録画しておいたNHK「その時歴史が動いた」の「第309回天下に旗をあげよ 伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢」を見た。
伊達政宗が徳川家康から与えられた領土の中に、本吉町の「大谷金山」があった。伊達政宗の財政を支えることとなった金山。これぞ、わが地元であります。
本吉町は、平成の大合併で気仙沼市と合併する計画が頓挫してしまったが、気仙沼市の隣町。
はて、しかし、、、私はこの跡地をまだ見てない。
同番組の中では、岩手県藤沢町の製鉄についても放映していた。
こちらも気仙沼のすぐ近く。
ああ、こちらもまだ見たことがない。
なんと申しますか、気仙沼に隣接した地域にもおもしろいところがたくさんあるというのに、案外と見てないものです。今度帰る時には、こっちもあっちも見に行きたいと思っている次第です。
ところで、当時の「仙台藩」のくくりが、現在の県のあり方よりも生活には根ざしているように思う。少なくとも、気仙沼市だけが宮城県から岩手県に飛び出すといった不自然な地図はなくなる。宮城県と岩手県とに分断されてしまったが「気仙郡」の方が自然ではないか。
そういう目で見て、県のあり方を見直してもらえぬものだろうか。だって「(岩手県一関市に合併してしまった)室根」は少なくとも気仙沼圏だと気仙沼の人は思っている(と思う)。気仙沼は室根山から吹く風の「室根おろし」に季節を感じて生活をしているわけで、ここを分断されてしまうというのは、なんだかなーと思っている。
そんな事を思いつつ、遠い江戸の時代の、伊達政宗の胸中を思ってみるのであります。