母とブラリブラリ歩いて魚町方面に向かう。「菓子舗うつみ」さんで右に曲がり、歩いていると「大島汽船株式会社」という看板。へぇ〜。ここに営業所が出来ていましたか。
その道を魚町に向かって歩く。建物がほとんどなくなった。「福よし」さんもこの場所での営業を終えた。看板がはずされている。寂しいね。
私の実家跡の通りは通行出来ない状態だ。嵩上げ工事中。一つ別の通りから海の方を眺めるも防潮堤に遮られて海は見えない。寂しいね。
「角星」さんのお店を見ていると、あらっ、社長さんの姿が見えた。「こんにちは〜」と入る。「震災より前に2階を見せて頂いたことがあるんです」と伝えると、「今も見れますよ」と。「どうぞ、どうぞ」と言ってくださった。ありがとうございます!!!
2階には様々な写真が展示してある。そして、あの窓も昔のままだ。「窓は残ったんですか?」と聞くと「全部ダメで作り直したんです」と。素晴らしい窓です。残ったものと作り直したものとが、うまく調和していて、素晴らしい建築です。見とれていて2階の写真は撮らないでしまった。ぜひ、直接、いらしてください。社長さん、お忙しいところ、本当にありがとうございます。
1階に降りて「水鳥記」を買う。あらっ、こんなに種類があったのですね! いつも飲んでいたのはどれだろう? 今日は一番高いものを買おう。それは赤い瓶です。
「ゆず酒」って何ですか? と母がたずねる。すると「飲んでみますか?」と小さなお猪口についでくださった。飲めない母も「これは美味しい」とな。買って帰りましょう。
「塚本八百屋」さんに行きましょう。ランチじゃ。
美味しうございました。また来るね。
「菓子舗サイトウ」さんでお土産を買いましょう。
その後は「シャークス、Lander Blue、cafe RST」さんに寄りました。シャークスさんでTシャツを買いまして、サ、そろそろ時間です。
母と一緒に三日町に戻り、荷物をまとめて駅に向かいます。5階から母が見下ろして手を振ってくれます。お母さん、元気で長生きしてください。
「昔は線路だったんだよ」と伝えていくことになりましょうね。大船渡線に乗って一ノ関へ。そして新幹線に乗り換えて東京へ。また参ります。大好きな気仙沼〜。