読書:SEO対策のウソ・ホント

「SEO対策のウソ・ホント」佐野正弘・著。
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近頃、めっきり読書が減りました。
読書タイムの電車の中でツイッターしているのが原因です。
そろそろ読書に戻りましょう。

ある友人から「SEOについて」わかりやすく教えて欲しいと言われて私なりに説明しますが、ビジネスじゃないから気合いが入らない。すみません。友人も、友達に言われた「耳の痛い話」がスンナリとは聞き入れたくない、コンサルの先生として聞いてくれるなら、同じ内容でも聞く耳がありますのにね。

ってことで、本でも紹介して終わろうかと思ったわけで、この本は薦められるか?と読んでみました。

内容は、私が言ってることと同じで、特に新しいものはなし。
ですが友人に薦めるには良いかなと思っております。

内容も(私は中身がわかっているからでしょうか?)読みやすいです。
わからなかったら、その部分を聞いて、と言うことも出来るし。

サイトを開いているけれど、なかなか検索エンジンで上位に来ないとお悩みの方は読んでみても良いかと思います。

読書:映画館の入場料金は、なぜ1800円なのか?

「映画館の入場料金は、なぜ1800円なのか?」斉藤守彦・著。
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私の映画の師匠、斉藤さんの書籍。
これね、ホントここまで書いちゃって大丈夫?と心配しちゃいます。

ところが我が国の映画産業は、この「製作」「配給」「興行」が同一資本によって一貫経営されている。つまり、生産者と卸問屋と小売店が、同じ財布を持っているのだ。

そのことで、

配給会社が興行会社を、つまり「卸問屋が小売店を支配」関係となっている。

映画の料金が、どのようなきっかけで、どのぐらいずつ値上がりして来たのか、様々なデータからはじき出している。「どさくさまぎれの料金値上げに、ポリシーはあったのか」ってなタイトルからもわかるように、かなり核心に触れていると思われw…。

斉藤さんのおかげで、何十年かぶりに映画館(シネコン)に足を運び、あの頃(私20歳代だから1980年代か!)と今のシネコンの違いに驚き、なんて快適に映画を見ることが出来るようになったのか!と喜びを覚えております。

しかし!!!

現在では入場者の18%しか1800円の料金を払ってないということだが

エー、本当ですか?
あらら、私はその18%の人間!
いろいろな方法を駆使すると、結構安い価格で見ることが出来るのね!

そうね、1,800円払ってつまらない映画に当たってしまった時はガッカリ感が強すぎて二度と行くもんかと思っちゃうだろうし、仮に1,000円でつまらなかったとしても自分的には納得がいく。それに1,000円なら気楽に映画館に行ける。ま、せめて1300円ぐらいがいいなぁ。中でドリンクを買っても2000円でお釣が来るぐらいが嬉しい。

この本は、映画を愛してやまない斉藤さんの、もっともっと映画を見よう!という思いが込められています。

先日、アバターを3Dで見たけど(こちらは2,000円ですけど)、それはもう本当に美しくて、これは家庭の画面での再現は無理です。これゾ、大きなスクリーンで見る醍醐味。これを見るきっかけをくださったのも斉藤さんであります。ありがとうございます!今年はもっと映画をたくさん見よう〜。レディスディの1,000円使って!と思う今日この頃であります。

読書:ウェブはバカと暇人のもの

「ウェブはバカと暇人のもの」中川淳一郎・著。
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会社の従業員さんが薦めてくれて読んだ。
タイトルからして気を引きますよね。

著者は自分の紹介文としてはこのように書いている。

私はニュースサイトの編集者という「運営当事者」であり、

そういう職業にあって、ウェブの恩恵を受けつつも、こう書いている。

そもそも、ネットの世界は気持ち悪すぎる。

そして、

ネットの声に頼るとロクなことにならない

ネット関連の仕事をしている私も多いに賛同する。
ここまでスパっと書いた本ってあったかな?と思う。

「暇人にとって最高の遊び場がインターネット」という項では、
一日に何回もブログを更新する人や2ちゃんねるに書き込む人を「どう考えても彼らは暇人である」と書いている。その通りでございます。

私は一時期、ネット中毒のようにパソコンの前にいたことがある。
1990年代後半の話。

まだ常時接続が高くて一般的ではないため、会社に引いた回線を使った。
そのため夜中まで会社にいて(自宅と会社が至近距離にあったので可能だったし)、ネット中毒となった。

他に何もしなかった。
それが数年続いた後、運動不足による病気をしたことで考え直し、犬を飼うことであえてパソコンから自分を離すように務めてみた。身体は中性脂肪が増えてメタボとなった(体重は増えないのに中性脂肪が増え続けた)。そんなことを思い出した。

「テレビは終わった」などと言われているが、著者はそんなことはないと書いている。

「ネットで流行るのは結局 “テレビネタ”」という項がある。

最強メディアは地上波テレビ、彼らが最強である時代はしばらく続く

そしてテレビでの手法はネットでは通じないことを力を入れて書いている。

ネットでは、身近で突っ込みどころがあったり、どこかエロくて、バカみたいで、安っぽい企画こそ支持を得られるのだ。

企業の広報担当の方にも参考になる本だと思います。

読書:次郎と正子

「次郎と正子」牧山桂子・著。
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昨年だったか、白洲次郎と正子の本を続けて読んでいたことがあります。その時に買っていたのに積んであったのを読みました。

2人の一人娘である牧山桂子さん。
娘の視点で見る2人の、個性的な生き方がおもしろいです。

でも、あのような父と母がいたら、娘としてはどうだったのでしょうか?

「次郎と正子を両親に持って思うこと」にはこのようにあります。

何か普通とは違う両親と比べてみて、知り合いの家の親たちを羨ましいと思ったこともたびたびありました。

お2人の個性的な人達の子供として生まれたことで、他には経験出来ないような事が多々あったと思います。子供の頃の思い出は、当時としては考えられないほど裕福だったろうとも思うし、それは戦争が始まるや鶴川に移住して農作物を育てることにした父の決断にもよるところがあったと思います。

母親は桂子さんを頼っていた様がわかります。
車の運転、家事(特に食事)その他諸々を桂子さんが担当している。なぜか母は家事が出来ないと娘も諦めているけれど、果たしてこのようなお嬢さんがいなかったら、どうしていたのでしょうね?

当時の裕福な家で育った人に「家事が出来ない」人を何人か知っています。
「そんなことあるかしらん?」と思っていたけれど、あるのかもしれません。

本人は食事の後片付けをするけれど、結局、桂子さんがやり直しをしなければならない。私の母も(母は別に裕福な家で育ったわけでもありませんが)、いくつか出来ないことがあり、いつも「どうして?」と思っていたけれど、なんだか納得がいく気がしました。

鶴川にある「武相荘」には、いずれ行きたいと思っていながらまだ行ってませんが、今度こそ行ってみたいと思います。

読書:悼む人

「悼む人」天童荒太・著。

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ずいぶん長い時間をかけて、この本を読んだ。

一気に読めば数日で読破出来るだろうけれど、「悼む人(静人)」がゆっくりと旅するように、章ごとに、いったん本を閉じて、気持ちを整理したり、

読み終えるのが惜しいような気もした。

少し分厚いこの本を、いつも鞄に入れて、電車を待ちながら、電車にゆられながら、少しずつ、少しずつ読んだ。

この本を開くたびに「死」ということを意識しながら読んだ。

謝辞を読むと

いまやっていますと答えつづけて12年・・・・。

それだけの年月をかけて完成したということは、私が感じた「時間」が間違っていなかった気がしている。

すごい本です。

あらすじは、亡くなった方のその場所で、亡くなった方を悼みながら旅をする静人、そしてその奇妙な光景をとりまく様々なドラマが展開されている。

最近、道ばたで花束などを見ると、そこに静人がいるような錯覚を覚え、「その方は、誰に愛され、誰を愛し、そして何によって人に感謝されたことがありましたか?」と聞いてみたい気がするのは、この本の影響が大きいわけで。

読書:YAPPA 十七歳

「YAPPA 十七歳」伊藤正裕・著。

YAPPA(ヤッパ)という会社の代表・伊藤氏は、最近あちこちによく出ているので、ご存知の方も多いと思うが、17歳で起業したという点も特筆すべき点である。

家柄もよろしく、そういうバックアップもあったのかな?なんて見ていたけれど、この本を読んでみると、17歳が経験するにはあまりにも辛い事の連続で驚いた。

高校を卒業したけれど大学進学せず、そのまま企業家の道を選ぶ。
インターナショナルスクールに通ったおかげで英語での交渉が出来る。

私が受けたインターナショナルスクールの教育で、いまも役立っていることがいくつかある。その一つは幼稚園のときに教えられたことだ。
ショウ・アンド・テル(show and tell)といって、自分の好きなおもちゃを幼稚園に持っていって、教室でみんなと輪になって座り、自分の持ってきたおもちゃの紹介をし合う。どんなおもちゃで、いつ、どこで手に入れたのか、そして、なぜそれが好きなのか、論理的に自分の言葉で説明し、友だちを説得しなければならないのだ。

へぇー、そういう遊びの中で論理思考を鍛える授業があるのですか。
日本ではそういうことは、本当の遊びの中でやっていたように思います。最近はどうなのでしょうね。

本の前半には、起業するにいたった経緯と、起業する前からさんざんだまされるエピソードが、サラリと書かれている。

これほどまでに大人が、17歳の若き企業家を騙していいのか?と憤りを感じてしまうが、騙されるのは、騙される方にもスキがあるわけで、とにかく起業というのは、そういうリスクがあるということです。起業を考えている方は、そういうリスクの具体例としておもしろいかと思います。

そういえば、気仙沼の田舎から上京することになった私に父が「東京は生き馬の目を抜くところだ」と何度も何度も語ったことを思い出しました。スキがあれば、どんな立場の人も騙されてしまう。

後半は、この当時(2005年ごろ)にYAPPAは「3D」という技術を押し進めていた時期だけに、その商品の良さについて、書いている。

読書:会社をぶっ壊してチームを創ろう!

「会社をぶっ壊してチームを創ろう!」吉田典生・著。

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「会社」の英訳であるCompany(カンパニー)には、語源をたどると「パンを分け合う仲間という意味がある。日本流に言えば「同じ釜の飯を食う仲間」ということだ。

へぇー、そうなんですか。
私この「釜の飯を食う」って結構好きです。
私も古い人間だなぁと思っていたもんですから、カンパニーにも同じような意味があったというのは嬉しいものです。

あいつとオレは、雨の日も風の日も、儲かっているときもつぶれそうなときも、運命共同体として生きていく仲間・・・それがほんらい「会社」に込められた思いなのだ。

うんうん、そうです、そうです(涙)
そういうもんだと思っておりましたら、いつの間にか、もっとドライな世の中になってしまったと思います。

この本の中では、何度も「チーム」が出てくるが、それをこのように定義して話は進んでいく。

チームとは共通の価値観と目標を携え、心を一つにして全力を出し合い、強力しながら進む集団。そして「最高の力」は自発性から生まれてくるから、単に与えられた役割で連携するのではなく、役割を担う意味を一人ひとりが深く心に落とし込んでいる集団。これがボクのチーム創りへの思いを混めた仮説である。

うーん、理想的です。
でもなかなか、そうはならない。どうして…?

著者は「イチローになれない子供たち」というフレーズをよく使うそうです。
著者自身が、

中学時代はスティーブン・スピルバーグになりたくて、高校時代はブルース・スプリングスティーンになりたかったけどなれなかったボクは、つまりイチローになれなかった子供たち・・・の一人だ。

おもしろい着眼点だと思う。
私もイチローになれなかった子供たちであり、会社もまた「グーグルになれなかった会社」であり、そして、そのような人たちや会社は、そこかしこにある。

だからこそ、会社のWhy(存在理由)×自分のWhy=チーム」これをシッカリと考えて、ゴールを見いだすのが大切である、と書いている。

会社が元気だから個人が元気になるのか?
個人が元気だから会社が元気になるのか?

この不景気で、どこもかしこも暗くなる話が多いが、ここは一つ、日本じゅうが明るく笑って暮らせるように、その元である会社が元気になるように何かに着手していきたいと思うのであります。

読書:私はこうして受付からCEOになった

「私はこうして受付からCEOになった」カーリー・フィオリーナ・著。
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HP(ヒューレット・パッカード)社の元CEOカーリー・フィオリーナの自伝。

「受付から…」これは邦題タイトルで、元々のタイトルは「Tough Choices」。その方がしっくりくる。邦題はちょっと・・・という感じはするが、書店ではその方が目に止まったことも事実。

たしかに最初は受付をした事は書いてあるが、それはサラリと通り過ぎる。

彼女ほどの人であっても、スタンフォード大学を卒業する頃は、

両親を喜ばせいい成績をとることが、それまでの私の人生のすべてだった。ところがそれ以上のことになると、何も思い浮かばない。目標もなければ、進むべき方向もわからない。

日本の若者の多くがそうであるように、彼女もまた、そのように目標を見いだせずにいた。社会人のスタートなんて、そんなモンじゃないかと私も思う。

そして悩んだ末に、両親を裏切る形で一歩を踏み出す。

カミュはたしか、こんなことを言っていたと思う。「しあわせになりたかったら、他人のことをあまり気にかけてはいけない」

カーリー・フィオリーナは、アメリカにおける大企業にあって、初めての女性CEOであった。そして美しい容姿とともに注目の的であった。多くの女性は彼女にあこがれ、そしてHP創業家との確執のようなことをさかんに書かれた。

彼女には幾多の困難がふりかかる。
それに屈せずに前に進む姿はすばらしい。それは誰もが認めると思う。

ただ、私は本を読みながら、少しだけ、その困難に向う内面的な悔しさ、悲しさを多く書くことは不要ではないか?と思った。そういった事を排除した(あるいは最小限にとどめ)、CEOとしての実績やそれをどのように決断したのか、といったことにフォーカスして欲しかったという感想。

特に一番書きたかったであろう、最後のCEO解任の一幕は読んでいるこちらも悔しい思いになるが、相手から見れば、また違った見方があるわけで、どうしてそのようになってしまったのか、客観的な視点での実際を知りたいと思った。それは本人以外の人が書くことかもしれないが。

「生き残るのは最も強い種でも最も賢い種でもない。最も変化に適応した種が生き残るのだ」—カーリーはこの言葉を好んで引用したという。

「先送りは何もしないのと同じこと」「失敗は遅すぎる決定に勝る。失敗からは学ぶことができる」「いちばん危険なのは、逃げ出すこと」

それにしても、アメリカであっても、女性が企業のトップになることがこれほどまでに困難であるということは、日本はまだまだなのだろうか?

2009年現在、日本における上場企業の役員の割合は極めて低い。

先駆者は様々な困難があるだろうけれど、それを乗り越えて、「女性社長」などと、いちいち「女性」と書かれることがなくなる日が来ることを願う。

読書:藤田晋の仕事学

「藤田晋の仕事学」藤田晋・著。
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サブタイトルは「自己成長を促す77の新セオリー」

サイバーエージェント社長の藤田氏。

まだ35歳という若さで、会社は成長し続けている。
IT企業は様々に出現しては、色々な理由で消えていった中で、数少ない成功者の一人だと思う。

「はじめに」には、

経済が成熟化してから若い人が活躍するチャンスが減って来たように思えます。社会では、上が詰まっているという閉塞感、若手で活躍している人が周りにはいないという失望感が何となく蔓延しています。そんな空気を打ち破るような若手が出てきてほしい。

そういう思いからこの本を書いたそうで、想定する読者層は若い方々かもしれないが、私のような年上の経営者であっても参考になる点は多々ある。

想像するに、これは藤田氏の会社の若手社員に向けて、そしてまた、これから入社するであろう若い人達に向けて書かれたのではないだろうか? 良き指南書だと思う。

私は次の文書に藤田氏の成功の秘訣があるように感じた。

自分の経験から。サイバーエージェントの社員にも、創業以来、若さには注意するように言い続けています。若い社員が多いからといって、子どものサークルのような雰囲気の会社では、まともな取引の相手として見てもらえません。

そのために、

髪の毛も茶髪にはせず、ちゃらちゃらした感じに見えないような角刈りに、スーツもわざわざダブルを着て、老けて見えるように演出しました。

コミュニケーション能力などと言いますが、そんな事より仕事は「交渉術」なのだと思います。
それについては、

大概、交渉慣れをしている人というのは、最初から一気にゴールを目指すようなことはしません。相手が譲歩出来る部分を探り、それを利用しながら、むしろ、回りくどく感じるほど、ゆっくりと目的に近づいていきます。

若い人にもわかりやすい文書。

プレゼンについては、

プレゼンテーションで一番大切なのは、自分ではなく、聞き手にたくさんしゃべらせることです。

集中力については、

詰まるところ、集中するとはいかに1つのことにのめり込めるかというより、いかにそれ以外に気を散らさないでいられるかが問われるのです。ほかのことを切り捨てる能力の差が、すなわち集中力の差となって表れているのです。

そして、私のような年長者には、

「若手から良い案が出てこない」と愚痴っているベテランこそアイデアを出すべき。

その通りでございます。

文書は読みやすいので、若手はもちろん、ビジネスに行き詰まっている我々世代も読んでみると、なにかしらのヒントになりそうです。読んでいて楽しくなりました。

読書:俺は、中小企業のおやじ

「俺は、中小企業のおやじ」鈴木修・著。
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鈴木氏は「スズキ」の会長兼社長。
押しも押されぬ企業だが、鈴木氏は「浜松の中小企業だ」と言う。

大企業病になってはいけないという気構えなのだろうと思うが、親しみやすい人柄が出ていると思う。

銀行を辞めて、当時の鈴木自動車工業に娘婿として入社した鈴木氏は、

オートバイの生産工場に行って大変なショックを受けました。工場といっても木造平屋、いや、そんな立派なものではなく、むしろ掘っ立て小屋といったほうが正確でしょうか。

そして3ヶ月の工場研修を終えると「企画室」に配属になる。
すると「企画室との戦い」という章で、

私も若かったですから、そこでかなり暴れました。

そういうことで、社内かの各方面から恨みを買い、飛ばされて行く。まぁ、そんな事にへこたれる鈴木氏ではないから、あらゆる成果をあげていく。

インドでのスズキの躍進はすばらしいものがあるが、そのきっかけもちょっとした出会いから始まるわけで、鈴木氏の人柄であったり、スピード感、そういったものが功を奏している。

本の中にはいくつもの心に響く言葉がある。
「会社存亡の危機も、商品の寿命も、25年周期でやってくる」
「杉の木は雪の重みで折れるが、竹は折れない」
「GMは鯨、スズキは蚊。鯨に飲み込まれずに高く舞い上がれる」
「ビジネスは深く静かにやるのが理想」
「トップダウン・イズ・コストダウン」

もっともっと、たくさんある。
1冊まるごと、良い言葉の宝庫のような本。