NHK大河ドラマ「篤姫」を見ている。
「皇女和宮」は有名だが、その姑である「天璋院篤姫」は「和宮の姑」という程度にしか知らない。
小説を読もうかしらと書店で手にしたが、そちらは上下巻あって「読破出来るか?」微妙だったものだから、こちらにしてみた。
13代将軍徳川家定の正室として、島津藩から嫁いだ「篤姫」だが、将軍はわずか1年半後に死去してしまう。それに「おそらく家定は、夫婦生活が出来なかっただろう」などと書いてある。事実かどうか知らぬが、そのような将軍の元に嫁いだ若い御台様の気持ちは、いかばかりか。
悲しみにくれているばかりではなく篤姫は、幕府を守る、徳川家を守るという使命感がある。
篤姫の芯の強さというのか、こうとあっては何が何でも通すという精神は、次の文からも想像出来る。大奥明け渡しの際に
篤姫だけは「この城はあくまでも神君家康公が築かれた徳川家のものである。女子なれども天璋院がここにあるからには、どうあっても動かぬ」
そこで、お移りをうながす用人は
3日のうちに退去、という命令を3日間だけ退去という言葉におきかえ
そういうことで、やっと大奥を明け渡すことになったようだ。
大奥に使えた女性達もまた、将軍のお手がつかないかぎりは誰とも結婚せずに大奥で働き、一生を終える。大奥というところは、その暮らしぶりを決して口外してはならぬと徹底されているから、細部を知る事が出来ないようだ。大奥に奉公にあがる女性は大奥で死ぬ覚悟をする。
そういった「覚悟」というものは、現代では語られないようになっているのではないだろうか?
「会社に入ったら定年まで働く覚悟」とか「結婚したら死ぬまで添い遂げる覚悟」とか、昭和の時代には当たり前のように思っていたことは、現代ではそうでもなくなった。
何事においても行き過ぎはどうかと思うが、この本を読むと、端々に登場人物の「覚悟」が見えて、その精神的な強さというか、腹が据わっているというか、武士の精神とでもいうか、驚くものもある。
この時代は、どこを切り取っても、誰を取り上げても、ドラマになる。すさまじい変革の時代。たとえば私の先祖など名もない者にも、それなりのドラマがあったかもしれない。
小節の方も読んでみようかと思っている。