母の誕生日・75歳

12日、母の誕生日です。
今回の帰省は、母の誕生日を祝うというのも目的の一つです。

母は75歳になりました。おめでとう、お母さん。
後期高齢者だそうです。
「とうとう、後期だわ」なんて言ってます。

やっぱり、このネーミング良くないですよね。
たしか、当時の福田首相が別の名前を言った気がしますけれど、この名前のままなんですかね。

それはさておき、家族が集まりまして「義山亭(ぎやまんてい)」で食事をしました。
お刺身も頂きました。

みんなで写真を撮ろう。
「エー、全員入るのすか?」ってな話をしているうちに、パチリ☆

オヤマ家は、何もなくなってしまったけれど、全員無事でした。

何もないけれど笑顔があります。
ここから、一歩、一歩、進みましょうね。

甥っこ達は、真っ黒に日焼けして部活動を頑張っています!

港けせんぬま復活祭

気仙沼小学校や、他の各地で「港けせんぬま復活祭」が開催されています。
病院から帰って来た母と、気仙沼小学校で待ち合わせることに。

全国各地から、ボランティアの皆さんがいらしてくださっています。ありがたいです。

慶応大学の学生さんは「サカナモニュメントの作製」をしています。
お魚の一つ一つにメッセージが書かれていました。

キャンドルアートの準備が進んでいます。

こちらも、キャンドルの一つ一つにメッセージが書かれています。

ステージでは、「復興・復活ライヴ」です。
ちょうど、中西圭三さんのステージに間に合いました。
これを無料で見せて頂くなんて、なんてラッキーでしょう。

私は、震災以後、音楽が出来なくなってしまった。
聞くのも辛い時期がありました。今は聞けるようにはなっています。
でも、どうにも、ダメなんです。
以前、父が亡くなった時は1年ダメだった。
今回は5ヶ月になりますが、そろそろ、気持ちを前に持っていきたい。

そんな時に、このステージを拝見しました。
心にジワーっと来ます。
プロですね。ハートをギュっとつかまれました。
なんだろう、気持ちがね、す〜っとね。

中西さんは「ぼよよん共和国Project」を展開しているそうです。

太田の家はこんな感じに…

魚町の近くの太田1丁目にも、家があります。
そちらも行ってみることにしました。

途中の「亀の湯」さんが再開していました。
大阪府池田市から支援だそうです。ありがたいです。

太田の家が建ったのは、昭和何年でしょうか。
津波がなければ、シッカリと建っていましたのにね。

取り壊しのお願いを出しているので、ここも、いつ見納めになってもおかしくない。

魚町の家とほぼ同じ造りです。
玄関を入るとすぐにコンクリートの作業場があって、天井が高くて、上に作り付けの棚がある。
表階段と裏階段があって、神棚があって、その下には茶箪笥というのか、箪笥が作り付けになっている。

気仙沼の町場の家のスタンダードだったのではないでしょうか。

魚町の冠水状況

やっぱり、魚町の実家跡に足が向きます。
とにかく、また行ってみましょう。

15時頃の魚町海岸通りは、こんな感じ。
ご近所の、藤田屋さんと川印さんの間の道路から撮影しました。

裏側からなんとか自宅跡に辿り着くと、

自宅の海側は、海と化してました。
隣に、大島電気さんの建物が見えてますでしょう。
ここが我が家なんです。これは結構、ショック。

大きな建物は、勝倉さん宅。
道路全体が冠水していて、これは、とても住める状態ではありません。

それでも、やっぱり海が見える魚町がイイとおっしゃる数軒の方が、戻って暮らしています。
ここで暮らすのは、本当にご苦労が多いでしょうね。

どのように復興していったらいいのか、気が遠くなる思いです。