母の障害者の届け出

母は、昨年、目の手術をしていますが、いっこうに良くならず、特に今年の正月あたりからは、日に日に見えにくくなってしまいました。

私がネットで検索してみると「障害者」の適用が出来るようです。

1月に帰った時に、申請の方法や申請書を取り寄せ、それに従い、2月には病院にて検査などを行い、3/9に、病院にて医師に医師の診断書作成のお願いをしていました。

その後の震災で、すべてがストップです。

母の状況は良くなることはなく、むしろ悪化しているように思います。
そこで、再度、診断書を書いてもらうようお願いしていましたら、病院の方でも「保留」になってしまったことの詫びを頂き、診断書を受け取ることが出来ました。

それを持って、市役所の隣の社会福祉課に提出して参りました。

これから県に申請をして、結果が出るまで1ヶ月から1ヶ月半かかるのだそうです。

このような申請を、目の不自由な母が一人でこなすのは無理な話で、弟夫妻や私のサポートがあって、どうにかやっております。お一人で過ごされているご老人の皆さんはどうしているのでしょうね?

のっぺい汁

そうそう、誰かのブログを見ていて、うちも「のっぺ(い)汁」でした、と思ったので書いておくことにします。

お盆の朝、それと月命日、(本当の)命日などには、みそ汁ではなく「のっぺ(い)汁」を頂きます。

みそ汁は、鰹節かニボシで出汁をとりますが、のっぺは、しいたけで取ります。

お盆や命日は動物を食べてはいけないという決まりがあるため、鰹節やニボシで出汁を取れないので、代わりに「しいたけ」で出汁をとって、野菜がたくさん入った「のっぺ汁」を頂きます。

これと、我が家では「おふかし(五目ご飯のようなもの)」です。

「のっぺ」と「おふかし」と「漬け物」

あぁあ、今年も無事にお盆を迎えました。

そうして、お墓に持っていくための「だんご」をこさえて、ついでに「ずんだ餅」も作って、被災してはおりますが、いつも通りにお盆を迎えることが出来ました。全国の皆様からのご支援に感謝しております。

気仙沼をあとにします

気仙沼で過ごす4日間はあっという間です。
もう東京に戻らねばならない。

今回も、もっと多くの方に会いたいのに、まだまだ、母のアパートの整備などで精一杯でした。

母のアパートは、掃除しても掃除しても汚れがとれません。
長い年月、人が住んでいないので、仕方ないのです。

そして、棚を作ったり、ダンナが電気を取り付けて明るくしてくれたり、母は目が悪くなったので、薄暗い場所は恐いのです。魚町の家でしたら、目をつぶってでも歩けましたでしょうけれどね。

慣れない土地、慣れないアパート。
75歳の彼女には試練の連続です。
母だけではありません。被災地の皆さん全員がそうなので、それで母も気丈にしていられるのだろうと思います。

出発の時間です。
アパートにタクシーを呼びました。

母は、昔からそうですが、きちんと家の前に(今はアパートの前に)立って、見送ってくれます。私が18歳で上京した時から、今も変わらずにそうします。

そうして、タクシーが見えなくなるまで立っています。
その姿を見ていたら、なんだか、ついつい涙がこぼれそうになって困りました。

母は、また今日から一人で、不便なアパート暮らしが始まります。
今の私にはどうすることも出来ません。
ごめんね、お母さん。
もう少し、頑張ってくだされ。