プロフェッショナル仕事の流儀に畠山重篤さん

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の「第170回 畠山重篤(2011年12月12日放送)それでも、海を信じている」を録画していたので、ゆっくり観た。

(再放送は、12/16(金)午前0時15分からあります)

畠山さんは気仙沼市唐桑町でカキの養殖を仕事にして50年。
森は海の恋人」という本を書いて、室根山に植樹運動を続けている。

私が子供のころ、私の実家は「カキ屋さん」と呼ばれた。
(今もご年配の方にお会いすると、そのように言われています)

所有する2艘の小舟で、畠山さんが働く舞根(もうね)地区にも、牡蠣の買い付けに行き、まだ小さかった私や弟はその舟に乗せてもらって、浜に行くのが大好きだった。特に弟は、毎日のように小舟に乗せてもらっていた。

実家では、他にタコの工場もあったし、ワカメは、父が全国わかめ会とかなんとかの会長を務めるなど熱心にやっていたのだが、周囲の認知として「カキ屋さん」と言われるのは、その牡蠣が美味しいと評判で「マルキの牡蠣は生で食べた」言ってくださる方がいらしたので、ああ、そうかと思ったり。それと、店頭に並んだ商品に大きく「マルキ」と屋号が出ていたので、皆さんがカキ屋さんと思ってくださったのだろうか。

それが番組の中でも紹介されたように昭和40年代、気仙沼湾に「赤潮」が大量発生し、赤潮プランクトンを食べて育った牡蠣は「血ガキ」と言われるように赤くなり、売れなくなってしまった。

その頃から、私の実家では牡蠣から主力商品をさんまに移行していくわけだが、(今も牡蠣も扱っているようです。震災前ね)畠山さんは「赤潮」が発生する理由を研究し、それから、大川の上流にある「室根山」に植樹を始めたわけです。

そのおかげで、気仙沼の牡蠣は、また昔通りの、もしかしたら、それ以上の品質となっています。

・・・が、そこに、この大震災。

ところが不思議ですね。
このような大津波の後は、牡蠣が急成長する、と畠山さんは昭和35年のチリ津波で経験しているのです。

なんと通常2年かかる成長が半年で出来てしまう。
ウッソー!ホント〜?

その記憶をたよりにとにかく、牡蠣いかだを組み、養殖を開始します。この日までに間に合わなければ、、、という、つなわたり的な日程をこなし、

そして!
奇跡の「今年の牡蠣」が築地に届きます。

私が1979年に上京した頃、東京では「牡蠣といえば広島」と言われました。今もそうかもしれません。

しかし、しかし、しかし、
三陸の牡蠣は本当に美味しいです。
プリップリですよ〜。

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