気仙沼をあとにします

気仙沼で過ごす4日間はあっという間です。
もう東京に戻らねばならない。

今回も、もっと多くの方に会いたいのに、まだまだ、母のアパートの整備などで精一杯でした。

母のアパートは、掃除しても掃除しても汚れがとれません。
長い年月、人が住んでいないので、仕方ないのです。

そして、棚を作ったり、ダンナが電気を取り付けて明るくしてくれたり、母は目が悪くなったので、薄暗い場所は恐いのです。魚町の家でしたら、目をつぶってでも歩けましたでしょうけれどね。

慣れない土地、慣れないアパート。
75歳の彼女には試練の連続です。
母だけではありません。被災地の皆さん全員がそうなので、それで母も気丈にしていられるのだろうと思います。

出発の時間です。
アパートにタクシーを呼びました。

母は、昔からそうですが、きちんと家の前に(今はアパートの前に)立って、見送ってくれます。私が18歳で上京した時から、今も変わらずにそうします。

そうして、タクシーが見えなくなるまで立っています。
その姿を見ていたら、なんだか、ついつい涙がこぼれそうになって困りました。

母は、また今日から一人で、不便なアパート暮らしが始まります。
今の私にはどうすることも出来ません。
ごめんね、お母さん。
もう少し、頑張ってくだされ。