「目黒のさんま祭」で我々が着用した「気仙沼・焼職人」おそろいTシャツは、ジュンちゃんのおじさんが提供してくださいました。
「学T専科」というオリジナルプリントTシャツを扱っています。
10枚から注文出来るので、ちょっとした集まりにおそろいのTシャツを揃えたいというニーズにはピッタシ!
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目黒のさんま祭りの写真が、「ぐんじょう色のペンフォトグラフ」に美しく掲載されています! KABOさん、いい写真です!
「目黒のさんま祭」で我々が着用した「気仙沼・焼職人」おそろいTシャツは、ジュンちゃんのおじさんが提供してくださいました。
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10枚から注文出来るので、ちょっとした集まりにおそろいのTシャツを揃えたいというニーズにはピッタシ!
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目黒のさんま祭りの写真が、「ぐんじょう色のペンフォトグラフ」に美しく掲載されています! KABOさん、いい写真です!
朝起きると体調悪い。
夏の疲れが出る季節。
ドタキャンしては申し訳ないので、とにかく目黒駅までは行こう!
8時半、目黒駅。
雨がパラリときているので心配。
同級生の(気仙沼在住)S田がいる!
「イエーイ」と雄叫びを。元気が出てきた。
ジュンちゃんお手製のさんまグッズを身につける。
体調は、少し良くなってきた。
1年ぶりにお会いする皆様、ご無沙汰しています。
本日もよろしくお願いいたします。
ドンドン元気が出てくる。
今朝「気仙沼港」で水揚げされた新鮮なさんま5000匹が届きました。
これ、全部、無償で配ります。
気仙沼からバス2台に乗って、夜を徹して来る皆さんは、全てボランティアです(しかも交通費、弁当代を払って来てくださいます)。
この祭りを盛り上げるために、そして、本場の旨いさんまを東京の方に食べて頂くために、年に一度、がんばっています。
特に今年は原油の高騰で、地元は大変だと思います。
皆さん、本当に良くいらっしゃいました。
我々関気会(関東気仙沼人会)は指示された「焼き隊」にまぜて頂く。
最初は、少々、炭が多かったか?
火が強い。
火が強いと、外は黒こげだが中に火が通らないという事態になるので、消化活動をします。それは燃え上がる炎に「霧吹き」で水をピッピっとかけて火を弱めるというもの。これが重要な任務でして、ずっとやっていると腱鞘炎になりそうです。
煙が強くて、喉が痛い。
ゲホゲホしながらも、シュッシュ。
そして、焼き係を担当したり、裏方でさんま並べて塩をふったり。
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自分で言うのもアレですが、相変わらずの(魚屋とも思えぬ)トロい動きでごじゃる。これでは魚屋は勤まらないなぁ。もっと、テキパキといがなくては。
気仙沼人、目黒の人、とにかくいろいろな皆様とお会いして楽しい時間です。
午後、目の痛みがひどくて「救護所」にかけこみ、目を消毒して頂いた。消毒して目薬を指して頂くと、しみてしみて、目が開きません。先生・しみますー。この消毒のおかで生き返りました。
今年も無事にさんま祭は終了。
心配したお天気の方は、カラリと晴れて良い天気でしたし、心配した体調は知らぬまに元気になっているし。やっぱ病は気から、なんですかね。
片付けの後は、お風呂で汗を流して打ち上げ。
この打ち上げが楽しいのです!
そして、トンボ帰りで帰ってしまう気仙沼行きのバス2台をお見送りです。ボランティアの皆さんは、せっかくの東京なのに、まったく遊ぶこともしないで、会場に直行直帰。頭が下がります。
今年は「気仙沼中学校・校歌」がバスの人に届いたようで、良かった。
あのバスに乗って帰ってしまいたい衝動にかられつつ、気中29回生は2次会へ。
そして3次会のカラオケで盛り上がり。同級生っていいね!
1970年代歌謡曲を中心に歌います。
「いいねー、これ青春だよね!」と話していると、S君が
「それにしても、人生は思ったよりも早い!」うんうん。早い。早すぎる。
「40代は恐ろしいほど早かった」
うん!恐ろしやー。
「あっという間にじいさんになる」
うん!なっちゃう。
「これからの人生を大切に生きよう!」と話したのが、妙にしんみりとしました。
みんな元気でまた会うべね!
同級生が新宿に用事があるので、ランチを一緒にと誘ってくれた。どうもね!
ふるさとから遠く離れた地で、「気仙沼を盛り上げるには」という話をする。今、地方はすっかり冷え込んでいます。
希望は?
10年後は?
老後は?
こんなに希望のない日本になっちゃったのはどうしてだろう?
かと言って都会に住む者に希望があるとも思えない。10年後もわからないし、まして老後を都会で過ごす自分の姿は想像出来ない。
政治のせいにしてもいられないが、たしかに、どこかで道を誤った気がする。
それなら軌道修正すればいいじゃないか。
地方に暮らしても希望が持てる日本になるべきじゃないのか。そのためには何が出来る?
とにかく「ふるさと納税」をしてみようと思っています。
弟のiMacのメモリ増設とメンテナンスを行った。
弟のiMacは2004年の暮れに買ったので、かれこれ3年半以上になった。そろそろしっかりとメンテナンスしないと。
それまで刺してあった256MNと512MBをはずして、1GBを2枚刺します。
マックメムさんで購入した際に、そのiMacは「トルクスドライバーT15が必要です」というアドバイスを頂いた。それも一緒に購入したので、難なく開けることが出来て感謝しています。これがなかったら、相当、難儀したことでしょう。
これで少しは快適になったかな?
あらら、次はHDの容量が足りなくなっている。うーむ。
弟は、新しいMacが欲しい様子。さーて、いつが買い時か、悩ましいよね。
弟がムービーをまめにDVDにしていたり、DVDの面には写真を印刷したり、iTunesは私よりもきちんと整理していて驚いた。Macは簡単だからと言ってる。ウンウン。嬉しい姉ちゃん(Mac薦めた姉ちゃん)であります。
これは弟の家の庭でとれたきゅうり。
奥に隠れていて、巨大に成長したキュウリがあります。ヘチマみたい。
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自家製きゅうりの漬け物、自家製プチトマトを頂く。美味しい!
嫁は「簡単」と言うけど、、、。
えー、私がベランダで作るの?
無理ムリ。絶対、無理だわ。
嫁に簡単な事が私には難しいのです。逆に私が簡単と思うことが嫁には難しかったり。人間っておもしろいですね。
弟の家には、小さいサイズの家庭用の卓球台がある。
甥と卓球。おもわずムキになるおばちゃんであります。
もう手加減なんて出来ませんからー。
夕方、母と南町にブラリと出てみる。
南町界隈は、先ごろ文信堂が閉店してしまって、ますます寂しい。
それでも頑張っているお店がいくつかある。そちらを母とブラブラ歩いてみる。少し買い物もする。1970年代の、あの賑わいを思い出してみる。もう一度、復活して欲しい大堀銀座。
夜は、同級生のKとKと私の3人で、南町「実のり」で飲みます。この2人にはいつも触発されます。私もがんばるゾ!と思うのであります。いつもありがとね!
気仙沼は涼しいを通り越して寒いくらい。
やっと今日は晴れました。気温も上がるかな?
子供達が大島に遊びに行ってる間に、私は安波山ランへ。
安波山の標高は239m。
これを駆け上がろうと思うのです。
なんつったって、先日、高尾山を走る(歩く)しましたからー。
安波山に登る道はいくつかあるけれど、太田から登ることに。
太田の坂道をあがると踏切があり、それを右に進むと、このような看板がありました。
そのまま舗装された道を登ります。
昔はこのような道はなかったけれど、この道路が出来た事で足が弱った方も車に乗って6合目まで行くことが出来ます。
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途中でふと横を見ると、小さな階段が。
そうそう、昔はこんな道を通ったっけ。
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この階段を登ってみると、その先は雑草が生い茂り、足元は全く見えず。断念して舗装された道路に戻ります。
6合目の駐車場を過ぎると、昔ながらのこのような道が続きます。
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それにしてもやっぱり坂道がきつい。走るというよりは歩きです。
8合目の展望台から見る気仙沼湾。
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5月5日のGoGo(ゴーゴー)あんばはん(安波山の日)には、山頂で弁当を食べる習わし。
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今日は早々に下ります。
石を積んで歩きやすくしてあるのですが、下りでは足を痛めそうで走らずに歩くことに。急な坂道です。
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気仙沼にお越しの際には安波山に登ってください。
気仙沼の市街地と、海と、むこうに大島の亀山が一望出来て気持ちは晴れやか。
それから弟の家まで走って行くことに。身体を動かすのは気持ちいい。
途中で弟の嫁達が乗った車とすれ違った。
「お姉さん、乗りますか?」と声がかかる。
「走っていく」と告げてひた走る。
その後、、、「お姉さん、大丈夫でした? なんかヨロヨロしていて倒れそうだった」とのこと…。
おかしい。快適に走っていたんだけど、、、。
どうやら嫁達は、私がマラソンをしているというので、野口みずきや高橋尚子をイメージしていると思われ…。
実際の私は、ヨロヨロとした「おばあさん走り」。
イメージは、イメージのまま残しておく方がよかった。
あの走りでも、42.195kmいけるのじゃ。
皆さんもマラソン始めようよ!
明日は横浜の弟達が帰るので、南町の「宮登」さんで食事を。
(「気仙沼ちゃんこ宮登(みやのぼり)三代目日記」はこちら)
お刺身がとても美味しい!
また生ウニを頂きまして、あーあ、東京じゃこんなに美味しいのは食べられないなぁ。
人が集まることが大好きだった亡き祖母や父に子供達が集まって賑やかな光景を見せてあげたかった。
父は宮登さんが大好きだったし、、、
・・・もしかしたら、ここにいるかもね(^ー^)
気仙沼市と合併した唐桑町。
唐桑の叔母の家に挨拶に伺った。
弟の子供達も連れていったので(小学生と幼稚園)、叔母が「漁火(いさりび)パーク」に案内してくれた。
早馬山の中腹の展望レストラン。
私、初めて来ました。
うわっ、こんなに美しいところだったのねー。
夜は、イカ漁の明かりが見えるので「もっときれい!」だそうです。
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向こうに見えるのは岩手県の山々。
海はおだやかで湖のよう。
私が子供の頃は、唐桑に行くには随分と時間がかかりましたっけ。舞根(もうね)峠を通ったのかしらん?
中学のバスケの試合で唐桑中学に行った時は、たしか船を利用した記憶が。
現代はバイパスが出来て、車でピューっと行っちゃいますから便利になりました。
そんな唐桑を、ゆっくり探索したい。
本日は小雨降るあいにくの天気で断念。次こそは走ったり歩いたりしながら唐桑を探索するゾ!
夜は南町の「あさひ鮨」さんで食事を。
生ウニが美味しい季節。気仙沼は本当に食事が旨い!
気仙沼プラザホテルで、気仙沼中学校29回生の厄祓い式と同年会が行われた。
49歳というのは、男女とも小厄年だそうです。
もう厄年はおしまいかと思っていたら、まだあるんですね。
「小厄」はこちらの早見表を見ると、あと11回もある!
11クラスもあるので、3年間で1度も同じクラスにならない人が大勢います。名簿を見ると、本日の参加者は153名。
なので、うーん、わからない人も…(^^;
でも、名札で名前を確認して、顔をジーっと見ているうちに、、、
「あ!○○ちゃん!」
そういう私はわかりますでしょうか?
我が1組の出席率はいつも一番いいんです。嬉しい(^ー^)
5名の恩師をお迎えして、先生、変わりませんねぇ。
今の時代ならPTAから突っ込まれそうな先生もいらっしゃいますが(笑)、2次会では手品を見せてくださり、「芸の一つも覚えろ」と種あかし。「簡単だから覚えてやってみて」と、勉学よりも人生の大切なものを学んだ気がします。
あの当時は、こんなに年をとるなんて思いもしなかったけれど、あっという間に年を重ねました。
現代の学級崩壊やイジメの話を聞くと、私はなんて幸せな中学生だったことを再認識。
幹事の皆さん、本当にありがとう。
ビートラス良かった!
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ゲーム楽しかった!
南町にオープンしたばかりの「いろはにほへと」での2次会も楽しかった。
1組の3次会も楽しかった!
ありがとーーー。
次の回まで元気でいましょうね。
エー、次は60歳なのー!?
「1組は毎年会おう!」ということに。
「メーリングリスト使って連絡しようよ」
「で、そのメーリングリストって何?」
うーん、、、ちゃんと連絡を取り合えるだろうかと不安を残しつつ、同級生っていいね。
今週末、気仙沼で中学の同窓会がある。楽しみ。
48歳。
亡くなってしまった同窓生もいる。
私たちは、あと何回会えるのだろう?
会うとすぐに中学の、あの時に戻る。
1970年代半ば。
高度成長の時代で、頑張れば未来は開けると、誰もが信じていた。
気仙沼は、今では考えられないほど景気が良かった。
あの頃のスポーツ少年はメタボおじさんになっているだろうか?
あの頃の美少女は、おばちゃんになっているだろうか?
荒井由美の「卒業写真」という曲が好きだ。
好きというより、気仙沼を出る時から、私のテーマソング。
「人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって♪」
ここを歌う時は同級生の顔を思い出すんだ。いつも、必ず・ね。
ねぇ、「同窓会に出ないよ」という同窓生の皆さん、
そんな事を言わないで出て来てよ。
昔みたいに、何も話さなくてもいいから、ただ顔を見合わせて、笑っていたい。
今は、いろいろな辛い事を抱えているかもしれないけれど、その時間だけは、ただただ中学の、あの時に戻って、微笑みましょう。
幹事の皆さん、いつもありがとう。
皆さんのおかげで、呑気な東京在住はとても楽しませて頂いています。