あの大地震の時はどうしていたの?
弟から聞いた話。忘れぬうちに書き留めておきましょう。
弟がいる避難所付近で、「俺の命の恩人はあの人」という人を見かけました。
エ? 命の恩人って、それ、どういうこと?
弟は、マルキの魚市場前の工場で働いていました。
地震の後に、従業員さんを避難させます。
それから魚町の実家に母を救助に行くも、母は留守。
留守を確認した後は、内ノ脇の自分の家を見回りに。
そちらも留守。
留守を確認すると、なぜか工場に戻る(津波警報が出ていたら、戻ってはいけないのです。しかし、戻った)。
工場の1階には、あわてて逃げたために、出しっぱなしになっていたフォークリフトを、このままでは流されるかもしれないと思って、少し高い位置に移動(こんな事をしていてはいけないのです。津波にのまれます)。
それから車に乗って避難しようとするも、大渋滞で車は動かず。
やっとの思いで、南気仙沼駅近くを走行中、前方に血相を変えて誘導している人の姿が見えたそうです(これが命の恩人さんです)。
そのあわてっぷりに、これはただ事ではない?と思い、車から降りて、ふと海の方に目をやると、
そこには、波ではなく、家がこちらに向かって移動しているのが見えた!そうです。
それで大慌てで、誘導された方向に向かって猛ダッシュ。
ヨシダビルに逃げ込んだそうです。
弟の車の前にも後にも、たくさんの車が並んでいたそうですが、ヨシダビルの階段を猛ダッシュで駆け上がった時、弟の後ろには、誰も人がいなかったそうです。
そうして、ヨシダビルの上の方で、2日間、孤立状態で過ごしていたというわけです。
弟の話を聞くと、2つも3つもやっては行けない事をしていて、一歩間違えたら、完全に・・・。
しかも、その日の晩は、まわりが大火災で、火の海の中のビル内に孤立。
寒さと恐怖と空腹で、とにかく辛かったと言っていますが、
聞いてるこちらが鳥肌が立ってくるようです。
ヨシダビルは飲食店が入ったビルですが、夜のお店がほとんどのため、日中はお店に鍵がかかっていて中に入れなかったようです。
ちなみに、フジテレビで「弟らしき人影」が映っていた話をしましたが、それはよく似た別人だったそうです。救助が来ないが、あまりの寒さで、交代で1人ずつ屋上にあがって、ヘリに手を振っていたそうです。
ヘリは、身体が不自由な方優先に救助をしていたので、ヨシダビルに避難した人達は、2日目の夕方、自力で脱出したとのことでした。
無事で良かった。
ということで、弟の所持品は、ポケットに入っていた携帯電話のみでした。