気仙沼の「東北福祉情報専門学校」にて情報ビジネス科2年のクラスの非常勤講師を務める。
今日は、より実践的な内容にしてみました。
若いと覚えが早いのー。
授業が終わると、ワオ、もう汽車の時間で、あわただしく家を発つ。
今回(も)母と語らう時間はほとんどナシ。母も元気そうでなにより。
カテゴリー: 気仙沼と家族
気仙沼の夜
また気仙沼でごじゃいます。
夜に到着して、それから南町の「さむらい」で友人・知人らとの飲み会に。
「バババ、サササ、ヤヤヤ、マママ」で盛り上がりー。
(これ、気仙沼の人にしかわからないよね、ごめん)。
楽しい夜でゴザル。
従姉妹が母に
従姉妹のU子ちゃんに赤ちゃんが生まれたと連絡があった。
男の子!おめでとー!
すごーーく嬉しい。
だって、U子ちゃんが生まれた時、病院から(実家である)我が家にやって来て、その小ちゃなU子ちゃんが(って、今はステキな女性に成長してるんだけど)お母さんになったんだから、ホント嬉しい。おめでとーーー!!!
副大臣が決まったそうで…
おバカな夢の話なんてしている場合じゃなくて、同級生の「いっちゃん」こと小野寺五典君が外務副大臣になったとニュースを見て驚いた。
難しい時代に外務副大臣とは、やりがいもありましょうが、大変ねー。私達も若ぐはないがらっサ、身体に気をつけて頑張ってくだれぃ。
とはいえ、安倍内閣がいつまで続くのかわからない。
「長くは続くまい」という見方が多いのでは?
前に比べれば、しっかりと固めてきたと思うのは、この副大臣選出においても、各派閥から文句の出ぬような人数で固められているのを見て思うわけで、つまらないと言ってしまえばそれまでだが、とにかく自民党内はまとまろうという事か。あとは安倍さんのリーダーシップが、あるのか、ないのか。問題が山積みだが、議論すべきところは議論しつつ、決めるべきところは決めて、前に進んで欲しい。
叔父・一周忌
叔父の命日。
まだ叔父が亡くなったという事実を受け止められない。
東京で、叔父に似た人を見かけると「あれ、東京に来てたの?」と思って声を掛けそうになる。
一周忌。
早いような、この1年がおそろしく長かったような、不思議な気持ちで過ごしている。この数年の間に、大好きな身内があいついで亡くなってしまった…。
気仙沼ホルモンまつりは盛大だったようで…
気仙沼「エースポート」で行われた地元のお祭り(気仙沼ホルモンまつり?)が盛大だったと母から電話があった。
というか、ここは私が子供の頃から「地元の盆踊りの場所」であり、当時(1960年代、1970年代)は、住民の数は多いし、南町は一番の繁華街であり、かなり盛大な盆踊りだったように記憶している。
しかし、母が言うには主催者(?)の婦人会からは8人くらいの参加者しかなくて(皆さん、足腰が弱ってらして大変なのです)、あとは「若い人達が盛り上げていた」ようだ。もしかしたら、主催者も若い方に移ったのではないかしらん>母へ。
「気楽会の気仙沼日記」には、「気仙沼ホルモンまつり」と書いてあり、その集客力がすばらしかったと言えよう。あーあ、気仙沼にいたら、真っ先に馳せ参じたいという衝動にかられつつ。気楽会の皆さん、がんばってるのー。
<参考サイト>
・スローな食に、スローな家。:思い思いの輪になって
・宮城県気仙沼市より:気仙沼ホルモンまつり
深刻・松くい虫による被害
先日、気仙沼でタクシーの運転手さんに「松くい虫による被害」について教えていただいた。「松くい虫」はニュースで見た気がするが、東京にいると身近に感じることがなかった。
気仙沼にも被害が拡大していて、松が次々に伐採されている。風景がすっかり変わってしまったところもあって驚いた。
「自然を大切に」と、口で言うは容易いが、実践するのは難しい。
たとえばエアコン。
私が学生だった1980年前後、東京でもエアコンを利用する家庭は少なかった。それから30年の間に、一人暮らしの部屋にもエアコンが付いている。
そして、、、
気仙沼の家庭にもエアコンが入り始めた。
私の実家は海沿いにあるので、日中も涼しい風が入るものの、すぐ裏の通りでは、その風が入らない。車のエアコンの快適さに慣れてしまった人達は家にも取り付け始める。
こうしてドンドン地球に優しくない状況になっていく。
かといって、東京でエアコンのない夏は考えられない状況だ。いったい、どうしたらいいんだろうか?
七ヶ日(なのかび)
気仙沼地方の習わし「七ヶ日(なのかび)」で、叔父宅と、祖母の実家に行く。
「なのかび」というのは、8/7に、初盆の家に仏さんを拝みに行く風習。
祖母の実家(「鶴が浦」の高台にある)は、海を見下ろせて、目の前に大島が見える絶景地。
こういうところで暮らすと長生きする気がします。
明日まで気仙沼にいる予定だったが、予定が変更になり、急遽、東京へ戻る。
あわただしく、仙台駅で弁当を買って新幹線に乗る。
あーあ、このまま気仙沼にずーっといたいなーと思いながら、東京へ。
大宮を過ぎると、それなりに脳が東京モードに変わる。
明日の仕事の段取りを考えながら東京駅を降りると、私もそれなりに東京の顔になっているのかなー?
唐桑の叔母の家
唐桑の叔母の家(お寺)に遊びに行く。
唐桑は、2006年3月に気仙沼市に合併した。それまでは気仙沼の隣町、宮城県最北の町、入り組んだ地形がとても美しく、漁業の町である。
松島に嫁いだ従姉妹が里帰りしていて、そのご主人が遊びにいらしていたので一緒にお昼を頂いたり、犬(ゴールデンレトリバーのハル君)に遊んでもらったり、永平寺の修行を終えた従兄弟がとても立派になって驚いたり、一番ちっちゃかった従姉妹が女子大生になって美しく変身していたり、叔母と久しぶりにゆっくりお話して楽しかったー。
車いすに頼るようになってしまった父が、あの81畳もある大きな部屋を、叔母(父の妹)にささえられながら歩いたことを、昨日のように思い出す。ここには癒しの空気がある。東京の喧噪とはマギャクの空気。こちらの方が人間らしく生きることが出来る気がする。
すぐ近くに「上二本杉(巨木)」の跡がある。
「下二本杉」とともに宮城県の指定文化財だったが、伐採されてしまった。跡を見ると、相当大きな樹だったのねー。
唐桑をゆっくり探索したいと思うが、叔母の家で時間を忘れてくつろぎ、そのまま帰る。いつか必ず探索しよーと思う。
横浜の子供達が「お魚たべたーい」「お寿司食べたーい」と毎日お魚三昧。
今日は外で食べましょうかとお店へ。
予定していたお店は混んでいたために、急遽「あさひ寿司」さんに場所を変えて、お寿司三昧。
第57回 気仙沼みなとまつり
気仙沼はお祭りムード満点。
ご町内の船掛け(大型船を所有するオーナーさんの家)はフライ旗で飾られた。
フライ旗とは大漁旗のこと。
自分の家で作るのではなく贈り物として頂くのが習わし。
数が多いというのは、それだけ支持されているのです。
K-NET(気仙沼TV)が撮影を開始。
最近は、自宅のテレビでお祭りを観るお年寄りも増えているようで、足が悪くなってお祭りに行けなくなった方が、自宅にいながらにしてお祭りを楽しめるのはいいですね。
自宅前をパレードが通るので、家にいながらにして、お祭り気分満点でございます。
母は婦人会のパレードに急遽、初参加。
気仙沼音頭を踊ることに。
「踊れないがらー」とか「練習してないんでー」と断り続けたらしいが、膝が痛いなどとキャンセルされるご婦人が多く、元気な母はとうとう出場することに。
炎天下、着慣れぬ着物と笠をかぶって奮闘。
夜は、打ち囃子と花火大会。
夕方から打ち囃子が始まる。
その前の準備から始まり、係の方は大変ですねー。
ちょうど自宅前に「宿(唐桑)」の打ち囃子。叔母が唐桑に嫁いぎ、お世話になっております。昨年までは従姉妹が毎年、出場していた。