしたことか?
不思議に、その一角だけが残りました。
波がどのようにして、どう通っていったのでしょうね?

残っているといっても全壊のため、中に入るのもままならない。

道路のガレキ撤去の際に、我が家の半分が壊されました。
おかげで、中に入りやすくなっています。

表階段は壊れましたが、実家には裏階段があります。
「入ってみよう!」というのが、今回の目的の一つでもあります。

ダンナが用意してくれたヘルメットをかぶって、イザ潜入でござる!

1階の茶の間は滅茶苦茶です。
神棚も、輪島塗が自慢だった仏壇も、何もかも泥の中。

玄関先にあった自転車が、1階の奥、洗面台付近に、泥の中に埋まっていました。

それでも、どうにか裏の階段から2階に上がり、私と弟が、助かった和服などを窓から1階に投げ下ろしました。

それを甥のともちゃんと、私のダンナが受け取ってくれて、お隣の駐車場を拝借して、積み上げました。

2階の天井近くまで水が入ったようですが、その後、乾いたのか? 母の総桐タンスのおかげか? 和服が無事のようで、救い出しました。父の写真が入ったアルバムを取り出すことも出来て、母は満足そう。

日常に使っていた衣類などは1階にあったため、泥と水に浸かってしまってダメでした。

2階も、下に落ちたものは、いまだに水がジャブジャブいっていて、諦めます。
お宝は(お宝って、オイ(^^;)、撤去された2階の表の部屋に置いていたので、もうありません。

まぁ、それでも、全くダメだろうと思っていましたので、少しでも取り出した事は嬉しいです。

私のピアノも、無事でした。
重いからでしょうね。動いてはいましたが、倒れてはいなかった。

魚町の電気事情…

私が育った魚町は、3階建てのお宅がかろうじて形をとどめています。
3階部分は助かったという方が、何世帯か住んでいるようですが、極めて少ない人数になってしまいました。

そんな状態もあって、電気がまだ来ていませんでした。
大鍋屋さんでは、本日(4/30)に電気が通りまして、皆さんで、歓声を上げたそうです。

それまでは、ろうそくと懐中電灯の日々。
あの大震災から1ヶ月半、、、。
さぞや大変な日々でしたでしょうね。

このように電気の修復のため、GWも関係なく働いてくださり、ありがたいです。

弟一家のスタートはここから…

弟は、ジャスコより少し行ったところに、小さな小さなアパートを借りることが出来ました。

つい先日までは大きな家におりましたのに、新婚時代よりも狭い間取りに、何をするにも何かをどかして、面倒な暮らしです。それでも避難所よりは良いそうで、みなが明るいから、私もグジグジするわけにはいきません。

ここからスタートだね!

気仙沼に帰ります!

疎開中の母とダンナの3人で、イザ気仙沼!
本日から、東北新幹線が全線開通になりました。
私達は、東京から一ノ関まで参ります。

8:12発「はやて」

一ノ関には弟が迎えに来てくれていました。

弟は、ジャスコの先の方に、小さなアパートを借りることが出来ました。

そこで、避難所である気仙沼中学校に、母の荷物を受け取りに行き、ついでに避難所を出る手続きをします。

避難所でお世話になった皆様、ありがとうございました。
皆様もどうぞ、お身体を大切に。

隣の気仙沼市民会館に避難中の叔母にも挨拶を。
母のお友達にも偶然出会いますと、「やせた」と母は言われていました。

気仙沼にいた時には、全身がむくんだようになっていましたのが、スッキリしたのだろうと思います。

弟が、大谷海岸まで車で行ってくれました。
エエエーーー!ここが大谷なのー?
松はなぎ倒され、砂場がない。

絶句。言葉も出ません。
子供の頃、家族、親戚で遊びに来ました。悲しい。

明日から気仙沼!

明日の4/29、気仙沼に向けて出発します!
ダンナと母の3人旅。

実家はどうなっているでしょう?
弟一家は元気でしょうか?
親戚の叔父、叔母はどのように過ごしているでしょうか?
友人、知人に会えるでしょうか?

特に何をするという明確な事は決めずに、とにかく行って来ます!

新幹線で、東京から一ノ関へ。
弟がオンボロ車で一ノ関に迎えに来てくれるので、それに乗って、イザ気仙沼!

私の大好きな、大好きな気仙沼!
復興するゾ!
負けないゾ!

なんかダンナが、3人分のヘルメット買って来てくれて、「がんばっぺし気仙沼シール」を貼ってくれたw。

北海道東京会議(2011年4月)

「北海道東京会議」の4月の定例会がありました。

3月は大震災のために中止になってしまったため、1ヶ月遅れでの開催です。

ゲストは、成瀬まゆみさん。
テーマは、「心の強さを支えるものは?」
~ポジティブ心理学から示唆をもらう~

成瀬さんは「ハーバードの人生を変える授業」の翻訳者です。
この本は実に10万部を突破したというベストセラー。

会場で本を販売していたので買い求めますと、サインもして頂きました!ありがとうございます。

「ポジティブ心理学」ということについて説明があります。

「ポジティブ心理学」は、1998年 マーティン・セリグマン氏により誕生した、まだ若い学問。ポジティブシンキングとは異なるのだそうです。

あの大震災の後ということで、特に「レジリエンス」(逆境から立ち直る力)を取り上げてくださいました。

今の私、そして私達に必要なことだと思います。

レジリエンスを高めるためには、
気持ちの切り替えが早い
心配すぎない

そのためには、、、
続きは、ぜひ、書籍を読んでみてください。

「地震があってどのように思いましたか?」と3分間、お隣の方に話すというワークがありました。

そして、講義が終わった後に、「どう感じましたか?」と、また3分話しました。

話した内容を共有してもよい方?と挙手を求められました。
私は、この気持ちを伝えたくて、手を挙げて話しました。

「私は、(スクリーンに表示されている)「ポジティブ感情が高い人の12の項目」に当てはまる人生をこれまで過ごして来たと思います。あの時までは。

それが、あの瞬間に全てがなくなってしまった。

家族は皆無事、それだけで最初は嬉しかった。けれど、時が経つに従い、家はない、家業の工場は3つともない。いったいどうやって暮らしていっていいのか、それを考えると、とても辛く、そこにある項目の、どれ一つ出来なくなってしまった。

それでも私は東京にいて、普通に仕事をしていかなければならない。

もう1ヶ月以上経つのみ、むしろ、その辛さは徐々に増している。そういう状況の中で、今日、私は参加しています。

そんな時、先週ですが、ダンナがジョギングに連れ出してくれて運動をした。そうしたら、その後で、やっと、笑うことが出来た。心の底から笑うことが出来た。

12項目の1番目に書いてあった「1. 運動すること」
このことが、こんなに必要だったと実感しています。

2.感謝する、それ以降も少しずつ出来そうな気がして来ました。」と述べました。

私はこれまでずっと、泣かずに来ました。
涙は、復興がかなった時までとっておく!と決めて、涙をいつも我慢しています。

ある意味、冷血な女と思われてもしょうがないような生き方をしています。

それが、話しているうちに、つい涙が出そうになって、必死で押さえました。
なんだろう?感情が解き放たれたのかな?
いえ、まだ泣きませんけどw。

これが本日の私の感想です。

まだ、友人、知人、被災地でない者も被災地と同じように心を痛めています。皆にも、伝えていきたい。少しずつポジティブ感情が増えていくように。

ポジティブ感情が増えることで、きっと復興がある!

東京会議では、メーリングリストで紹介していた「角星さんの日本酒」も用意してくださいました。ありがとうございます!
「飲んで支援!」宜しくお願いいたします。

母ヨガ体験レッスン

東京に避難している母は、お友達もいなくて、大変、寂しい日を過ごしています。

そこで、中野区の生涯学習について週末に調べてみました。
なかのスペースZEROに窓口があるので行って聞いてみます。

母は、目が少し不自由なので、本を読むとかお習字を書くとか、そういった事が困難です。

「着付け教室がいいかな」というので調べると、着物などを一式そろえなければならない。今、そんな余裕はありません。

お道具がいらなくて、細かい作業がないもの。限られます。

ヨガ、エアロビクス、ダンス、コーラス、、、

「お母さん、コーラスがいいんじゃないの?」
「歌へただから、やんた」
「口パクパクでダメ?」
「だーれ」

というので、ヨガ。

「普段着のままでいいですよ」と代表の方が電話で言ってくださいました。
「初回は体験レッスンで、無料でどうぞ」ありがとうございます!

朝、会場である「中野勤労福祉会館」に母を連れて行き、お願いしてきました。

夜、帰って様子を聞きますと、
「若い人ばりだった」そうで、母がいう「若い人」は60歳代ですけど。

70歳以上の方もいらっしゃると良いのですが、、、。
なかなか気分転換出来るものって、ないですわね〜。

母一人で電車に乗る

母も少しずつ前向きになっています。
今日は、初めて一人で電車に乗りました。

といっても、新中野から新宿までの、ほんの3駅ですけど、ちょっとした冒険だったね、お母さん。

母は好奇心旺盛で、チャレンジ精神がありますから、それには助けられます。