私は地震の前日まで3日間、気仙沼にいました。
(木)夜に東京に戻って、(金)の地震。
皆さんから、「良かったね〜」と言われます。
被災地にいたら、もしかしたら、助かっていなかったかもしれない。
でもね、心の中では「なぜ、あと1日、残っていなかったのだろう」と思うんですよ。
地元の人と一緒に、その苦しみを分かち合うべきだったのではないかと思って、その思いで、辛くなってしまうのです。なぜ、いま、私は東京にいるのだろう?って。
実家に、ウィンドブレーカーの上下を忘れて来ました。
朝ランして、それをハンガーにかけて、そのまま忘れて来た。
そんな事、滅多にというか、一度もなかったのに。
(金)の朝に母に電話して、
「ああ、あるある」って。
「来月、帰る時まで置いといて」と言った。
そして、午後に地震。
なんだかね、あのハンガーにつるされたウィンドブレーカーの、あの青の上下が、私の代わりに震災を受けた気がしてなりませぬ。私の魂がそこに宿って、私の家族を守ってくれたのかなって。そして家が流されずにそこに、形だけですけど残ったのかなって。そう思いたいだけなんですけど、そんな気がしています。
とにかく大好きな気仙沼のあのような姿を、自分の中で理解が出来なくて、受け止められなくて、被災者でもないのに、心に苦しみをかかえています。
私だけではありません。
そんな人が大勢いて、あれ以来、酒が飲めない同級生が数人います。
みんな、これをどうしていいのか、今はわからないのです。