気仙沼「一杯屋 梟」にて

本町のアパートは「一杯屋 梟」に近いのです。
これは嬉しい。

同級生と「飲みに行きますか」

約束の時間よりちょっと早めに到着すると、あらまぁ、偶然、シゲさんが同級生とカウンターにいました。
どれどれと、厚かましくも隣の席に座ります。

シゲさん(@shigen_)は、気仙沼から「Macで音楽祭り2011」に参加してくださったのです。

「ありがとね」と礼を述べ、最近の気仙沼事情について教えて頂きました。
なかなか進まない復旧、復興。
このままでは、本当に、若い皆さんが離れてしまう。

という話をワイワイ・ガヤガヤ。そして美味しいお料理に舌鼓。

こちらはカツオです。
店主は、「気仙沼はカツオの水揚げ日本一で、家庭料理としても食べる。そんな土地で、わざわざ店に来てまで食べてもらうにはどうしたらいいのか」と研究に余念がありません。

今回は、「試しに食べてみて」と、カツオにニンニクをスライスしたものを乗せて、塩で頂きました。
「美味しいです!」

ニンニクをするよりも、スライスの方が合うと思って。
合います、合います。美味しいです。

サンマは北海道産だそうです。
脂が乗っていて、わざび醤油では足りないというので、こちらも研究されています。

気仙沼にお越しの皆様には、勧めたいお店です。

ところが、ところが、驚いたことに、従業員さんを募集しているのに、なぜか応募がないそうです。
こんなに職がないと言われているのに、どうしたことでしょうか?
単に募集している事をご存知ないのでしょうか?

私がもう少し若くて、気仙沼在住なら、応募したいわ〜なんて思っちゃいましたw。
まだ募集しているようですから、志のある方は是非ご連絡を。

内ノ脇から魚市場前を通って川口町へ

朝、ラン&ウォークで、内ノ脇から川口町方面に行ってみることにしました。
以前は通行禁止で入れませんでした。
今は「入れるよ」というので、本町を出て、幸町を通って、内ノ脇の弟の家の跡地に行ってみることに。

朝7時スタート。

本町を出て、幸町に入った途端に、こんな感じ。

内ノ脇の弟の家の跡地に向います。
まだ建ててから5年弱。
道路から、少し高く土を積んで、その上に建てました。
コンクリートの跡が残っています。

さらに家に入るところにも階段を付けて、津波に備えていました。

そのように津波対策をして建てた家は津波では流されずに済んだのに、火災で全焼です。何一つ残らなかった。火災は「不審火」ということで原因不明。津波後、4〜5日経ってからの謎の出火。ガレキで消防車が入れないから、せっかく残った家々を全て焼き尽くしてしまったため、直後は爆弾でも落とされたかのような様相でした。

その地に、なんと雑草が生えていました。
生命力の強さというのか、焼けただれた地に雑草が生えてる。
少し勇気を頂いた気がします。

もう少し先まで行って、気仙沼高校の先輩の工場「IMPLEX」さんの工場跡地。
東京から、気仙沼に進出して工場を作ったのに、わずか数年での被災。そして気仙沼からの撤退。
なんて辛い出来事でしょうか。

そこで冠水のために引き返します。
近道をしようとしたら、冠水にはばまれ、線路を上を行きます。

宮脇書店さんも湖の中に建っている感じ。
道路はかさ上げされているので通れますが、元のままでは、辺り一帯が海の中です。

弟が助かった「ヨシダビル」の周辺は今も冠水で近寄ることが出来ません。

弁天町の母の実家近くです。
母の実家は、亡くなった叔父さんが立派に建てましたのに、取り壊されていました。

遠くに玉ちゃんの家が、ガワだけ残っています。
右手に見える建物は、ホテル一景閣。
多くの人が避難して助かった建物ですが、いまはガラーンとしてます。
あとは湖のよう。

魚市場前には車が停まっています。
水揚げがあるようです。

市場に活気が。良いですね〜。
といっても、もちろん、全盛時とは比べ物になりませんけど。

もう少し行きますと、「マルキ小山平八商店」の魚市場前工場です。
痛ましい姿になってしまいました。胸が痛みます。

川口町に向かって進みます。
川口町はこんな感じで冠水がひどいです。
道路はかさ上げで何とか通れるものの、水産加工の拠点がこのような有様ですか。

まだ朝の7時台というのに、いたるところが冠水しています。

そして、さらに胸が痛みますのは、このような水産加工の拠点のはずの川口町に、ガレキの山を見た時です。ここに集められているのですね。

被災地はどこでもそうだろうと思いますが、土地、それも平地が少ないのです。

さらに進みます。
冠水のため、地面はグチャグチャです。
どちらの工場の被害も大きくて言葉も出ません。

そして、ありました!
右手に見えるのが「マルキ小山平八商店」の川口町工場です。
ここが、冷凍工場の出発点。

昭和43年頃に祖父が建てて、その後すぐに祖父が亡くなってからは、父と叔父が従業員の皆さんと一緒に築き上げた場所。

もっと近寄って見たいのに、水が引かないので近寄れません。
2軒ほど手前から写真撮影だけでも。

しばらく眺めていましたが、これより先には進めないので、引き返すことにしました。
ここで営業を再開するためには、一日も早いインフラ整備です。
このままでは営業再開出来ません。

きっと、当事者の皆様には様々なアイディアがあるのだろうと思います。
あとは資金繰りをどうするのか、
水産加工業が市の基盤産業でありますのに、いまだに、この状況では、地元の皆さんの不安はつのりましょう。

叔父の家は、もっと先の潮見町にありますが、今回もそちらに行くことは出来ませんでした。

まだまだ、被災地はこんな状況にあります。