安否確認のサイト

気仙沼市役所三陸新報などのホームページが復活していました。

気仙沼市役所では「避難されている方の状況・安否確認」からPDFダウンロード出来ます。

三陸新報ではトップページから「東北関東大震災避難者名簿」(PDF)をダウンロード出来ます。

Googleの「Person Finder (消息情報): 2011 日本地震」にも情報が集まっています。

宮城県警察ホームページにも情報があります。
こちらには「身元が確認された犠牲者の方々」や「氏名の推測ができない(身元不明)犠牲者の方々」なども掲載されています。

まだまだ安否がわからない方が、大勢います。
引き続き、情報を集めましょう。

ちゃんと休もうと友人が教えてくれた

友人がこちらのサイトを教えてくれました。
災害後に意識したい、メンタルケアの方法

被災地以外の方でも、こんな事はありませんか?

「イライラしたり、不安が強かったり、無力感があったりというのは、自分を守るための正常な反応なんです。」とあります。

「実は、映像を見続けるだけでも精神的に影響を受けてしまうんです。」

情報を探し続けて、この10日間、精神的に影響を受けていたかもしれません。

「自責の念が強い人の場合、
「被災地に比べて恵まれているから弱音を吐いちゃいけない」
と感情を内にこもらせがちです。」

私はね、泣いたら負けだと思っているから、そういう事をずーっと若い頃から思っていたから、泣きたい気持ちを押さえて、我慢することが常になっている。でも、もしかしたら、泣いてもいいのかな?

「そんなときは、周囲の信頼できる人に話を聞いてもらうことも有効です。」

気仙沼の友人と会って話すべきかもしれない。

水を飲もうとすると…

美味しい水を飲もうとして、口に水をふくむと、、、
家族は水を飲めるのだろうか?
被災地のことが浮かぶ。

シャワーをあびていると、
被災地の皆さんは、何日、お風呂に入れないのだろうか?と考える。

暖かい飲み物を飲んだ時も、
暖かい部屋で、のんびりとソファに座っている時も、

そして、
私だけが、こんなに快適な空間にいて良いのだろうか?と考えて、辛くなる。

もう、前のように、ただ水を飲むとか、ただシャワーを浴びるということが出来なくなってしまった。

もう1日。

私は地震の前日まで3日間、気仙沼にいました。
(木)夜に東京に戻って、(金)の地震。

皆さんから、「良かったね〜」と言われます。
被災地にいたら、もしかしたら、助かっていなかったかもしれない。

でもね、心の中では「なぜ、あと1日、残っていなかったのだろう」と思うんですよ。

地元の人と一緒に、その苦しみを分かち合うべきだったのではないかと思って、その思いで、辛くなってしまうのです。なぜ、いま、私は東京にいるのだろう?って。

実家に、ウィンドブレーカーの上下を忘れて来ました。
朝ランして、それをハンガーにかけて、そのまま忘れて来た。
そんな事、滅多にというか、一度もなかったのに。

(金)の朝に母に電話して、
「ああ、あるある」って。
「来月、帰る時まで置いといて」と言った。

そして、午後に地震。

なんだかね、あのハンガーにつるされたウィンドブレーカーの、あの青の上下が、私の代わりに震災を受けた気がしてなりませぬ。私の魂がそこに宿って、私の家族を守ってくれたのかなって。そして家が流されずにそこに、形だけですけど残ったのかなって。そう思いたいだけなんですけど、そんな気がしています。

とにかく大好きな気仙沼のあのような姿を、自分の中で理解が出来なくて、受け止められなくて、被災者でもないのに、心に苦しみをかかえています。

私だけではありません。
そんな人が大勢いて、あれ以来、酒が飲めない同級生が数人います。

みんな、これをどうしていいのか、今はわからないのです。

悲しい知らせ

とうとう、親しい人の悲しい知らせ。
同級生。

ともに、長い長い独身時代。
「おめだづ、独身同士で手をうでや」みたいな事も言われつつ、
お互いに「エー」とか言ってじゃれ合って、
ご両親の介護してた。

聞いた話。
お父さんを避難所に届けて、
「次は母ちゃんだ」って、家に向って行って、
それから誰も会ってないらしい。

自分1人逃げるわけにはいかないよね。
足腰の弱っている高齢者を連れて、その歩調に合わせてゆっくり進むには、今回の津波は早すぎて、大きすぎた。

昨晩から、そうかも(彼が亡くなったのかも)と思ったら、胸がしめつけられて眠れなかった。

「な〜んてな」どが言いながら、
どこからか出てくるんじゃないのかな?