結婚記念日 & ダンナお誕生日

今日は結婚記念日でございます。
1周年でございます。

この1年は激動の1年でした。
早かった。

せめて、この日くらいは、大げさなお店で食事をしたい!と申しまして、
ミシュラン1つ星でもあります「ル・ペルゴレーズ フレンチ・ダイニング」に参りました。ヒルトン東京にあります。

ドンペリで乾杯を。

お料理は美味しうございます。
これこれ、これはホタテですけど、下のソースの部分がとても美味しい。
気仙沼はホタテも美味しいのです。
こういうお料理を出すお店が出てもいいかなー、なんて勝手に思ったりするわけでして。

ワインも美味しうございます。

メインデッシュのお肉も美味しく、

予約の際に「結婚記念日 & 誕生日」と伝えていたので、デザートにも工夫をして頂きました。

また1年元気で過ごしましょうね。
また貯金して、来年も大げさな店に行ってみましょうね、と和食好き、なんでも醤油なダンナに無理強いをする私でございます。

肋間神経通か?

日曜あたりから、左胸がズキズキと痛みます。
それが、昨晩は本当に痛くて呼吸するのも辛い。

ネットで検索しますと、動悸、息切れはないので心臓ではないと思います。
肋間神経通でしょうか?

原因に「ストレス」なんて書いてあります。
もうね、本当に辛くて、歩くこともままならなくなっています。

そこで、東神奈川駅近くの「おやま治療院(現在はおやま調整院)」に参りました。
弟が経営をしています。

弟の治療はとても不思議なもので、そっとさわっているだけ。
なんか怪しい感じです。

それでも、スーっと力が抜けていくのです。

でも、今回ほど痛みがあるのは初めてで、これは難しいだろうと、思いながら参りました。
診察が始まる前の時間帯に行って診てもらいますと、ヤヤヤ、驚いた。

痛みがかなり軽減されました。
あと2〜3日様子をみれば、だいぶ良くなるとのこと。

弟なので、あまり言うのもアレですけど、本当に助かった。ありがとう。

斉吉さんの金のさんま!

ミュージックセキュリティズさんが展開してくださっている「セキュリテ被災地応援ファンド」に、私も微力ながら投資をしてみました。

1口1万円で、半分は寄附になり、あといくらかだったかは手数料になりますため、実際の投資は5,000円以下になります。また投資ですから、必ずしも、見返りがあるわけでもありません。

このたび、気仙沼・斉吉さんが投資家さんに向けて「金のさんま」を送ってくださるということで、なんと、私もテレビの取材を受けました。

ただし、テレビに映るかどうかはわからないそうです。
そんなコター、かまいません。
少しでも気仙沼のためになればと思っております。

気仙沼の今の様子を皆さんにお伝えしたい、そう願っております。

我が家に取材の方がいらして、宅急便を受け取って、それをダンナと一緒に食べるところまでカメラがまわっています。

夜に時間指定しています。
・・・と!
来ました。

ドレドレ、さっそく開けてみます。
パッケージには、「縁 つながる心ありがとう」とあります。いい言葉です。

普段でも料理が下手ですから、カメラの元での料理は緊張して、段取りもボロボロ。
しかも、映るかどうかわからないのにね〜(^^;

「金のさんま」は、金色に光ってますよ〜。
大変、美味しく出来ていました。

斉吉さんの商品は、どの商品も、とても上品な味付けで、東京の方にも評判が高いです。
伊勢丹の食のフェアにも出ているほどなんです。

エピソードや、現在の様子は、こちらに詳しく出ていますからご覧ください。

専務の和枝さんは本当に魅力的な方で、同級生でもあるご主人の社長さんと、仲良く難局を乗り越えていかれるでしょう。

微力ながら応援しております。
困難の中、前に進む姿は勇気を頂いてます。

北海道東京会議(2011年7月)

北海道東京会議に参加しました。
ダンナが北海道名寄市出身ということをご縁に参加させて頂いております。

本日のお題は、「海外における北海道「食」ブランドの確立に向けて」

北海道の食のレベルは本当に高いですよね。
どこで食べても美味しい。
東京で行われる北海道物産展には、本当に多くの方が訪れます。

それでも、子供の数の減少や、あの震災の後で外国人観光客が激減するなど、ダメージは大きいようです。

さらに飛躍するためにはどうしたら良いか、
海外でのブランド確立をするにはどうしたら良いか、

活発な質疑応答もありました。
それを気仙沼に照らし合わせてみたりしております。

日本は今後、内需が見込めないために、外へ外へと出ています。
果たして、それが良いのかどうかと思いながら、30年後の日本はいったいどうなっているのだろうと心配にもなるこの頃でございます。

みぞさんの結婚お祝いパーティ

ランのお仲間のみぞさんが結婚されたので、ラン仲間でパーティを行いました。

みぞさんは、私の1つ年下ですから、中年のおっさんのハズですけど(^^;
走り込んでますから、実にお若いのです。

そして奥様は12歳も年下の、若くてかわいらしい方。
おめでとうございます!

こちらまで、幸せのおすそわけをして頂いて、
おめでたい会は、ハッピーな気持ちになります。

畠良さんには、本当にお世話になっています

「おだづなよTシャツ」の販売をしています。

気仙沼の方からは送料を頂かないで、「畠良薬局」さんが、受け渡しをしてくださっています。
無償のボランティアです。
畠良さんも被災されていますのに、本当に頭が下がります。

訪ねてみますと、窓ごしに、パンダが「おだづなよTシャツ」と書いた紙を持っていて、すぐにわかりました!

日本赤十字社から届いた「家電6点セット」

母のアパートにも、ちょうど!「家電6点セット」が届いてました。
皆さんからのご寄付で頂いたものです。
ありがとうございます。

家電が入りましたら、急に、家らしくなりました。
これまでは冷蔵庫も洗濯機なくて、不便な暮らしをしておりました。

家電には「日本赤十字社」のシールが貼られています。

気仙沼のいま(2011.7月)

気仙沼のちょっとした写真を掲載いたします。
皆さんが前に向って一歩一歩、進んでいます。

モ〜ランドの牛乳

私は初めて飲みました。
母のアパートは、農産物直売所「菜果好(なかよし)」というお店に近いので、そちらで買い求めているそうです。
これがですね、うまい(^ー^)!

宮脇書店は青空書店で再開中
「菜果好(なかよし)」の前を通って、田中前方向に歩いていますと、気仙沼三菱自動車さんに「宮脇書店」という看板を発見!

このようにテントで販売してました。
暑い中、お疲れさまです。何冊か買い求めました。

田中前方向に歩きますと「吉野家」さんは、移動自動車でのお弁当販売をしていました。

いろいろなお店が、被害の少なかった「田中前」に移動しています。
こちらは「ミートよねくら」さん。

「にしむら運動具店」も田中前です。

いろいろとご不便がおありだと思いますが、いま出来ることを一生懸命している姿には感動します。

気仙沼ファイト新聞社

同級生の娘さんも書いていたという、気仙沼小学校に避難している小学生、中学生、高校生の皆さんが書いた「かべ新聞」が、このたび本となって発売されたというので、気仙沼の書店にて買った。

その名も「ファイト新聞」

元気が出るタイトルですのぉ。

「暗いことは書かない」というルールで始めたそうです。
私もテレビで取材されている様子を見てました。

みんな、えらいね〜。すごいねぇ〜。

「浜らいん」も津波の写真集のような形で、市内の書店で販売されています。

鹿折地区を歩きました

実家から出てきた写真を、叔父さん、叔母さんに届けに行くことにしました。

私の実家はかろうじて、わずかなものを持ち出すことが出来ましたが、潮見町と本浜町の親戚の家は、すべてが流されて何もありません。内ノ脇の弟の家は火災で全焼でした。

そこで、実家から出て来た写真が少しでもなぐさみになればと思います。

タクシーで叔父の仮住まいに向かおうとして、はて、何と住所を言っていいのやら。たまたまタクシーの運転手さんが家主の親戚だそうで、連れて行って頂きました。

みなが仮住まいのため、居場所を覚えられませぬ。
次のために、ちゃんと覚えておきましょうゾ。

おんちゃんも元気そうで、なによりです。
しかしながら、気仙沼の将来のことをとても心配しています。

雇用を安定させなければ、人の流出が止まらない。
一日も早く、水産加工業を復活させなければ、雇用出来ない。

叔父なりの復活案があり、あちこちで話しているようですが、どうにも進まないことに苛立ちを覚えます。

鹿折の叔母の実家の帰り道、GWには立ち入り禁止区域だった鹿折、錦町にはマルキの工場があるので、歩いて行ってみることにしました。

車が通ると言っても、砂利でかさ上げしていますから、車が通るたびに土煙がモウモウと立ちこめます。臭いもきついし、あちこちでカラスが何かをあさっていて、不気味です。

ガレキの山は、いまだに生々しく、そして打ち上げられた船もそのまま残っています。

それでもGWには立ち入り禁止だったことを考えると、道路はかさ上げされて車が通れるようになっているし、だいぶマシなのでしょうか。

火災が最もひどかった地域でもあり、漁船が家をなぎ倒した地域でもあり、それゆえ、家屋が何もなくなっているか、残っていても火災で真っ黒に焼けこげているか、大惨事の状況が色濃く残ります。4ヶ月が経ってもこの状態でしたか。

町じゅう全てが全壊で、どこにも住んでる家屋はありません。

私の実家の魚町には数軒が戻って生活していることを思うと、鹿折地区の状況のひどさには言葉を失います。

そんな中に、マルキの工場がありました。
よく、ここに残ってましたなぁ〜。
まわりはガレキですのに、本当に奇跡的に、被災しながらも建物が残っていました。

この屋根の上で、従兄弟と叔母ちゃんが、他の従業員さとともに一夜を過ごしたのです。他にも流れてくる人を助けて屋根に乗せたそうです。

なんぼ、おっかながったべ。

鹿折の亡くなった叔父さんが、一生懸命に働いたこの場所。
その魂が、叔母ちゃんと息子を助けたのかな。

ここから魚町はすぐ近くなのに、道路が遮断されているから、グルっとまわって、やっとのことで、おしめさん(神社)の裏手に出ました。

この神社は、祖父も父も大好きだった場所。

浮見堂から続いて出来ていた橋はくずれ落ちていました。
母はここで毎朝、皆さんと一緒にラジオ体操をして、散歩をしながらゴミ拾いをしていた場所です。母もショックを受けています。

そして、全壊してスカスカになってしまった魚町に参りました。
オヤマ家の跡地は、更地になったら、あれれ、こんなに狭かったっけ?

GWには、まだ建物が残っていましたが、今は何もありません。

お隣も、そのまたお隣も更地です。

なんだか、ガラーンとしてしまったわが町。
そんな中でも、掃除をして住み始めた家が数軒ありました。

夕方になると冠水するようですから、さぞや大変な暮らしでしょう。
それでも、一歩一歩と前に向かって歩いています。